第39話

「陽乃、今は学校の時間じゃないのか」

「抜けて来たの。初めて学校サボっちゃった……てへっ」


 可愛らしくとぼけて見せる陽乃。

 いつもなら可愛すぎて悶絶するオレだが、今は何とも思えなかった。


「……なんで?」

「実は門戸さんから話を聞いちゃいました。それでリクちゃんのことが心配になって……」

「そっか」


 話を聞いたということは、ストーカーのことから星宮の件も含めてだろう。


「星宮はどんな状態か、聞いた?」

「今は落ち着いて寝ているそうだよ」


 陽乃の言葉を聞いて少しホッとする。

 とは言っても会いに行こうとは思えない。なんか複雑な気分だ。


「……?」


 オレは陽乃が手に持つスーパーの袋に気がつく。中には色々と食材らしき物が詰まっていそうだ。


「あ、これ? どうせリクちゃんのことだから何も食べてないんでしょ? 今から私が腕によりをかけて料理をします!」


 ふふん、と鼻息を荒くしてやる気を見せる。全部お見通しというわけか……。

 オレが無言でいると、陽乃は不安げな面持ちで見上げてきた。


「……ダメ? いきなり来たから……やっぱり迷惑だったかな?」

「そんなことない。ちょうどお腹空いてたし……お願いするよ」


 オレがそう言うと、陽乃は安心したように肩を撫で下ろす。

 勢いで来たものの、今になって不安になったらしい。陽乃らしいと言えばそうなのかもしれない。



 ○



 調理器具は以前に陽乃の母親から貰っている。ただ一度も使用していないので埃を被っていた。


「あちゃーやっぱりこうなってた。リクちゃんは一人暮らしできない男の子だね」

「できているぞ」

「人並みの生活じゃないけどね。部屋も引っ越し後みたいに殺風景だし」

「何も必要ないからなー。オレは陽乃が傍に居てくれたら満足だから」

「そ、そっか。ありがとうございます」


 何故か赤面した陽乃にお礼を言われてしまう。


「じゃあリクちゃんは部屋で待ってて」

「分かった」


 オレは部屋の片隅に腰を下ろし、制服の上からエプロンをつけた陽乃をボーッと眺める。

 ややボロついたキッチンに立つと、手際よく料理の準備を進めていた。

 家事に興味がないオレには何をしているのかさっぱりだ。

 けどまあ、とりあえず飯を炊いておくか。流石に炊飯器はある。

 しかし何というか……かつての理想だな。

 オレは陽乃と家族になることを夢に見ていた。もし現実に叶うなら、こんな感じなんだろう。



 ○



「ごちそうさま」

「お粗末様でした」


 向かいに座る陽乃がやけに嬉しそうにニコニコとしている。

 オレは不思議に思いながらも目の前の食料箱(ダンボール箱)に目を落とす。

 この部屋にはテーブルがないので、食料箱をひっくり返し、テーブル代わりにして食事をしていた。


「なんでそんなに嬉しそうなんだ?」

「えーとね、リクちゃんがご飯を食べてくれたから、かなぁ」

「そんなことで……」

「本当はね、最悪の事態も少しだけ考えていたの」


 最悪の事態……なるほど、そういうことか。


「安心してくれ。自殺はしないから」

「うん……」


 星宮の件はショックだったが、自殺までは考えられない。

 というのも別に好きな人から拒絶されたわけではないのだ。

 ただ真実を知り、どこにもぶつけようのない感情が生まれてしまっただけのこと……。


「なあ陽乃」

「なあに、リクちゃん」

「星宮のこと、知ってたのか?」

「――」


 優しい表情でオレを見つめていた陽乃だが、途端に引き締まった表情に変化する。


「教えてくれ。陽乃は星宮のことを知っていたのか?」

「リクちゃん……事故のこと、思い出したの?」


 その言い方から察するに、陽乃はオレの記憶事情を知っていたようだ。


「ああ。あのときの事故の加害者は、星宮の両親だった」

「――そんなっ。本当に彩奈ちゃんの両親が……!」


 陽乃の顔に衝撃が広がる。顔を伏せ、どう受け止めたらいいのかわからない様子。


「星宮のこと、知らなかったのか?」

「……もしかしたら、て思ってた。名前までは覚えてなかったけど、名字が同じだったから……。だから最初の頃は、なるべくリクちゃんを彩奈ちゃんに近づけないようにしてたの」

「そうだったのか……」

「でもね、彩奈ちゃんが普通にリクちゃんに接してるのを見て、別の星宮さんだって判断したの」


 なるほど。今の話を聞いて納得する。

 オレと星宮が絡み始めた当初、陽乃は『彩奈ちゃんだけはダメ』と理由を明かさずに訴えてきた。しかし、途中からオレと星宮が結ばれることを受け入れていた。


「……星宮は事故のことを覚えてなかった」

「……え」

「……星宮の両親は自殺していたんだ」

「え、あ……ちょ、ちょっと待ってリクちゃん。彩奈ちゃんと何があったのか、聞かせ

て」


 困惑する陽乃に、オレは昨晩のことをすべて打ち明ける。

 最後まで聞いた陽乃は、口を震わせて何も言えないでいた。


「というわけだ。ほんと、すごい偶然だよなぁ」

「リクちゃん……」

「もう意味わかんねぇよ」


 陽乃は何かを言うことなく口を閉ざしていた。何を言えばいいのか、わからないのだろう。オレだって何を言えばいいのか分からないし、何を考えたらいいのかも分からない。グルグルと言語化できない思考が頭の中を埋め尽くし、吐き出しようのない負の感情が心を侵食してくる。もはや生きているだけで苦しい。生きることが苦痛なのだ。


 ………………。

 死ぬこと以外で、この苦しみから逃れる方法は?

