第33話
「さて……黒峰くん、ちゃんと説明して!」
「星宮をコッソリと付け回していただけですけど? なにか文句でも?」
「大有りだよ! あんな山道でついてこられた怖いってば!」
あたしは黒峰くんを連れて家に帰ってきていた。そして黒峰くんに正座をさせて本気の説教をするつもりでいる。
「も、もうあたしに構わないでよ。迷惑だってば」
「とか言いながら少しにんまりしてるぞ」
「――え。これは、ちが――」
すぐさま口に手を当てて隠す。言われてみると、にんまりしちゃってたような気が……! 黒峰くんは変な言い方をしているけど、あたしを心配してくれているんだろうし……。いやほんと迷惑なやり方だったけど……!
どうしてこんなめちゃくちゃな男の子を好きになったんだろう。
思えばコンビニ強盗から助けてもらったあの晩から、あたしは黒峰くんのことばかり考えていた気がする。あれは本当に衝撃的な出会いだった。
……衝撃的な出会いから始まって、黒峰くんの過去を聞いて。ちょっと突っ込んだことを言ってくるけど、意外と繊細な一面もあって……相手のことを考える優しさもあって。本気であたしを守ろうとしてくれて……。
そんな黒峰くんが好きだから、春風さんと幸せになってほしい。
あたしなんかに時間を使ってもらいたくないから――。
「黒峰くん、帰って」
「……」
「あたしのことは気にしなくていいから。ちゃんと春風さんのそばにいてあげて」
「……星宮が、ストーカーで困ってるじゃないか」
「困ってないよ、ストーカーは気のせいだし……。むしろ今の黒峰くんがストーカーだよ」
「……ごめん」
黒峰くんが悲しそうにしょんぼりとうなだれる。相変わらず感情がわかりやすい……。
「次、こんなことしたら本気で怒るから」
「……その、悪かった………」
立ち上がった黒峰くんはトボトボと歩いていき、この家から出て行った。
部屋にあたし一人だけとなって、なんとも言えない虚しさが心の中に立ち込める。
「……ちょっと言い過ぎたかな。でも、黒峰くんにはあれくらいじゃないと……」
いつまでたっても黒峰くんは、あたしを心配して春風さんと付き合えなくなる。
なんか変に責任感が強いというか、義理堅いところがあるし……。
「あ、こんな時間に帰して大丈夫かな? 今晩だけでも家に泊めてあげた方が……」
ピンポーンと電子音が部屋内に鳴り響いた。インターホンが押されたんだ。きっと黒峰くん。『ごめん星宮。今晩だけでいいから泊めてくれ』と弱気な表情でお願いしにきたに違いない。
「ほんと、仕方ないなぁ黒峰くんは……」
今晩だけだからね、そう言って泊めてあげよう。
あたしは急いで玄関に向かいドアを開け――戸惑った。
「あの、えと……?」
ドアを開けた先に居たのは黒峰くんじゃなかった。
三十代くらいの男性。服装は上下黒いジャージ。ふくよかな体型をしている。髪の毛はボサついていて、ぽっちゃり気味の顔だった。
「……ざけんなよ」
「なにが、ですか?」
「彩奈ちゃん、なんで俺を無視すんの?」
そう言いながら男の人はズボンのポケットに手を突っ込み、すでに刃が出された折りたたみナイフを取り出した。
「えっ――――」
男の人が、ナイフを出した。
そのことを事実として認識するけど、現実感がなくて呆けてしまう。 怖いという感情を認識する暇もなかった。
「――っ!」
男の人に強く肩を突き飛ばされる。 その衝撃に抗うことができず、あたしはお尻から後ろに倒れた。ドンッと鈍い痛みがお尻から伝わる。
「ふざけんなよ……っ。くそっ」
「あ、あ……っ」
玄関に入ってきた男の人がドアにカギをかける。 それを見て、ようやく状況を理解した。――――ヤバい人だ。
あたしは、すぐに立ち上がって部屋に逃げようとしたけど、「待てコラ!」と怒声を浴びせられて後ろ髪をグッと掴まれた。
「いたっ!」
「あ、あんなキモい男とイチャイチャしやがって!」
「何を言って――――」
最後まで言葉を発することができなかった。背中にのしかかられて床に倒れこむ。 経験したことのない重みと苦しさが身動きを封じてくる。
「……く、くるし……っ」
「あ、彩奈ちゃんが悪いんだぞ……! 俺に見せつけるように、あのクソ野郎とイチャイチャするから……!」
「や、やだ……っ」
「ゆ、許さんぞ。絶対に許さんぞ……!」
ふぅふぅと鼻息を荒くする男の人は、あたしの肩を掴んで強い力で引いてくる。ひっくり返され、仰向けにされた。男の人の血走った目があたしを見下ろし、何をしてくるのか分からない恐怖を感じさせられた。
