後日談①
あの日から2週間ほどが過ぎた。
結局のところ私は、あれからまだ屋上へは行っていない。
模試の日の帰りに少しだけ寄ったきりだ。
そのときも、蜘蛛はまだそこに形を綺麗に保ったまま、死んでいた。
お昼と違って風が少し吹いていて、ああ、秋なんだなぁ、と意味もなく思った。
そんな私は今、気まぐれに売店で買った少し硬めのドーナツと、個人で用意した委員会用のファイルを持って屋上への階段を登っていた。
自分の学年の階から屋上を見上げたときは数人の人がいたが、もう誰もいなくなっていた。
私は迷わず例の場所へ歩いて行った。
蜘蛛を殺したあたりの柵を見てみると、自分でも驚いたのだが、まだ綺麗に形を残して薄っぺらい死骸のまま、そこに張り付いていた。
あれから少しばかりだが雨も降ったというのに。
どうしてお前はここにいるんだ。
何を感じるでもなくただ思った。
私は、はぁ、と小さく息をして景色に目をやった。
近くの小学校の校庭では、相変わらず小学生が走り回って遊んでいる。鬼ごっこだろうか。うまく聞き取れないが、子供特有の甲高い声も小さく響いて聞こえる。
遠くの方には海が見える。私は生まれてこの方、この海しか知らない。他のところの海も見てみたいものだが、そもそも海辺に行くことも滅多にないのだから、この海でさえ、私は景色としてしか知らないのかもしれない。
私は近くに置いてある長机にファイルを置き、ドーナツの袋を破いた。
開けた瞬間、ドーナツの甘い香りがマスク越しに鼻をくすぐった。
どういうわけか、私はマスクをしていた方が嗅覚が敏感になる。しかしドーナツの香りは些細なものではなかったらしく、マスクを外してみても、その香りは甘かった。
私は立ったままドーナツをかじった。
硬めのドーナツは歯応えがしっかりしていて、優しい甘さだった。薄くかかっているフォンダンも砂糖を感じさせる食感が楽しかった。
2、3口かじったところで私はすぐそばにあったベンチに浅く腰掛けた。屋上にいるのは私だけであるものの、通りすがる人達はあの模試の日ほど少なくはなく、一瞬背中に向けられる視線がなんだか気持ち悪かった。
視界にある蜘蛛が遠くなり、目の悪い私にはさもなくば見失ってしまいそうな黒い点になり変わったように見えた。
そのまましばらく、からくり仕掛けの人形のようにドーナツを口に運び続けた。
そのドーナツは小さいものだったから、5分もしないうちに食べ終えてしまった。
残った袋を小さく結び、私はファイルを持って立ち上がった。
「君はいつまでそこにいるのかな。未練も何もないだろうに」
留まってくれようとさっさと塵になって消えようと、私には関係のないことなのだが。
「夕日が綺麗ですね。……いや、あんたの気持ちなど私が知ろうとどうでもいいし、そもそもまだ昼なのだが」
ただそこに、そのまま存在できているのか。それがおもしろいだけだ。
私は踵を返し、いつも通りに図書室へ向かった。
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