37時限目「トラウマ【サイレント・ボイス】(後編)」


 一国のお姫様のように清らかだった。

 或いは、森の奥で人知れず、湖の上でのどかに踊る。穢れの知らない妖精のように美しかった。

 

 これが本当に、あの無礼極まりない失礼な少女なのだろうか。


 口から奏でられる歌声はディージー・タウンにいた、どのコーラスグループよりも綺麗だった。そこらの弾き語りなどごっこ遊びに思えるほど、クロードはその空気に吸い込まれていった。


 思わず、見惚れてしまっていた。

 扉を開けてそのまま、クロードは数秒ほど、歌い続けるアカサの姿を眺めていたのである。


「……ありゃ?」

 アカサがクロードの方へ振り替える。

「何か人の気配がすると思ったら、クロードだったよ」

 扉の開く音。妙に後ろから風通しを感じたか、アカサは自身の髪を撫でた。


「見かけなかったら、何処に行ったのかと」

「おやおや~? 心配してくれたのかな~?」

「そうじゃありません。スカーレッダさんを置いて行ったりしたら、ロシェロ先輩とブルーナ先輩を困らせると思ったからです」


 クロードはデッキの柵へと手を伸ばす。

 広く続く平原。遠くには、お世話になっているディージー・タウンの光景が豆粒ほどにだが見え始めている。


「サンキューね」

「何がですか」

「助けてくれたでしょ。おかげで、楽器取られずにすんだよ」


 背負っているギターケースを手に、アカサが礼を言ってくる。


「止めたのはマティーニさんです。お礼を言うならあの人に……何処にいるか分からないけど」


 結局、あの場を立ち去られてから、マティーニは一切姿を現さなかった。

 列車に戻ってくる際も見かけなかった。一体どこへ行ったのか。


「……歌、上手いじゃないですか」


 ふと、クロードは声を漏らす。

 それは無意識だったのか、意識したのかは分からない。自然と流れるように、クロードはそれを口にしたのである。


「おやおやっ? ちょっと顔を赤くしてたけど、もしかして見惚れてた?」

「そんなわけないです。勘違いしないでください」

「いやいや、嘘は良くないぞ~。ムッツリクロード君は嘘が下手ですな~?」

 

