第21話
――――私……リクちゃんが好き。
幼馴染って意味じゃないよ。異性として……リクちゃんが好きなの。
陽乃の言葉を頭の中で反芻する。言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「……」
「……」
沈黙が支配する星宮の部屋において、雨の降る音だけが聞こえてくる。オレと陽乃の二人しか居ない空間。ようやく言葉の意味を理解するも、オレは考えがまとまらず何も喋ることができなかった。
「いきなり言われても困るよね。だって今のリクちゃんは彩奈ちゃんと付き合っているんだから」
「付き合ってないぞ」
「ウソ言わなくていいよ。二人で暮らしているんでしょ? それで付き合ってないのは無理があるかな」
言われてみればそうなんだが、本当に付き合っていないのだ。
そのことを説明しようと口を開いたが、陽乃に先手を打たれる。
「リクちゃんが好き」
「……っ」
「リクちゃんが私以外の女の子と仲良くする姿を見て、ようやく気がついたの。すっごくイライラした」
「い、イライラって……」
「以前の私はね、リクちゃんが気になるのは幼馴染だからって思ってた。昔から一緒に居て……これからも一緒に居るんだと、当たり前のように、無意識に思っていたの」
「オレも……そう思ってた」
「やっぱりリクちゃんもそうだったんだね。でも私は……分かっていなかった。異性とか関係なく、幼馴染だからリクちゃんの傍に居たいと……そう思っていたの」
そこまで喋った陽乃は、でもそうじゃなかった、と更に言葉を続ける。
「幼馴染だから気になるんじゃなくて、リクちゃんだから気になってたの」
「それって……」
「うん。異性として、リクちゃんが好きです」
陽乃はオレの目を正面から見据えて、何度目かの『好き』をぶつけてきた。
これが現実なのか分からない。
ひょっとしたら夢でも見ているのか? なんて思ってしまう。
「ごめん、まだ話を理解できないんだけど……その、オレと星宮が仲良くしている姿を見て、陽乃は好意を自覚したってことか?」
「うん、そうだよ」
「……そんなことって、ある?」
今まで好意を自覚しなかったのがおかしくないか?
だってオレと陽乃はずっと一緒に居たんだぞ? なのに今さら……。
「リクちゃんも……少し悪いと思うな」
「え、なんでオレが」
「だってリクちゃん、私以外の女の子に見向きもしなかったじゃん。そんなの……分かんないよ。ずっと私たちだけの世界で生きてきたんだから……」
「そうだけど……」
「きっと私は、好きという感情を知る前から、リクちゃんのことが好きだったんだと思う」
「――――っ」
思わず、息を呑んだ。
陽乃の言葉は事実を語るように冷静だった。
「いつから好きだったのかは分からないよ? 小学一年生の頃には、一緒にお風呂に入って、一緒に寝ていたし」
「そう、だったな」
「自分でも上手く言えないけど、リクちゃんを好きでいるのが普通だったの。だから自覚する暇がなかったのかな……。それにリクちゃんは他の女子と話もしないから、やきもちを妬くタイミングもなかったし……」
まるで言い訳するように口をゴニョゴニョとさせる陽乃。
かつてのオレは陽乃以外に何も要らなかった。陽乃以外の女に興味なかったのだ。
「私って酷いよね。リクちゃんを傷つけた挙げ句に、彼女さんの部屋でこんな話をするなんて……」
自分を責めているらしい。よく見ると目が充血していた。
「本当はね、なにがなんでもリクちゃんの傍に居たいし、私だけがリクちゃんの特別な存在になりたい。彩奈ちゃんに……リクちゃんを取られたくない……!」
「陽乃……」
「けど、もう付き合っているなら……リクちゃんが彩奈ちゃんを選んだのなら……我慢するしかないよね……」
その言葉は明らかに無理していた。
伏し目がちに床を見つめ、右手で自分の左腕を強く握りしめている。
「陽乃、何度も言ってるけど、オレと星宮は付き合っていないんだ」
「どうしてウソをつくの? もしかして仕返し? 私に振られたから?」
「違う。オレは本当に星宮と付き合っていない」
「じゃあどうして彩奈ちゃんの家に泊まってるの?」
「は、話せば……長くなる」
「話して」
陽乃に真っ直ぐ見つめられたオレは迷った末に話すことにする。
陽乃に振られた日、自殺するために山に行ったこと。途中でコンビニに寄り、そこで強盗に襲われている星宮を助けたこと。星宮に自殺しないでと泣かれたこと。星宮の家に泊まったこと。
そしてストーカーの被害に遭っており、助けを求められたこと……。
すべて、すべて聞かせた。
「……」
陽乃は俯き、完全に口を閉ざしていた。
オレが自殺を考えていたという話を聞いた時点で、陽乃は顔を歪め、泣きそうになっていたのだ。
今は頭の中で色々と整理しているに違いない。
「陽乃。オレの自殺のことは気にしなくていいぞ。もう終わったことだしな」
努めて明るく言ってみせたが、陽乃は小さく「……気にするよ」と呟いた。
「え?」
「き……気にするよ! 気にするに決まってるよ!」
陽乃は勢いよく立ち上がり、血を吐きそうな迫力で叫んだ。
「陽乃、声が大きい……っ」
「リクちゃんが一人ぼっちになった時、私は思ったんだよ!? リクちゃんのために何をしてあげられるのかなーって! どうやったらリクちゃんの心を癒やしてあげられるのか……。なのに、その私が……リクちゃんを追い込んだ! そんなの……気にするよ!」
感情任せに最後まで叫んだ陽乃の目には、涙が浮かんでいた。
