第14話 ビギン

僕は作家

世の中では新進気鋭の政治学者と呼ばれているが、大胆な未来予測ができるのは僕が作家だから。


ペントハウスのだだっ広いラナイにキャリアと二人、部屋の灯りはすべて消してあるので地上の光がかすかにここ32階まで届く程度の明るさのなか、テーブルにはベイゼルヘイデンのボトルとアイスを入れたグラスが二つ。

ヒロから戻ってから一晩考えた後、キャリアに僕という人間のビギンを話そうと決心した。

ちょっと長くなるが、それはこんな物語だ。


キャリアの祖父が台湾人だったのとは微妙に違うのだけど、僕の祖父は日本と満州のダブル人種、曽祖父が南満州鉄道映画部の監督・脚本家として新京にいた1929年満州人との間に生まれた、これがビギンの始まりだった。

母親というのが清の愛新覚羅一族の女性だったことがビギンの核心だ、僕ら一族の運命を支配した。

日本人と満人との結婚は満州国成立の理念にとっても喜ばしいことだったが、曽祖父には日本に妻子がいたこと、相手の満人が愛新覚羅一族でも太祖ヌルハチの血を受け継ぐ嫡流の令嬢だったことから、祖父の誕生は誰にも祝されることはなかった。

祖父は東京の満州国大使館の一等書記官だった夫婦に引き取られ、日本の敗戦に伴って満州国が消滅した後は、愛新覚羅家と付き合いの深かった日本人侯爵家の客人して育てられた。

祖父は両親から授かった絵の才能を生かし成人した後はミラノに移り住み、作家としてはたいして評価を得ないながらミラノの日本人コミュニティからは好意を持って受け入れられていた。

それをコモ湖の邸宅で毎夜催されるパーティのせいだと揶揄されようと祖父は外国の地で自分の居場所を見つけたのだった。

祖父が海外生活を決めたのには大きな秘密がある。

祖父、父そして僕も、我が家の男性は20歳になるとスイスのプライベートバンクから口座を与えられる。

そのためにやはりスイスの弁護士事務所と面談をする必要がある、面談では金の由来から口座使用方法などが説明される。

僕の場合は最初に日本円にしておよそ5000万円がはいっている、およそというのはこの信託基金は1932年時点でのスイスフラン建てだからだそうだ。

本人が死亡した時点でこの口座は消滅する、つまりこれは愛新覚羅一族の子孫への永久的な基金らしい。


祖父がミラノに住み続けたのは自分の出自を知るものが少ない土地に逃避したのと同時に出所不明な資金を詮索されたくなかったからだったと想像できる。

この資金は常に最初の金額が満たされることになっている、つまりいくら使っても補充されるようになっている、養老の滝のようなものだ。

コモ湖の邸宅で繰り広げられた華麗なる夜会はもちろんその資金のおかげだった。

ミラノで日本人声楽家と結婚した祖父は49歳の若さで交通事故で亡くなった。コモに向かう途中のアウトストラーダでの自損事故だったと聞いている。

祖母はイタリア生まれの父を連れて日本に戻り再婚した。

父も20歳で口座の秘密を知って、自分の先祖に人生を鷲づかみにされたように感じ、歴史の中に埋没しそうになった。

父はその解決方法として、口座には一切手を付けず、平凡な高校教師夫婦としての一生を過ごした。

その父も二年前退職と同時に亡くなってしまった。

祖父が逃避した気持ちも、父がストイックに生きた気持ちも僕には理解できる。

限りない資金を使うことの恐怖がよくわかる。

成人した年の誕生日に、スイスの弁護士の代理人と会った。

金額、使い方は先に説明した通りだが、ひとつだけ厳しい条件があった。

【自分が危機に陥った時だけの使用】

ご先祖が考慮したのは、代々の子孫の存亡に際しての緊急資金だったに違いない。緊急の一時金が5000万円というのがいかにも清朝の末裔らしく贅沢ではあるが。


「教授は何度使ったの実際?」

黙って聞いてくれていたキャリアがしばし沈黙の後僕に質問する。

「一度目は君から勧められたPHを買うとき、二度目は大学の人材育英基金に寄付した時、その二回」

「もしかして、それって私がお願いしたことばかりじゃない?」

PHはキャリアにキャッチセールスされて契約した。

大学への寄付はキャリアに教授になって欲しいと熱く懇願されたので奥の手として。

「もちろん、キャリアのせいではないよ、この資金は僕が危機に陥った時に使うためのものだから」

「危機って?」

「キャリアと親しくなる方法が見つからなかった、最初に会ったときは。

 二度目は教授になれるのは微妙だったけどキャリアやママに認められたかった。

 どっちも僕にとっては人生で最大の危機だったんだ」

「やっぱり私のせいにしてない?」

「今は別の危機だったという確信に近いものがある。

 アジアの民族が力を合わせるための出会いだったと思っている、僕とキャリア

 が出会って愛し合うことが定めだった、もしそれがなかったら・・・?」

「もしかして ハワイ、日本、中国、台湾の神々が私たちを巡り逢わせたの?」


カウアイ島の白日夢の謎が解けてきた。

ハワイを含めた広大なアジアの平和な営みを託された僕たち。


「私たちに何ができるのかしら」

「生き延びること、そして見つめ、予測することだと思う。今人類は大きな

 歴史の転換期に直面している、僕の未来予測はおそらく間違っていない。

 AIの暴走ひとつとってもこれはSF小説の恐怖とは思えない」

「カウアイ島の不思議と関係あるのかしら?」

「何よりもキャリアと出逢った不思議が始まりだったね」


僕は新進気鋭の政治学者であり、作家だ。

いま世界が新しい仕組みを模索して大きく歴史の振り子を揺り動かしている。


ここハワイから僕はそれを見つめていく。

それは僕らに続く人類の果てしない流れのほんのひとこまになるかもしれない。

愛する人たちとここハワイで、それを見つめることができるとすれば、

こんな幸いなことはない。



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