第6話 パラダイス

僕は作家

世の中では新進気鋭の政治学者と呼ばれているが、大胆な未来予測ができるのは僕が作家だから。


ハワイのPHに住んでいない時、

東京にいるときの僕は透明人間のように目立たない。

若者憧れの港区青山に住んでいるが、そこは何の変哲のないシェアーハウスだ。

シェアハウスは安くて便利だけど人付き合いの苦手なものには気が重い。

だから僕は人と付き合わないようにしている、毎日研究室に朝早く入って夜遅くまで調査執筆、また雑多な業界会合にまめに出席し出張も厭わない。

眠る場所なんてどこでもいい、家族も恋人もいないから、今東京には。

だからたびたび海外でフィールドワークと称してハワイに滞在するようになったのは、すべてキャリアと過ごすためだ。

キャリアもそれを知っていて、僕に「濃密な友人」のタイトルをくれた。

そのとおり

ハワイに来るのは「タイトル防衛」のため。


だだっ広いPHはだからキャリアと大切な時間を過ごす貴重な小道具のひとつだけどパラダイスではない、

濃密とはいえまだ友人なのだから。


ハワイでの仕事はどうしてもサイドワークに偏ってしまう、別名義のあれだ。

いまどきらしく原稿打ち合わせも入稿も校正もすべて海外のどこにいてもメールでできてしまう。

編集者の管理が厳しい売れっ子作家ではないのもこんな時は都合がいい。

でも貴重な収入源を気楽に書き散らすわけではない、常に読者に喜ばれることを優先に書いている。

そもそも文学賞の類には端から興味もない。

今回の滞在中にもアイドル青春映画のノベライゼイションが一本、そこで主演したタレント歌手のエッセイを5編をセットで請け負っている、

エッセイのタイトルはもう決めてある、

「南十字星との誓い」

「ウミガメさんの意地悪」

「ウクレレが弾けた」

「フラダンスの少女」

「ロコモコって、ヤダ美味しい」

ハワイでのグラビア撮影の合間に思ったことを日記に書いたという設定だ、続編もある。

すでに告白したように、これらは必ず売れる、それもたくさん、だってグッズだから。


一方、

キャリアの仕事の仕方はマイウエイの極地、テスラ社でもそれを貫いている。 

本人はそれをフレックスタイム制だと宣うがそれもこれも僕との時間を作る愛すべき言い訳だ。

だからキャリアとのデイトには決まった時間がない。彼女が決めた時間がデイトの時間、僕に文句はない。

テスラオフィスはワイキキ中心部だから、ワイキキ近辺でデイトすることが多い、そしてランチを兼ねることも。


今日はマジックアイランドの突端に隠れるようにしてできた小さなラグーンで砂の上の昼食会の予定だ。

PHからぶらぶら歩いて15分、途中GABAでおにぎりを4個買う、キャリアの大好物だ、ママのおにぎりの味がするらしい。

GABAではわざわざ日本から籾米を運んできて店内で精米したてのお米を炊いて、おにぎりにしている。

ママのおにぎりというよりも古き良き日本のおにぎりに近いのだろう。

具材も梅、昆布、鮭、野沢菜、おかか、と純日本ラインなので地元住民でも日系のお客が圧倒的に多い。

今日は昆布と鮭を二個づつ予約しておいた、

崩れないよう注意してナップサックに入れる。


アラワイ運河をまたぐアラモアナ通りの大きなブリッジを上って下ったところを左に入るとアラモアナ公園のゲートが見える、その先に駐車場がある、

ホノルルトライアスロンレースではバイク・トランジッションになる広いスペースだが今日はがらんとして車の数も少ない。

音もなくガルウィングの純白のテスラが光り輝きながらその大きな車体を静かに駐車ラインぴったりに停止させる。

ドアを跳ね上げながら、

「おまちー」

最近おかしな日本語になっているキャリア、SONYを辞めてからどんどん日本語が崩れてきている。

「おまたー でしょ キャリア」

「それは下品、お待たせ―が正解」

これ以上は逆らわない。


後部スペースから組み立て式のデッキチェアセットとワインクーラーを引っ張り出すのを手伝う。

「カリフォルニアのスパークリングでよかった?」

両手にテーブルセットとクーラーを抱えた僕に文句を述べる余裕はないよ。

キャリアのトートバッグの中でカチカチと音がするのは、きっとお気に入りのバカラのグラスに違いない、ちゃんとナプキンでくるんでいるよね。

アラ・ワイ・ヨットハーバーの遥か先にダイヤモンドヘッドがくっきり見える、空に現れる雲は刷毛で描かれたように現れては、ワイパーで払われたようにすぐに消える、

本日は晴天ランチなり。


シルバーグレイのアルマーニを脱ぎ捨てて、ブラウスをロールアップし、大きな白いハットをかぶったキャリア、

僕はブルーのJ・クルーのショーツにジェームス・パースの開襟シャツ、ナイキのキャップはもう汗でびっしょりになっている


一時過ぎなのに、いや一時過ぎなのでラグーンには誰もいない。

大きなデッキチェアーに二人で抱き合って横になる、しばらく何もしゃべらないままでいるこの時間が気に入っている。

その間にも太陽の熱で肌がひりひりしてくる

「もう耐えられないね」というキャリアの言葉を合図にワインを開ける。

冷たく冷え切った泡の粒ひとつひとつが喉の奥に吸い込まれて身体がほっと息をつく。

二人でもう一杯お代わりをするとボトルは空に、そこでGABAの出番、

恍惚の表情でおにぎりを頬張るキャリア。

二つぜーんぶ食べ終わったキャリア、

「オイワセ!」

美味しくて幸せなのだと。


外洋の潮の寄せる溜め息、引くさざめき、

空港を飛び立った飛行機のかすかな爆音、

遠くのビーチから聞こえる子供たちの歌声、耳を澄まさないと聞こえない梢の囁き。


眼を閉じたままで感じるパラダイス。

僕らのワイキキデートはこんなものだ。

この日常的であってシュールなひと時。

ここは、

マジックアイランド。

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