 答えは――目の前にある。


「なあ陽乃」

「なに?」

「オレと……付き合って欲しい」

「……え」 


 いきなりの告白に陽乃は驚いたらしく、目をパチパチとさせていた。


「陽乃と付き合いたい。家族になりたい」

「え、えと、その……」

「ここで一緒に暮らして欲しい。ずっと傍に居て欲しいんだ」

「お、落ち着いてよリクちゃん。急に……っ」


 オレは戸惑う陽乃に詰め寄り、その細い両肩を掴んで思いをぶちまける。


「中学生の頃からずっと好きだった。気持ち悪いかもしれないけど、いつだって陽乃のことを考えていたし、目で追いかけていた」

「う、うん……」

「幼馴染としか見れないと言われた時は本当に辛かった。オレには陽乃しか居ないのに、その陽乃から拒絶されたら……もうこの世界に何の価値もなくなってしまう」

「でも今は……彩奈ちゃんが……」

「その星宮が、辛くなる元凶なんだよ!」

「リクちゃん――――」


 腹の底から迫り上がってきた熱いものが喉元までやって来る。どうしよもなく目から涙が溢れてきた。


「ああ、そうだよ……陽乃の言う通り、オレは星宮が好きだよ! でもな、その星宮の存在がオレを苦しめるんだ! 星宮を思い出すと……家族が車に跳ねられた瞬間や……星宮の両親を思い出して……どうしよもない怒りが湧いて来るんだ!」

「リクちゃん……。でも、彩奈ちゃんのことが心配なんでしょ?」

「心配だよ、心配に決まってるだろ? 好きなんだから……。それでも、もうダメなんだよ……! 星宮が……全ての始まりなんだから……!」


 嗚咽混じりの声で全てを吐き出す。一度溢れ出した感情は、ダムが決壊したかのごとく止まらない。


「陽乃……オレと付き合ってくれ! やっぱりオレには陽乃しか居ない……陽乃以外の存在に、もう目を向けたくないんだ……!」

「……」


 陽乃の両肩を握る手に自然と力が込もる。それでも陽乃は痛そうな素振りを一切見せず、真っ直ぐオレの瞳を見据えていた。


「陽乃も……オレが好きなんだろ? 付き合ってくれるよな?」

「リクちゃん……」

「ずっとオレの傍に居て欲しい。オレ、陽乃のためなら何でも頑張れるし……高校卒業したら結婚しよう……な?」


 陽乃ならオレの全てを受け入れてくれる。

 これまでもそうだったではないか。オレを好きと言ってくれるし、こうして心配して来てくれる。

 オレと陽乃は、いつだって一緒に――――。


「……」

「はる、の?」 


 どうして陽乃は何も言わない。

 どうして返事をしてくれない。

 どうして笑いもせず、悩むような暗い表情をしているんだ……! 


「ごめんリクちゃん」

「……え?」


 一体、何の謝罪だ? 

 困惑を隠しきれないオレに、陽乃は芯の通った言葉を言い放つ。


「今のリクちゃんとは、お付き合いできません」

「え……あ……ぇ?」


 今、なんて言った?

 お付き合いできない? そんなバカな。

 だって陽乃はオレのことが好きで――――。


「ごめんね。私はリクちゃんと付き合ったらダメだと思う」


 その言葉は、追い討ち――――ダメ押しのごとく――――。


「だって今のリクちゃんは――――」

「ふざけるな……っ」

「り、リクちゃん?」

「ふざけんなよ! この思わせぶり女が!」


 激情に駆られるがままに、陽乃を強く突き飛ばす。きゃっ、と陽乃が悲鳴を上げて椅子から落ちたが、かまわずオレは怒声を浴びせる。


「なんなんだよ! 幼馴染としか見れないと言ったり、かと思えば好きと言ってきたり……。今度は付き合えないだと? オレを舐めるのもいい加減にしろよ!」

「ち、違うの。聞いてリクちゃん」

「喋らないでくれ! もう二度と……陽乃の声を聞きたくない」

「――――っ!」

「帰ってくれ。今すぐに」

「でも――――」

「早く!」


 何か言おうとしていたが、一喝して黙らせる。

 陽乃は何か言いたげに唇を震わせていたが、「ごめんね。また来るよ」とだけ呟いて部屋から出て行った。最後に聞こえたのは、ガチャンという玄関のドアの開閉音。


 この日、生まれて初めて陽乃に敵意を向けた。

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