 ニマニマしながら、アカサが顔を覗き込んでくる。


 悔しい。ハッキリ言って悔しい。

 確かにクロードは迂闊にもアカサに一瞬だけだが見惚れてしまった。それ以上に悔しいのは見惚れていた相手がこんなにも“苦手”としている女性が相手だったことだ。


 手玉に取られていじけそうになっている。クロードは頬を膨らませ、そっぽを向いた。


「……そんなに上手いのなら、歌えばいいのに」

 また、クロードは流れるようにつぶやいた。

「歌だけじゃない。今日だって、楽器取られそうになったけど……アカサさんには得意の音波攻撃あるんでしょう? なら、どうして、それを、」

「……っ」

 まただ。とクロードは思った。

 人前で大声をあげる。人前で歌う。それを連想させる言葉を口にした途端に苦い表情を浮かべるのだ。


 何か、辛いことを思い出すかのように。


「スカーレッダさんの声は立派な武器だ。人の役に立てるし、その歌声なら人を引き寄せることだって」

「うん、そう、だね……」

 アカサは返事をする。

「私の声は……“武器”だ」

 しかし、それはいつも通り自慢げで堂々とした態度ではない。

 辛そうな表情のまま。心の底から喜んでいないような、複雑そうな表情で通り過ぎていく線路を眺めている。


「スカーレッダさん」

 その横顔を、クロードは当然見逃さない。

「僕、もしかして……あなたに失礼なことをしてるんじゃないかって、思ってるんです。アカサさんいつも、嫌な顔をするから」

「あぁ……あはは、やっぱり、分かる?」

 人差し指で頬を掻きながらアカサは気まずそうに笑う。


失礼にも近い追及を仕掛けたクロードをからかうどころか叱ることもしない。いつもと違って、やはり彼女らしくない萎らしい姿である。


「……アーティストになりたい。そういう夢はあるよ。今も昔も」

 クロードの横に並んだまま、話し始める。

「もう、歌うことは難しいかもしれないけどね」

「難しい……?」

 人前では緊張する。人前では声が出ない、という障害があるのだろうか。

 何を理由に人前で歌えないのか。問おうとするも、アカサが喋っている間は無理に質問を挟もうとはしない。


「私のお母さん。有名なコーラスグループでね。凄く歌が美味いんだ。いっつもお母さんの歌を聴いて、グッスリ眠ったり、笑顔になったり……いっつも元気付けられた」


 ギターケースを揺らし、視線は線路から空へ上がる。


「私もお母さんみたいな歌い手になりたいなって思った。お母さんとは違う形で、私は私なりに……ロックに行ってみようってさ」


 ロックンロール。古代語で“いけている”・“きまっている”。


 要はカッコいいという意味だ。当時から、両親の影響ででカッコいいものと派手なものに憧れていた少女時代。

 自分なりのロックロールを演出してくれる楽器。それが、彼女が愛用しているエレキギターなのだという。


「ディージー・タウンじゃないけどさ。ちょっと遠くの街で友達と一緒にグループ組んでたんだ。それなりに評判も良かったよ」

 ディージー・タウンに来る前。遠くの街では“歌っていた”と口にしている。


 楽器を鳴らすだけじゃない。

自分の声で、その歌を更なる形にする……一人のアーティストとして、アカサ・スカーレッダは魂の叫びを歌い続けていたのである。


 クロードの予感通り、その歌声は非常にレベルも高く、評価されていたようだ。

 まさしく順風満帆。母親と同じように有名なアーティストになれるのも、時間の問題と言われていた。母親の名に恥じぬ素晴らしい芸術家だと、幾度なく称賛されていたという。


「……ただね、そうやってグループで活動を続けていると、同じアーティスト仲間に煙たがられるようになってね。とあるクラブハウスのトップグループが裏で手を回して……私達に襲い掛かって来たんだ」


 今の立場を奪われないように、実力以外の方法でライバルを潰す。


「グループのメンバー、いつ楽器が弾けるようになるか分からなくなるくらい、怪我をさせられた」


あまりにも理不尽な理由で、アカサのグループは窮地に立たされたのだという。


「許せなかった。友達を痛めつけられたのが凄く」

 拳を強く閉じ、唸るように声を漏らす。

「だから……そいつらをぶっ飛ばした。そして殺しかけた……例の“音波攻撃”で」

「……ッ!!」

 例の音波攻撃。


 それは、いつの日か魔物である狼に使った大音量による超音波攻撃。口から出す声を更に倍増させ、更には見えない音の衝撃波まで発生させる。


広範囲の敵を吹っ飛ばしてしまう、凶悪な自衛手段。


「私の声が凶器になった瞬間だった。声で他人を幸せにするはずが、その声で人の息の根を止めかけてしまったんだ」


 死にかけた人間達。大切にしていた“声”によって苦しむ人達。

 今も尚、その光景の記憶が鮮明に残っているのか分からない。出来事を口にするたびに体が強く震えていた。


「怖かった」


 声が人を不幸にした。

 その事実が、強くアカサのトラウマになったようだった。


「そのあと、憲兵に見つかっちゃってさ。私は殺人未遂。アーティストの娘が、その伝統ともいえる芸術で人を殺しかけた。それも一気に噂になっちゃって、お母さんにまで飛び火しちゃってさ」


 何より、被害を被ったのは彼女だけじゃない。

 その火花がよりにもよってアカサの母へと向かった。今後の活動に多大な支障を残すニュースを作ってしまったのである。


「母さんは事情を把握はしてたけど……やっぱり、泣いてた。周りもガッカリしてた……それから、私は人前で歌えなくなった」

 人が苦しむ姿。落胆する姿。

 その光景がトラウマとなって蘇る。アカサはついには人前で“大声”を発しづらくなった。“


「だけど、夢を諦めようとは思わなかった。そこでやめたら、あの卑怯者たちに負けたような気がしたからさ。だから、私なりに作品を作れる形を探しに、この街へやって来たんだ……向こうだと、かなりやりづらかったからさ」


 圧力、周りからの視線もあったのか、故郷での活動の再開は難しかった。

 だからこそ、こうして隅っこの田舎町へ。音楽という文化が主流となっているディージー・タウンへと流れ着いたワケである。


「母さんを置いてくのは辛かったけど、応援してくれて……一人暮らしが出来るように仕送りとかも送ってくれて。だから、それにも応えたい」


 ギターケースは大切な宝物。大切な夢。

 何よりも大切にしている。そればかりは、譲れないという態度が現れていた。



「……ごめんなさい。やっぱり僕、無意識に傷つけてた」

「気にしないって。クロード、私の事知らなかったんだし」


 すると、アカサはいつも通り愉快に笑っていた。

 昔の嫌な出来事。その不安を誰かに口にしたことで少し落ち着いたらしい。誰もいないところで、一人寂しく歌うよりも、ずっと。



「しかし、何か新鮮」

 笑いながら、クロードの背を摩ってくる。

「アンタに素直に謝られたり、畏まれるとさ」

 いつも、社交辞令もクソもない態度で接しているクロード。

 避けられているのをもしかしなくてもアカサは察していたようだ。だからこそ、こうして面を向き合って接して貰っていることに、何処か新鮮な空気を感じていた。




「……何か、似てたから」


 クロードはそっと口にする。


「僕に」


 フェアじゃない、と思ったのか。

 それとも……言い出さずにはいられなかったのか。





 理由。彼女から目を離せなかった理由。

 クロードも……過去を話す。


 ディージー・タウンへやってきた理由を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る