第35話
「このジャージ着るの、久々だな」
「そうだね。黒峰くんが初めてこの家に来た日以来じゃないかな」
入浴を済ませた後。パジャマに着替えた星宮と話しながら、オレは自分が着ているジャージに目を落とす。星宮のお父さんのジャージだ。ほんの少し懐かしく思えるのは、それだけの付き合いを星宮と重ねたということだろうか。
「もう1時か……」
テーブルに置かれた花柄の時計を見て呟く。
ストーカーと対峙した後、もちろん警察に連絡して来てもらうことにしたのだが……。 それからが大変だった。色んなことを根掘り葉掘り聞かれて、何度も同じことを質問されて……。保護者を呼んで欲しいと言われたときは、実に面倒なことになったと思った。オレの保護者は祖父母になるのだが、祖父母はここから遠く離れた田舎に住んでいる上に、オレと距離を置きたがっている。今回は時間も遅いということで電話で警察と話をしてもらった。
そして気がつけば深夜になっていたのだ。
オレはともかく流石に星宮の両親はすっとんで帰ってくるかと思っていたが、なぜか来たのは門戸さんだった。門戸さんは用事で隣県に居たらしく、凄まじい量の汗をかきながら現れた。それだけ心配してくれたのだろう。気のせいかもしれないが、両親の話題になったときの星宮は、頭を押さえて苦しそうにしていた気がする。
ついでにストーカーはコンビニの防犯カメラでも姿を確認されていたそうだ。
ひとまず警察から解放されて自由の身になったオレは、このまま星宮の家に泊めてもらうことになった。
「「……」」
なんとも言い難い沈黙が部屋を支配する。
ベッドに腰掛ける星宮を前に、オレは床に腰を下ろしてソワソワしていた。 落ち着きがないのはオレだけではない。星宮も居心地が悪そうに顔を背け、自分の髪をクルクルと人差し指で巻いていた。ほんのりと頬が赤く染まっているのは、きっと湯上りだからだろう。
と、不意に右拳に激痛が走る。
「――いつっ」
「黒峰くん!? どうしたの!?」
「いや、右手が急に痛くなって……!」
「見せて!」
やけに慌てた星宮がベッドから降りてオレの下に来る。
その場で腰を下ろし、オレの右手を両手で優しく持ち上げて観察し始めた。
「……どう?」
「赤く、なってるね」
「そうだな……それだけ?」
「ごめんね。あたし、見てもわかんないや」
「多分骨折はしてないと思う。普段から鍛えてるし……」
「鍛えてるんだ……」
「人生、何が起きるかわからないだろ? いつでも陽乃を守れるように鍛えているんだ」
「……ほんと、春風さんが大好きなんだね…………あはは」
なんか無理に笑っている気がした。
「「――あ」」
二人でオレの右手を近くから見つめる。必然、お互いの顔も近くなっていた。星宮の火照った顔がすぐ目の前にある。
「……黒峰くん」
「……なに?」
「ごめんね」
「え――」
何に対する謝罪なのか、それを聞く前に――星宮に抱きつかれた。
「今だけ……今だけでいいから……」
「星宮、なにを……」
「遠慮するつもりだった。黒峰くんと春風さんは両想いで……あたしが入る隙間がないのはわかりきっていたから……。それに、黒峰くんは本気で春風さんのことが好きなの知っていたから……」
「……」
「黒峰くんには少しでも早く幸せになってほしいから……あたしは身を引いて、春風さんのところに行ってほしかったの」
「……そうか」
オレは星宮の言葉に耳を傾ける。
「でもね、黒峰くんを忘れられなかった。どれだけ距離を置こうとしても黒峰くんのことが忘れられなくて……。そしてストーカーから助けてもらって……。もう、我慢できない……我慢できないよ…………」
「星宮……」
「……あたし、起きてたよ」
「……なにが?」
「黒峰くんが、嫌われてもあたしを守ると言った時……あたし、起きてたよ」
「そうだったんだ……」
「黒峰くん、好き……。好き、本当に好きなの……」
恥ずかしがる余裕もなかった。オレに強く抱きつく星宮は、うわ言のように『好き』と繰り返す。これだけ情熱的に思いをぶつけられては、こちらも覚悟を決めるしかない。
「……オレが陽乃と付き合わなかったの、ちゃんと理由があるんだ」
「あたしのためでしょ?」
「違う」
「じゃあ、なに?」
「星宮のことが好きだから」
「…………え?」
何を言われたのか理解できなかったらしく、星宮は顔を上げてオレの目を見つめてくる。
「星宮には誰よりも幸せになってほしい」
「そ、それって……」
「もっと言うなら、星宮のそばに居たい」
「あたしの……そばに…………」
星宮は頬を紅潮させ、噛みしめるようにオレの言葉を繰り返した。
「こ、これからも……星宮と、この家で暮らしたい……と思っている」
やたら緊張しながら言ったせいで言葉に詰まりがあった。それでも星宮にはしっかりとオレの思いが伝わったようで……。
「そ、そそ、それってさ……告白?」
「……」
無言で頷いてみせる。声に出せなかった。
「あたしと、付き合いたいってこと?」
「うん」
「付き合いたいってことは……恋人になりたいってこと?」
「そうだ」
「恋人ってことは、特別な関係に――」
「どうしたさっきから。同じことしか言ってないぞ」
「だ、だって……その……」
星宮はオレから視線を外し、恥ずかしそうに口をモゴモゴさせる。ここでうぶな一面が発動してしまったのか。
「春風さんは……いいの?」
「今、陽乃は関係ない。オレたちの話だ。それに星宮を一人にしておくのが怖いんだよな。不幸体質っぽいし」
「不幸体質って……ま、そうかもしれないけど」
一ヶ月の間でコンビニ強盗に襲われてストーカーにも襲われて……こんな立て続けに不幸に見舞われる人は中々いないぞ。二度あることは三度あるという縁起でもない言葉を思い出した。
「オレ自身が星宮と居たいってのもあるけど……オレが星宮を守りたい、です」
「ま、守りたい……あたしを……」
「うん……」
「で、でもさ……黒峰くんもあたしがいないとダメだよね。だらしないし……。毎朝黒峰くんを起こして、ご飯を作ってたのあたしだから……」
「ああ、オレは星宮が居てくれないとダメなんだ」
「そ、そっかそっか……っ」
湯気を幻視できるくらい顔を真っ赤にした星宮に対し、言う。
「星宮のことが好きだ。……オレと付き合ってください」
「あ、あたしでいいの? あたし、春風さんみたいに――」
自虐的な態度を取る星宮に対して、オレは最後まで言わせまいと首を左右に振る。
「さっきも言ったけど陽乃は関係ない。もう一度言う……オレと付き合ってください」
「く、黒峰くん……」
「返事が……聞きたい……です」
「…………えと、そ、それじゃあ、その……はい。よ、よろしくお願いします……!」
と、星宮は消え入りそうなほど小さな声で応えてくれるのだった。
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