第37話

「何が起きてるんだよ」


 廊下の手すりに体を預け、雲に埋め尽くされた夜空を見上げる。

 未だに星宮の凄まじい叫び声が部屋の中から響いていた。

 ストーカーの問題が解決して、お互いの気持ちを確かめ合って……。

 これからというときだったのに――。


「……声が止んだ」


 ようやく静かな夜が訪れる。

 オレが振り返ったタイミングで、ドアが開かれた。現れたのは門戸さんだ。両腕には無数の引っ掻き傷が走っていて、血が薄すら滲んでいる。


「いやーごめんよリクくん。急に追い出して悪かったねー」


 ヘラヘラといつものように笑う門戸さん。さっきの鬼気迫る姿がウソみたいだ。


「あの、星宮は……」

「大丈夫、寝たよ」

「そう、ですか……」


 オレが聞きたいのは、そういうことじゃない。それは門戸さんも分かっているのだろう。何から説明したもんかねぇ、と自分の顎に手を添えて悩んでいた。


「門戸さんは……何か知っているんですか?」

「うん、知ってるよ。あの彩奈ちゃんを見るのは三回目かな」

「三回……?」

「久々だから少し油断しちゃったなー。ひょっとしてさ、昔の話とかした? それも車とか……自殺とか……」

「両親の話とドライブについて……」

「……ふむぅ。なんだろ、それだけなら大丈夫だったのに……。何かあって、記憶が蘇りつつあったのかな」


 一体何の話をしているんだ。門戸さんは一人でぶつぶつと喋りながら考えている。


「門戸さん。オレにもわかるように説明してください」

「……いいんだね?」

「何の……確認ですか」

「聞いたら後戻りできないよ? まず間違いなくリクくんの彩奈ちゃんを見る目が変わる」


 冗談とかではなく、まさに重みのある真剣な問いかけだった。覚悟って、なんだよ。意味がわからない。意味がわからないけど……。


「教えて……下さい」

「ま、そうだよね。普通は聞くよね」


 そして門戸さんはオレの目を見据え、信じられないことを言い放つ。


「彩奈ちゃんの両親は――自殺してるんだよ」


 夜風が肌を撫でつけ、全身に寒さを感じさせる。

 深夜における静寂は、重過ぎる言葉を明確に聞き取らせた。


「そんな……ウソだろ……」

「ウソじゃないよ」

「けど、星宮は両親が生きているように喋っていたぞ。両親は仕事で遠くに行っているんだと……っ」

「記憶の改ざん……ってやつだね」

「……え」

「人間は自分の許容を超える辛い出来事を経験すると、都合よく記憶を書き換えるんだよ」

「だとしても……!」


 さっきまで、あんなにも楽しそうに両親との思い出を語っていたじゃないか。

 納得できないオレを見た門戸さんは、曇った夜空を見上げながら静かに語り始める。


「彩奈ちゃんの両親が自殺したのは、約三年前。彩奈ちゃんが中学二年生の頃だよ」

「どうして自殺なんか……」

「色々考えられるけど、最大の理由は罪悪感、だろうね」

「罪悪感?」

「うん。ドライブの帰りに……交通事故を起こしたんだよ」

「――――っ」


 ドクン、と大きく心臓が跳ねる。


「被害者は、どうなったんですか」

「亡くなったよ」

「……」


 予想していた返答だった。

 黙り込んだオレを見て、門戸さんは重苦しそうな表情を浮かべながら話を続ける。


「彩奈ちゃんの両親は激しいバッシングを浴びせられた。近所からも白い目を向けられて……彩奈ちゃんも学校で嫌がらせを受けていたそうだよ」

「それは……でしょうね……」

