第20話
陽乃を担いだオレは星宮のアパートまで全力疾走する。
傘を置き去りにしてしまったが、持ち帰る余裕が今のオレにはなかった。
「星宮! 陽乃が、陽乃が……ッ!」
「ど、どうしたの…………春風さん!?」
ビショビショで玄関に現れたオレたちを目撃し、星宮は驚いたように声を上げた。
「陽乃がアパートの近くに居たんだ! それで……雨の中、座り込んでいて!」
「よく分からないけど、今は体を温めた方が良さそうだね。タオル持ってくるよ」
「ああ! 頼む!」
星宮は洗面所に駆け込む。
オレは陽乃を玄関に下ろし、壁に寄りかからせた。
「陽乃、大丈夫か!?」
「…………んぅ?」
薄っすらと瞼を開いた。現状の把握ができないせいだろう。ぼうっと視線を彷徨わせていた。
「よかった……! もう目を覚まさないかと……!」
「……ここは?」
「星宮の家だ」
「……彩奈ちゃんの、家?」
「バスタオル持ってきたよ。あ、意識が戻ったんだね春風さん」
「……彩奈ちゃん……」
「まずはお風呂に入った方がいいかも。体を温めないと」
「そ、そうだな! 陽乃、服を脱がせるぞ!」
「……え?」
このままでは陽乃が風邪を引くかもしれない。
オレは陽乃が着ているシャツに手をかけ、急いでボタンを外していく。
「く、黒峰くん!? なにしてんの!」
「り、リクちゃんのエッチ!」
……え?
二人の慌てた声を耳にし、今、自分が何をしているのか把握する。
すでにシャツのボタンをいくつか外し、陽乃の胸元を晒していた――――。
「さいってー! 黒峰くん、さいってー! 弱った女の子に、ここぞとばかりに……!」
「ち、違うっての! 星宮がお風呂って言ったから!」
「言ったけどさ、ここで脱がす必要はないでしょ! ていうか、黒峰くんが脱がす必要がないでしょ!」
「いや、その、服が濡れてるから早く脱がしたほうが……あれ……?」
もう自分で何を言って、何に焦っているのか分からなくなっていた。
「……リクちゃん、テンパり過ぎだよぉ……」
「……ごめん」
「昔から……そうだったよね。私が少し体調を崩しただけで……泣きそうになりながら変な行動するだもん……」
「……ごめんなさい」
謝ることしかできなかった。
オレには陽乃しか居ない。
言い訳になるかもしれないが、家族を失った恐怖が忘れられないのだ。
今度は陽乃まで……といった感じで。
「春風さん立てる?」
「……うん。ちょっとふらつくけど」
「あ、オレが肩を貸すよ」
「黒峰くんは部屋で待ってて。これ、命令ね」
「いや待ってくれ星宮。陽乃はオレが――――」
「待機!」
「……はい」
まるで飼い主にしかられた犬のように、オレはしょんぼりしながら頭を下げた。
それだけ今の星宮には凄みがあった。
なんというか、頼りがいを感じた。
悔しいが、プチパニックになっている今のオレでは陽乃を助けることはできない。
星宮に任せよう。
◯
星宮の言いつけ通り、オレは部屋で大人しく待機している。
タオルで頭や体を拭き、部屋着に着替えてからテーブルのそばに腰を下ろしていた。星宮と陽乃は風呂に入っている。流れで一緒に入ることにしたらしい。
「明日の朝……迎えに来る、か」
さきほど陽乃の親に電話し、事情を説明した。
オレが星宮の家に泊まっていること。陽乃がアパートの近くで座り込んでいたことなど……。陽乃の母親から『すぐ迎えに行く』と言われたが、オレは『待ってください』と反射的に言ってしまった。今の陽乃から離れたくないというオレの願望でもあり、そして、オレたちだけで話し合いが必要だと思ったのだ。
流石に陽乃の母親は渋っていたが、最後には納得してくれた。この状況だけに、何かを感じ取ってくれたらしい。星宮の家に陽乃を泊めることになった。
「二人の意思、確認してないな」
ま、いいか。多分だけど彼女たちもそのつもりだろう。そんな気がする。
ふと、女子たちによる楽しげな会話が洗面所の方から聞こえてきた。お風呂から上がったようだ。
「ふぅ、さっぱりした~」
心地よさそうな声を漏らしながら星宮が部屋に入ってくる。
