明日の月は綺麗でした

陰陽由実

明日の月は綺麗でした

ああ、かったるい。

めんどくさい。

精神やられてるわ。

土曜日の午前。いつもなら遅くまでのんびり寝ている日なのだが、今日はいつもの時間から学校にいる。

模試があるからだ。

1教科に1時間以上、なんなら2時間ないくらいの教科もあるほど長い時間が与えられているにも関わらず、難しいものだからちゃんと解けないものが多くて後半は時間が余り、結局寝てしまう。

午前だけで済めばいいのに、あいにくにも午後にもやらないといけない科目がある。

もう面倒くさくて仕方がない。

私は進学しないんだ、なんでこんなことをしないとならないんだ……

机につっぷしてうだうだと考えていたらチャイムが鳴った。試験時間終了とともにお昼休みの始まるチャイム。

ああ、終わったのか。どうでもいいけど。

用紙を回収して先生が出て行くと、とたんに教室は騒がしくなった。

筆記用具を一旦片付けながら集まる人達。

解答を確認しあう人達。

終わった、絶対点低い、と騒ぐ人達。

弁当の入ったバックを持って他クラスへ行く人達。

私はそのいずれでもない。

教室の端っこでひっそりと弁当を広げて食べ始めた。

この空気は嫌いだ。

それとも自分の気分が沈んでいるからそう思うのか。

卵焼きをもそもそと食べながら教室をちらりと見回した。


カチャリと音を立てて箸を入れた箸入れを勢いよく閉じる。

私にとって少し大きめのはずの弁当を15分ほどで食べ終わってしまった。まだ休み時間は30分もあるのに。

暇だ。

いつも逃げ込んでいる図書室は今日は開いていない。かといって教室ここに何もせずに座っているのも嫌だ。

私は自分の席から立ち上がり、教室を出た。

正直本当に暇なので時間になるまで校舎を歩き回ってやろうかとも思ったが、それもなんだか癪だった。

自然と私の足は屋上へと向かっていた。

もうすぐ11月になるから外は寒いと思ったのだが、風はなく快晴で、逆に少し暖かかった。

誰もいない。

普段なら数人ばかりの人がいて、先生も時折通りかかるのに。騒がしい校舎も心なしか静かに思えた。

端っこの柵に近づき、1番景色のいい方を向いた。

屋上へ来るのは一体いつぶりだろう。

ここの景色はこんなに綺麗だったろうか。

見えているのは普段いつも自分の通っている道に、森のようにあちこちに茂っている街路樹。道路を滑るように動く自動車。近くの広い公園では走り回る小学生が見える。

なんの変哲もない日常を少し高いところから見ただけなのに。

不思議だ。こんなに変わって見えるなんて。

私のいる街なのに、私の存在のない、どこか別の世界を眺めているみたいだ。

この世界は、私を受け入れもしないし拒みもしない。

私に気づいてさえもいない。

不思議な気持ちにさせられる。

ふと、私の喉元までの若干高く感じる柵に小指の爪の先ほどの、小さな蜘蛛が歩いているのを見とめた。

かさかさと、小さな足を器用に操って私の前を通り過ぎようとしていた。

私はついと手を伸ばし、右手の人差し指の爪のネイルプレート、つまり爪のピンク色の部分を蜘蛛にとんっ、と押し付けるようにしてあてた。

蜘蛛はなんの手応えを感じるでもなく、無抵抗とも思えるほどあっけなくペシャッと潰れた。

潰し損ねた部分もとんとんと軽く弾くように、弾むようにして何度かあてると完全に潰れてしまった。

あとには綺麗に形を保ったまま柵に張り付いた薄い蜘蛛の死骸と、いつの間にか指についていたきらりと光を反射する短いクモの糸が残った。

なんだか指が重い。でも嫌な重さじゃない。逆に軽くも感じる。

私はふふっ、と嗤った。

「明日の月は綺麗でしょうね。いや、綺麗でしたね、かな」

最近覚えた、気に入っている言葉をアレンジして呟いてみる。

だって過去のことなのだから。

気がつけば試験が始まるまであと10分になっていた。

どうしてだろう。心なしか、気分が良い。

私は指についた糸を払い、踵を返した。

蜘蛛を殺した指は重くて軽い。それどころか、どこか心地いい。

蜘蛛の生力を無理矢理奪い取ったみたいだ。

放課後もここへ来よう。景色と蜘蛛を眺めにこよう。

なんなら頻繁に来てもいいかもしれない。

私は人差し指を眺めながら、教室まで少し遠回りして行こうと決めた。

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