「彩奈ちゃんの両親は、元々優しくて誠実だと評判でね。近所や親戚からも慕われていたんだよ。もちろん私も慕っていた」


「あの、門戸さんと星宮の関係って……」

「あー、はとこ。まあ彩奈ちゃんと顔を合わせる機会は全くなかったけどね。彩奈ちゃんの両親が亡くなった後、初めて顔を合わせたかなー」


 と言っても彩奈ちゃんは私に気づいてなかったけどね、と門戸さんは言葉を足した。


「話を戻すけど、彩奈ちゃんの両親は評判が良かった分、事故を起こしたときの信用の下がり方が酷かったんだよ」

「……」

「それに彩奈ちゃんの両親は本当に良い人っていうか、他人の不幸や痛みを見過ごせない人たちだった。ボランティア活動も積極的だったらしいし。だから、だろうね。自分たちが人の命を奪った事実に耐えられなかった」

「それで、自殺を……? 星宮を残して?」


 門戸さんは無言で頷く。

 信じられない。確かに過酷な状況であることは間違いないけど、娘を残して自分たちの命を断つなんて。


「彩奈ちゃんは見たんだよ」

「見たって、何をですか」

「自分の両親が、首を吊っているところ」

「――っ!」

「学校から家に帰ってきた彩奈ちゃんがリビングに行くと……もう二人は……」


 その光景を想像してしまったのか、門戸さんは顔をしかめた。

 きっと星宮は計り知れないほどのショックを受けたはずだ。

 自分の記憶を改ざんするほどに、そうしなければ心を保てないほどに。



「一人になった彩奈ちゃんは祖父母の家で暮らすことになったんだけど、これが凄く大変だったらしくて……彩奈ちゃんはずっと塞ぎ込むか、さっきみたいに暴れ回っていたらしいの」

「……そう、なんですか」

「祖父母の家には両親に関する物で溢れ返っているからね。家の匂いや祖父母……おじいちゃんやおばあちゃんを見て両親を思い出していたそうだよ」


 けれど、と門戸さんは言葉を続ける。


「いつしか彩奈ちゃんは、元気になっていた。何事もなかったかのようにね」

「記憶を……改ざんしたんですね」

「そう。彩奈ちゃんの中で、両親は出張していることになった。それでも、ふとしたときに思い出すことはあったんだよ。両親に関する物を見たときにね」

「写真とかジャージは大丈夫だったんですか?」

「最初はダメだったよ。けど時間が経つにつれて、記憶の改ざんが進んだんだろうね。ある程度の物は受け入れられるようになった」

「……」


「とはいっても、祖父母を見ると両親を思い出し、まともな生活が送れなくなる……。そこで彩奈ちゃんは一人暮らしすることになったわけ。高校も地元から離れた場所を選んでね。それなら両親が出張中という設定にも噛み合うでしょ?」

「なるほど……」

「それと……彩奈ちゃんがアパートで騒いでも、大家は私だから責任を取れるんだよ。ま、私と彩奈ちゃんしか住んでいないけどね」

「あー……え? 門戸さんが大家なんですか?」

「そだよ。言ってなかったっけ?」


 言ってない。門戸さんに驚かされるのは、これで何度目だろう。


「私と彩奈ちゃんは顔を合わせる機会がなかったからねー。彩奈ちゃんは私を見ても両親を思い出すことはないってわけ。関連性が全くないから」

「保護者として適任ですね……」


 どのようなやり取りが行われたのか知る由もないが、門戸さんは星宮の面倒を見ることを決めたのだ。思い返せばオレと門戸さんが初めて出会った日、あのときも門戸さんはピンポン連打していた。オレがドアを開けるなり『彩奈ちゃん!』と叫び……。