湯上がりで火照った顔に、ポニテが解かれた長い髪の毛……。
ピンク色のパジャマはいつもと変わらない。
「リクちゃん。服、ありがと」
星宮の後ろから現れた陽乃は、オレのジャージを着ていた。
最初は星宮の服を着る予定だったが、ベランダに干している間に雨に打たれて濡れていた。そこで仕方なく陽乃はオレのジャージを着ることになったけど……。うん、なんかグッとくるものがある。サイズが合っていないので袖から手は出ていないし、全体的にダボダボだった。
その雰囲気が、良い。
「陽乃、体調は大丈夫なのか?」
「うん。少し頭がボーッとするけど……しんどいってほどではないかな」
「そっか……。無理するなよ」
「うん」
「少しでも具合が悪くなったら、すぐに言うんだぞ?」
「うん」
「本当に大丈夫か? 無理してないな?」
「しつこいよリクちゃん……」
呆れがちに言われてしまった。
陽乃の横にいる星宮も軽く口を引きつらせている。
「黒峰くんは本当に陽乃さんが好きなんだねー」
「いや……そうハッキリ言われると……なんかなぁ……」
否定できず、照れ隠しで頭を掻いてしまう。
「あ、そうだ。お母さんに連絡しないと……きっと心配してる」
「オレが電話しといたぞ。それで陽乃をここに泊めることにしたから」
「……珍しく一方的だね、リクちゃん」
「別にいいんだけどさ、部屋主のあたしに一言入れて欲しかったんですけど」
女子勢から非難される。
普通に怒られてしまった。
だとしても、今から陽乃を家に帰すのは少し違う気がする。
なぜあそこに居たのか、聞いていないのだから……。
「じゃあ今日はあたし、千春さんの部屋に泊めてもらうから。二人はこの部屋で寝ていいよ」
「いいのか?」
「んー、いいよ。二人には積もる話もあるだろうし。あたしはお邪魔でしょ」
邪魔とまでは思わないが、陽乃と二人きりで落ち着いて話をしたいのが本音だった。
星宮が近づいてきてオレに耳打ちする。
「がんばってね」
「……え?」
その一言だけ口にすると、少し意味ありげな……いや、無理したような微笑みを浮かべた。
「じゃ、あとは二人でね」
こちらに軽く手を振り、星宮は部屋から出ていく。
玄関のドアが開かれ、閉じる音が響いてきた。
「…………」
「…………」
部屋に取り残されたオレと陽乃は口を開けないでいた。
お互いに視線を逸らし、壁やら床やら天井を見つめる。
「えーと。私からもお母さんに電話しておくね」
「あ、あぁ、そうだな」
スマホを手に取り、電話を始める陽乃。
聞こえてくる会話の内容からして、どうやら陽乃は怒られているようだった。
目の前にお母さんが居るかのように、申し訳無さそうに何度も頭を下げている。
「あはは……すっごい怒られちゃった」
電話を終えた陽乃が苦笑をこぼす。
「そりゃそうだろ。陽乃のお母さん、警察に相談しに行ってんだろ?」
「うん、捜索する寸前だったみたい……。私、色んな人に迷惑かけてるね」
「……自分を責める必要はないだろ」
「迷惑をかけたのは事実でしょ?」
まあそうなんですけども。でもそれは迷惑ではなく、心配だ。みんな、陽乃を大切に思っているだけなのだ。
「陽乃、どうしてあんな場所に居たんだ」
「……」
オレは陽乃の目を見つめ、直球に尋ねる。
「二人のあとを……追いかけていたの」
やっぱりそうか。それしかない。
問題は、なぜ後をつけていたのか。
「どうして?」
「彩奈ちゃんと仲良くしてるリクちゃんを見ていると……すっごくイライラしたから」
「い、イライラって……」
「最初はどうしてイライラするのか分からなかったし、イライラしている自分にも気が付かなかった。でもね、今はもう分かるよ」
そう言いながら陽乃は、距離を詰めてくる。
座り込むオレの前に腰を下ろし、ハッキリとその言葉を口にした。
「私……リクちゃんが好き」
「えっ」
「幼馴染って意味じゃないよ。異性として……リクちゃんが好きなの」
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