10月31日
神崎玲央
第1話
ピンポーンなんて、そんな音が響いたのは10月31日の23時過ぎ。こんな時間に誰だ、と穴越しに覗いた玄関の向こうには見慣れた顔と見慣れない服装。一瞬眉を潜め、溜息混じりに扉を開けた俺に
「あ、先輩!」
と後輩はにっこり微笑んで俺へと告げる。
「トリックアンドトリート!」
「急にやってきて随分と図々しい要求だな?」
「お得な感じがして良いでしょう?」
一粒で二度美味しい的な!そう言って後輩は両手でピースをしてみせる。
「それ美味しい思いをするのはお前だけだろ」
「お邪魔しまーす」
響いた元気の良いその声に俺ははぁ、とそう漏らして
「とりあえず色々と聞きたいことがあるのだが」
すとんと躊躇なくベッドへと腰掛けた後輩へと目を向けた。
「そんな舐め回すように見ないでください…」
先輩のえっち、頬に手を当てながら恥ずかしそうにそう口にしてみせる後輩の服装は上から下まで見渡す限りの、黒。
「その、格好はなんだ?」
「なにって修道服ですよ」
知らないんですか先輩?と頭のその黒いベールが揺れる。
「知ってるがそこじゃない」
きょとんと向けられるその不思議そうな表情に俺は目を細めて、問う。
「なんで修道服を着てる」
「ハロウィンですもん」
「その格好でここまで来たのか」
「いえ、そこの公園のトイレで着替えました」
そう言って後輩は窓の外を指差す。
「この服裾が長くて存外着替え辛かったです。トイレでの着替えはおすすめできないですね」
「そんなアドバイスをもらっても活かせる時は来ない」
俺の言葉に後輩はあははと声を上げた。
「来るなとは言わないが一言入れろ、着替えておいて俺がいなかったらどうするつもりだったんだ」
「大丈夫です、ちゃんと先輩がバイトから帰ってきたの確認してから着替えたので」
「…確認してから?」
「はい、確認してから」
後輩はそう言うと親指と人差し指で丸を作って目に当てる。
「どこから」
「そこから」
後輩はそう答えて今度はドアの向こうを指差した。
「あそこの喫茶店はタルトがおすすめです」
「甘いものは、得意じゃない」
知ってます、そう言うと後輩は
「……なんだ」
じっと、その瞳を真っ直ぐ俺へと向けた。そして言う。
「感謝してくれても良いんですよ?」
にっと上げられた口角に俺は問う。
「なにがだ」
「なにがって」
俺の言葉に後輩はやれやれとそう口にしてその肩を竦めてみせると
「10月31日、ハロウィン」
ハロウィンなんですよ先輩、と後輩はそう言葉を続ける。
「そんな日に、バイトが終わって直帰。この夜を一緒に過ごす相手がいないひとーり寂しい、先輩」
後輩は一度そこで言葉を切り静かにその場に立ち上がると
「そんな先輩のために、心優しい後輩がわざわざお家まで訪ねてきてあげているんです」
こーんな素敵な格好までして、そう言って両の手で修道服の裾を持ち上げてみせた。
「感謝してもしたりないと思いませんか?」
一歩俺へと近付いて上目遣いでそう問いかけてくる後輩へと俺は答える。
「お前はハロウィンをなんだと思っているんだ」
「コスプレして夜な夜な騒ぐイベント」
それかハロウィンに託けてコスプレしたカップルがいつもとは違うあつーい夜を過ごす日、続いたそんな言葉に俺は
「お前は本当にハロウィンをなんだと思っているんだ…」
はぁ、と溢した俺にえー、と後輩は不服そうにそう声を上げると
「でも、実際どうですか?」
そう口にしてもう一度ベッドへとその腰を下ろした。
「修道服を着た可愛い女の子に、悪戯されるシチュエーション」
先輩お好きじゃあありませんか?そう言ってその目を俺へと向ける。
「どこか現実離れしてるのに、背徳的で」
甘美だと思いません?そう問いかけて小さく首を傾げる。ぎしりとベッドの軋む音が、響いた。ねぇ
「せーんぱい」
そう俺に呼びかけて黒いベールの下で後輩はどこか妖艶な笑みを浮かべる。
ゆっくりと交差された足。黒色で覆われた肌が修道服の隙間からちらりとのぞいた。
「…つに、」
「え?」
「別に、お好きじゃない」
ベッドの上から目を逸らしながらそう返した俺に
「えー」
と後輩はもう一度そう声を漏らした。
「それはざんね……あ!」
残念、とその言葉を言い終わる前に突如響いたそんな声に、驚いて思わず振り返ったその先には壁へと目を向ける後輩の姿があった。
「おい」
「あ、はい!」
はっとした様子でそう声を上げた後輩に俺は問いかける。
「どうした?」
なにがあったんだ、そんな俺の言葉に後輩は「じ、実は」
とどこかしおらしい態度を取りその口元に手を当てながら言う。
「終電を逃してしまって…」
伏せ目がちに告げられたその言葉に
「いやお前の家ここから徒歩10分程度だろ」
終電も、なにも。そう俺は言葉を続けた。
「て、てへ」
後輩はその赤い舌をのぞかせながらそう言うとちらり、もう一度その目を壁へと向ける。そして
「先輩!」
そう口にして勢いよく、立ち上がった。
「先輩!」
先輩先輩!と言いながら俺の元へと近付いてくる後輩に
「お、おう」
なんだどうしたと困惑しているとぴたり。俺の正面に後輩は立ち、そして大きく息を吸う。
「お誕生日おめでとうございます!」
ハッピーバースデー、です!