「ずっと前から……彩奈ちゃんが好きだったのに……! 俺が先に、彩奈ちゃんに目をつけていたのに……!」
「や……あ……っ」
想像を絶する恐怖に、男の人の顔を見上げるしかなかった。そんなあたしを見下ろし、男の人は馬乗りになってあたしの自由を完全に奪う。
「ほ、本当は山道で彩奈ちゃんに声をかけるつもりだったんだけどね……自転車をパンクさせてさ……。でもあの男がいたから…………へへ」
「ひっ――――」
欲望にまみれた男の人の顔は、あたしを恐怖で震え上がらせるのに十分だった。
「派手な格好もいいけど、地味な格好も、いいよね……。というか、地味な方が本来の彩奈ちゃんでしょ? 俺、人間観察が好きだから……そういうのわかるんだよね」
「ぅ……ぁぁ……っ!」
恐怖でまともに動かない手足をバタバタと動かして抵抗すると、男の人が「逃げたら刺すぞ……!」と脅しながらナイフを見せてきた。あまりの怖さに頭の奥が凍り付き、なにも考えられなくなっていく。
「あ、あのクソ野郎と……もうシたのか?」
「したって……なにを……」
「え、なに、まだ? へへ、まじかよ」
嬉々とする男の人。何かとてつもない欲望があたしに向けられているのを感じ、サーと顔を青くなっていくのが自分でもわかった。
「逃げたら、刺すから……大人しくしてね」
「や、やだ……やだぁ」
男の人に両肩を掴まれ、グッと体重をかけられる。体を揺らして抵抗すると、男の人は苛立ちを隠すことなく怒声をあげた。
「う、うぜぇ! 大人しくしろ! 刺すぞ!」
「ひっ――――」
「や、優しくするからさぁ。俺、彩奈ちゃんが好きだし……。この気持ち、受け取ってくれるでしょ?」
「もう、ほんとにやだぁ……やめて……ぐすっ……ぅぅ……っ!」
ついにあたしの両目からポロポロと涙が零れ落ちる。耐えきれない恐怖に理性は呑み込まれ、ただ震えて許しを請うことしかできない。
「や、やめてください……お願いします……ごめん、なさい……ぐすっ」
「な、泣いてる彩奈ちゃんも可愛いねぇ。へへ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……許して……」
「お、俺……浮気は許せない男なんだ。あんなパッとしない男と、同棲しやがって
……!」
怒りに震える男はあたしのシャツに手をかけ、まくりあげようとする。何をされるのか理解し、あたしは男の手を払い除けようとバタバタとみっともなく体を暴れさせた。
「や、やだ! ほんとにやだぁ!」
「うるせえ! 全部彩奈ちゃんが悪いんだよ! あ、彩奈ちゃんは……俺のもの……!」
「やだやだ……やだぁ……。誰か、助けて……黒峰くん――!」
これは、天罰なのかな。
本気で心配してくれた黒峰くんを遠ざけた天罰……。
もう抗うことができなくて、あたしは自分に覆い被さる男の人を見上げるしかなかった。 ……なんて下劣で汚い表情を浮かべているんだろ。
きっと抵抗すればナイフで刺される。
こんなことになるなら、もっと黒峰くんに素直になれば良かった…………。
「へへ、彩奈ちゃん大人しくなったね。ようやく俺を受け入れてくれたんだ」
「……」
嬉々とした男の人が、あたしのシャツをまくり上げようとする。
それに合わせて自分の心が暗闇の底に沈んでいくのがわかった。
これは、黒峰くんを拒絶した天罰――――。
あぁ。
……せめて、黒峰くんに好きって言いたかったなぁ。
「なあ、オレも混ぜてくんない?」
――――え。
この場に相応しくない、あまりにも間の抜けた第三者の声が聞こえた。
男の人も「は?」と振り返り――鋭い勢いで放たれた拳が、男の人の顔面に突き刺さった……!
「がふっ!」
とてつもない威力だったらしく、男の人は軽く吹っ飛んであたしの体から滑り落ちる。男の人はナイフを落とし、苦鳴を漏らしながら痛そうに両手で顔を押さえていた。何が起きたのかまったく理解できない。
それでも、まさかという期待があった。
ゆっくりと体を起こし、目の前に立っている人に視線をやる。
そこに居たのは――やっぱり黒峰くんだった。
「星宮。合鍵を返しに来たんだけど……こいつ、もしかしてストーカー?」
合鍵を右手に握りしている黒峰くんは、コンビニ強盗に立ち向かったときのような、あっけらかんとした態度でそう言うのだった。
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