次々と溢れた涙は、頬を伝って顎先にまで流れていく。
こうして陽乃の涙を見たのは……初めてかも知れない。
「もしリクちゃんが許してくれたとしても……私は私を許せないよ……!」
「そのー、結果を見ればオレは生きているわけだし、な?」
「関係ない! 彩奈ちゃんが居なければ……リクちゃん、死んじゃってたじゃん! 私がリクちゃんを殺していたんだよ!」
「お、落ち着けって!」
どんどん興奮が高まっていく陽乃。
オレも立ち上がり、何とか慰めようとする。
「もうやだ! 私が……私が死ねばよかったんだ!」
「陽乃!」
泣き狂う幼馴染を前にしたオレは、衝動的に力強く抱きしめた。
腕の中で陽乃はジタバタと暴れていたが、少しづつ正気を取り戻す。
「…………リクちゃん?」
「死ぬとか、言わないでくれ」
今、自殺をしなくて本当に良かったと……心の底から思った。
もしオレが死んでいたら、間違いなく陽乃は後を追いかけていた。
「好きな人に死なれたら、この先どんな顔をして生きればいいんだよ」
「……リクちゃんも……人のこと、言えないじゃん」
「それもそうだな。けど、それだけオレは陽乃のことが好きだったんだ」
「……私も、リクちゃんが好きだよ。私の人生の大半は、リクちゃんと過ごした日々なんだから……」
「……」
「……」
騒ぎから一転、とても静かな時間が流れる。
「……」
「……」
オレに抱きしめられた陽乃は、熱っぽい瞳で見つめてくる。
「リクちゃん……」
「陽乃……」
名前の呼び合いが合図だったのか。
陽乃は目を閉じ、軽く顎を上げた。
何を求めているのか、直感で理解する。
オレは唇を重ねようと、顔を近づけ――――。
――――黒峰くん。
「……星宮?」
「え?」
キスする寸前、オレの動きが止まってしまう。目を開いた陽乃は戸惑っていた。
「あ、いや……なんだろ、星宮を思い出して……あれ?」
「そっか……やっぱり、そうなんだ」
「ち、違うんだ。これは……なんだろ……ごめん」
何をどう言い繕っても、今のオレは最低極まりなかった。
そのことを理解し、何も言えなくなる。
雰囲気をぶち壊す今の発言。
陽乃からどんな罵りを受けるのか。
しかし、陽乃は全てを包み込むような、慈愛の笑みを浮かべていた。
「いいんだよ、リクちゃん」
「……陽乃?」
「彩奈ちゃんのことも好きになったんでしょ?」
「うん……………」
オレは同時に二人の女の子を好きになってしまった。
ただ、星宮に対する感情は、陽乃に抱く好意とは根本的に何かが違う。しかしこの感情に名前をつけるとしたら『好き』以外に思いつかなった。
「私はリクちゃんが好き。ものすごく好きで、私の人生の殆どはリクちゃんで占められてる」
「うん……」
「だから……やっぱりリクちゃんに幸せになってもらうのが一番なの」
「えと……つまり?」
「リクちゃんが彩奈ちゃんを選ぶなら……受け入れるよ」
「そ、それは……」
「もちろん二人が仲良くしていたらイライラするし、思いっきり嫉妬するけどねっ」
白い歯を見せながら陽乃は「私、独占欲が強い女の子だから」と言葉を重ねた。
「聞いてくれ。オレは本当に陽乃のことが……」
「今すぐ答えを出す必要はないよ。これからの日常を過ごして、ゆっくりと考えてみて。私みたいに、何かの拍子で自分の気持ちに気がつくこともあると思うの」
「……自分の気持ちに……気がつく……」
「うん。まだ彩奈ちゃんの家に泊まるんでしょ? 一緒に暮らしていく内に自覚して…………ねえリクちゃん、同じ部屋で暮らす必要あるの? 犬小屋で良くない?」
「おかしくない? 人間虐待じゃん」
「だって……リクちゃんが他の女の子と居るなんて嫌なんだもん」
陽乃がオレの胸に、指先でのの字を書く。拗ねた幼馴染が可愛い。だとしても犬小屋を選ぶのはおかしい。
「私、これからは何度もやきもちを妬くと思う。想像しただけで嫌になるの」
「なんの想像?」
「リクちゃんが、私以外の女子と話をしている姿」
自分で言うだけあって、本当に独占欲が強い。話をするだけでも嫌なのか。
「今まで想像もしたことなかったのにね。だけど、それでもリクちゃんの幸せを一番に考えているから……」
「ありがとう」
陽乃は嫉妬に駆られながらもオレのことを考えてくれている。
やはりオレの幼馴染は素晴らしい女性だ。
「もう一度確認するけど、リクちゃんは彩奈ちゃんと付き合ってないんだよね?」
「うん」
「でも彩奈ちゃんのことが好きだと……」
「そう、なるかな……」
星宮はオレの命を救ってくれた恩人。
陽乃はオレの人生を支えてくれた恩人。
どちらを選ぶとか、できる気がしない。
自分が女の子を選べるような立場にいるとは思えないのだ。
何よりも星宮の気持ちが一番重要だろう。星宮はオレをどう思っているのか、気になって仕方ない。
「リクちゃんが答えを出すまで……私、待ってるから」
「でも嫉妬はするんだろ?」
「うん」
即答する陽乃。答えは待つけど独占欲も健在……。
ある意味器用な心の持ちようだ。
けどまあ、こうしてお互いに本音をぶつけ合い、わだかまりはとけた気がする。
一歩前進した、と言うのだろうか。オレは陽乃の本音を知り、陽乃もオレの本音を知った。
「大丈夫だよ。もしリクちゃんが彩奈ちゃんを選んでも恨みはしないから……。ムッとするし、泣くだろうけど。あと毎日嫉妬で暴れまわると思う」
……それ、間接的な脅しじゃね?
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