 門戸さんは、ただの変人エロ漫画家ではなかったのだ。


「本来の彩奈ちゃんは、全然ギャルっぽくないよ」

「知ってます。見た目だけですよね」

「中学の頃は見た目も大人しかったかなー。これは私の憶測だけど、あのイメチェンも一種の自己防衛だろうね。自分の心を守るための演技……という言い方はおかしいか」


 門戸さんは苦笑をこぼし、真面目な表情に変えて言う。


「彩奈ちゃんは記憶を偽り、見た目も変えることで、自分の心を保っていたんだよ」

「そう、だったんですね……」


 星宮の過去を知り、オレは何とも言えなくなっていた。

 どのような反応すればいいのかわからない。


 いや今思い返せば、このことに気がつける出来事が幾つもあったではないか。

 まずオレと星宮が初めて出会った日のこと。 

 オレが自殺すると言ったとき、星宮は過剰に泣いていた。もしかしたら無意識のうちに両親を思い出していたのかもしれない。


 それに星宮の一人称が変わっていたことに今気づいた。コンビニ強盗に襲われた直後は『私』と言っていたのに、気づけば『あたし』になっていた。極限の恐怖に襲われて本来の星宮が少しだけ漏れ出たのだろうか。


 他にもある。星宮は寝ているとき、泣きながら『お父さん、お母さん』と呟いていたことがあった。知ってしまえば、そういうことだったのかと納得できる。


「あの、被害者は亡くなったそうですが……家族とかは?」

「名前までは詳しく聞いてないけど、四人家族。夫婦と中学生の男の子に小学生の女の子」

「――――え」

「唯一の救いと言っていいのかわからないけど、中学生の男の子だけ助かったと聞いてるかな」

「……」

「んや、やっぱり救いとは言えないね。きっと私なら耐えられないよ……自分だけ生き残るなんてさ」


 門戸さんの言葉が遠くに聞こえる。

 なんだ、これは。やけに心臓の鼓動が速くなっている。

 手先が冷えているにも関わらず、じんわりと汗が滲んできた。


『リクちゃん、星宮の名字を覚えていたの?」』


 どうして今になって陽乃の言葉を思い出したんだ。

 このときのオレは『そりゃ同じクラスだし』と返した。

 …………あれ?

 よくクラスメイトという理由だけで覚えていたな。 

 オレは陽乃以外の女の子に興味がない。それはもう、名前が覚えられないほどに。


 例えば、星宮の友達であるカナ。

 オレはカナの名字を未だに知らないし、星宮がカナと呼んでいたからオレもカナと呼んでいるだけ。それほどまでに、オレは陽乃以外の女子に興味がない。

 

 なのに、どうして『星宮彩奈』を覚えていた? 

 いくら目立つ存在とはいえ、それはカナも同じ。にも関わらず、オレは意識せずに星宮だけ覚えていた。

 ……覚えるというより、知っていたのだとしたら? 


 脳の奥に閉じ込めていた記憶が、無意識下で溢れていたのだとしたら?

 星宮が記憶の改ざんをしていたように、オレもしていたのだとしたら? 

 オレが中学時代に覚えていることは、陽乃との日常と、家族がはねられた瞬間のこと。……たった、それだけ。


「どうしたの、リクくん。顔色が悪いよ」

「…………」


 眠っていた記憶が鮮明に蘇り、あたかもその場に居るような再現映像が頭の中に流れる。

 靴紐が解けたオレは足を止めて靴紐を結ぶ。そして顔を上げた瞬間、少し歩いた先に居た両親と妹に車が突っ込んだ。周囲から上がる悲鳴で騒々しくなる中、車から血相変えて出てきた三人。優しそうな二人の大人と、一人の地味な女の子。三人は顔を青ざめさせている。


「…………っ」


 頭が割れそうに痛い。それでも記憶にかかるモヤは勝手に晴れていく。

 二人の大人は、星宮の部屋に置かれた写真に写る夫婦で――。

  もう一人の地味な女の子は、星宮だった――。 


「う、うぁ……ぁぁ……っ!」


 オレは廊下の壁に背中を預け、ズルズルと崩れ落ちる。

 あぁ、これか。

 星宮の部屋に入ったときに感じた違和感の正体は、これだったのか……。

 記憶のモヤが晴れていくと同時に、胸底で眠らせていた激情までもが噴出する。

 あのとき――――。


「リクくん! しっかりして!」

「オレの……」

「リクくん?」


「オレの家族を殺したの……星宮の両親かよ……!」

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