響いたその声に
「お、おう?」
ともう一度俺はそう声を漏らした。明かりが灯った机の上の携帯画面には確かに変わった暦が映し出されている。
10月31日が終わり迎えた11月1日。ああそうだ今日は
「俺の誕生日、だな」
「はい!」
おめでとうございます!そう言って後輩は満面の笑みを浮かべた。
「先輩にとってこの1年が、良い1年になりますよーに!」
後輩はそう言葉にするとはっと一瞬その目を開き、胸の前で両手を合わせて指を重ねる。そしてそっと静かにその瞼を閉じて
「どうです、それっぽいでしょう?」
おぉ、神よと呟いた。確かに
「格好だけは、それっぽいな」
「そうでしょう?」
えへへと後輩はそう声にして頬を緩める。そして
「よし」
と小さく口にするとくるりとその背を俺に向けて
「帰ります」
それじゃあまた!とその手に荷物を取った。向けられたその朗らかな笑顔にいやちょっと待てと俺は声を掛ける。
「はい?」
どうされましたと後輩は不思議そうな表情を浮かべると
「私、明日1限なんですよ」
用件は手短にお願いしますなんてそんな言葉を続けてみせる。
「か、」
「か?」
「帰るのか?」
「はい」
もう用件は済みましたので、後輩はそう言うとふっと途端に大人びた表情を浮かべて
「私が帰っちゃうの寂しいですよね、わかります。でも私明日早いので…」
ごめんなさいね、とそう口にして後輩は優しくベールを揺らした。
「また、遊びに来ますから」
泣かないでください、なんて言葉を放ち俺の頭へと手を伸ばそうとしたそんな後輩に
「いや、そうじゃなく」
俺は否と声に出す。
はい?と傾げられたその顔に俺は向き合い問いかける。
用件はもう済んだと言った、つまり
「お前、俺の誕生日を祝いに来たのか?」
「はい」
なんでもない顔でそうですよと後輩は肯定の言葉を紡ぐ。
「こんな、時間に」
「はい」
「そんな格好までして?」
「似合ってませんか?」
可愛いでしょう?と後輩は小さく修道服の裾を摘んでみせた。いやまあ確かに
「似合っては、いるけれど」
「んま!」
後輩はそう声にすると驚いたようにその手を口元へと当てて、やっと先輩が素直に…!と嬉しそうにその身体を左右に揺らす。そんな後輩に俺は投げかけた。
「なんで」
「ん?」
「明日、学校で会うだろう」
どうして、わざわざ。そう口にした俺に後輩は
「…えー」
眉を下げながらその頬を掻くと
「聞いちゃいます?それ」
困ったなぁと小さく目を細める。そして
「んー」
その腕を組み悩む仕草をみせるとまあ先輩鈍感だもんなぁと呟いて
「仕方がない」
よーく聞いてくださいね、先輩と俺を見つめる。そして一度、こほんとそう響かせて
「一番最初に、お祝いしたかったんですよ」
先輩の誕生日を、私が。そう言ってその頬をほんのりと赤らめた。
「なんで、照れているんだ」
「恥ずかしいからですよ」
えぇ…と後輩がその顔を引きつらせる。
「恥ずかしい、のか」
「恥ずかしいですよそりゃあ」
そうかと溢した声にはいと短く返ってくる。そして少しの沈黙の後に
「先輩」
とそう名前を呼ばれた。
「私が一番に、おめでとうございますを伝えたかったんです」
伝えたかったんですよ、と後輩はそう繰り返しもう一度その言葉を俺へと告げる。
「お誕生日おめでとうございます、先輩」
にっこり、後輩は俺へと向けて微笑むと
「それじゃあ本当にそろそろ帰りますね!」
プレゼントはまた明日!そう言ってその背を俺へと向けた。
「待て」
「もー、まだなにか?」
明日1限からなんですってばー、と止まらないその足に俺は口を開く。
「服を脱げ」
どさりと荷物の落ちる音がした。
ぎぎぎとゆっくり振り返った後輩の顔は、赤。ぱくぱくとその唇を動かした後
「え、っえ!?」
響いたそんな声に俺は静かにしろと返しながら
「ほら、早く」
服を脱げともう一度告げる。そんな俺に後輩は
「ふ」
「ふ?」
「不束者、ですが」
お願いします…とだんだん語尾を小さくしていった。そして一度大きくあ!と叫ぶと
「あのそのシャワーだけは浴びたいです!」
口早でそう俺に言う。いや
「シャワーは家で浴びてくれ」
「先輩私、こう見えて初めてなんです!」
「いや前にもあっただろ」
「え、いつの間に!?」
いつ誰とどのタイミングで!?とわたわた。何故か修道服を揺らしている後輩に、俺は時計へと目を向けながら
「ほら送っていくから早く着替えろ」
脱衣所の場所分かるだろ、とそう言葉を続ける。
そんな俺に俺の言葉に後輩は
「……すー、はー」
とその場で大きく深呼吸をしにっこりと微笑んだ。
「…まあ、先輩ですもんね!」
ええ、そう!そうですよね!と1人大きく言う後輩に
「なにがだ」
「なんでもありませーん」
後輩はそう言うと足元の荷物を拾って脱衣所へと向かう。
「覗かないでくださいね?」
「あぁ」
「覗いても良いですよ?」
「?覗かない」
あははと後輩の笑い声が響く。それじゃあ着替えてきます、と脱衣所へ消えていくその背中に
「なぁ」
と俺は声をかけて、言った。
「ありがとうな」
その言葉に後輩は脱衣所の扉からその顔を覗かせると小さく、その黒いベールを揺らしてみせた。
10月31日 神崎玲央 @reo_kannzaki
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