第5話 トライアスロン
僕は作家
世の中では新進気鋭の政治学者と呼ばれているが、大胆な未来予測ができるのは僕が作家だから。
ハルキというペンネームでライトノベルも書いていることを覚えているかな?
村上春樹先生のイメージにはトライアスロンが欠かせないことも?
マラソンは根性で走りきる僕だけど、トライアスロンはスイムというテクニカルパートが難関、そこでペンネームに箔をつけるためちょっとだけクロールを練習している。
あの「キャリアジム」には真水の(無塩素)身体に優しい25mプールがある、そこで特別ユニット五人組「デストロイヤーズ」の一人 舞台美術監督と一緒に筑波大学の水球選手に個人レッスンを受けている。
お察しの通り、監督ちゃんはそのコーチがお目当て、飛び出たお腹に食い込むぴちぴちのバナナパンツが眼に痛かったな、
またまた横道世之介だ。
ハワイにはアイアンマンレースというビッグな世界選手権レースも開催される一方で 愛すべきローカルの大会もある。
僕が眼をつけたのは、かって村上春樹先生も出場したというホノルルトライアスロン、毎年五月の連休明けに開かれるのはホノルルマラソンと同様に閑散期の日本人観光客誘致目当てだった。
ところが、スポンサー問題などいろいろあった後、今一度トライアスロンの原点に戻って手作りにこだわった結果、地元アスリートも絶賛の心地よいローカルレースに成長している。
そう、だから僕も出てみようと思うのだ、
と言ってみたいのだが、実はキャリアに惑わされてエントリーした。
それにも一応もっともな理由がある。
SONYを自ら一発退場したキャリア、今はオアフに戻ってテスラハワイのマーケティングマネジャーに採用され業績を伸ばし、相変わらず富裕層殺しの異名を思うがままに手に入れている。
キャリアが勝手にホノルルトライアスロンのスポンサーに名乗り出たのも、スポーツとテスラのエコ活動を支援・普及させたいという理念だとか。
「テスラはエコロジカルアスリートを応援します」・・・僕が考えたコピーではない、念のため。
トライアスリートがエコロジカルかどうかは知らないが、テスラはどう考えてもエコカーには見えない。
むろんそんなことはキャリアには言えない。
今年の大会優勝者にはテスラが一台贈呈される…ということではない、残念ながら、
その代わり一週間の無料試乗(いつでもOK)の権利がもらえるらしい。
もう一度海外の観光アスリートにハワイに来てほしいという狙いもあるらしいキャリア風のダイナミクスマーケティングだ。
「完走したら僕には何か出るの?」
「疲れた身体を、もういいというまでやさしく愛撫してあげる」
これが僕の出場理由だ。
忘れるところだったが、先ほど出てきた舞台美術監督(ジミーという日本人だが)もエントリーしている、当然 顎・足・枕を付けた例のマッチョコーチを伴ってのことだが。
ジミーはホノルルトライアスロンでポリネシアン美形アスリートに巡り逢えるつもりでいる、
おいおい日本人コーチは?と訊いたら
あれは保険だそうだ。
恋多きジミーは初めて見たワイキキビーチに転がっている多民族裸体に、お目眼がハートマークになっている。
「ダメだよジミーちゃん 未成年をナンパしたら」
「大丈夫、私だって未成年に見えるもん」
でっ腹の未成年はそうそういないけどね。
手作りのアットホームな雰囲気とはいえ、主催はハワイ州・ホノルル市 交通規制もしっかりされていて安全な運営・・・と思うと大間違い、
ハワイネイティブも観光客もその行動原点はパラダイスモード、
封鎖した道路を平気で横断する家族連れ、進入禁止に入り込むレンタカー、
セキュリティ担当のポリスも、整理のボランティアもみ~んなホリデイモード。
実際レースは土曜日開催だから仕方ないが、日傘をさした女性警官や子供連れのボランティアも多い。
それ以前に トライアスロンレースを気にしていない、無視している、ワイキキではこんなことは日常茶飯事だとでも言わんばかりに。
確かにハワイはトライアスロンに所縁の強い場所だけど地元の理解は乏しい、
「この暑いのに何が楽しいの?」
「ハワイまで来て苦しことしないで!」
「いいえ楽しいのです、苦しくなんかありません」
初めての経験で僕はそう実感した。
スタート地点はアラモアナビーチ、右手にショッピングセンターの広大な建物が見えるが、左側にはサンゴ礁に囲まれた湾のかなたにコバルトブルーの外洋が広がっている。
砂浜沿いに750m泳いで戻ってくきて1.5㎞のスイム 折り返しの大きなブイ付近が少し波が高いだけであとはキャリアジムのプールのような穏やかさ、ただし真水ではないので味わうと塩辛い。
にわか仕込みのクロールと平泳ぎを交互に繰り返しながらスイムゴールにたどり着いた時には塩分を取り過ぎたため顔にむくみが生じていた‥というのは冗談だけど思いがけずハワイ自然水を堪能させてもらった。
ジミーにはコーチがぴったりと付き添ってサポートしてくれたようで、僕のすぐ前を二人一緒に仲良く海面をけってビーチに向かっている、
と、その後ろから地元のアスリートらしき一団が、コーチに何やら話しかけ笑顔を振りまいている、その数4名。
ジミーの強敵現るの瞬間だった。
二番目は自転車、バイクパートという。
愛車は地元で有名なバイクショップで造ったばかりのトライアスロン仕様のBIANCHI、
そんな上級且つ高級な自転車を僕が知ってるわけがない。
レースエントリーと同時にキャリアにカパフル通りに連れられて行かれた。
僕の体のサイズを細かく調べてそれでOK、
キャリアがテスラの無料試乗券をそっと差し出したので一番上等のパーツをディスカウントしてくれた。
ヘルメット、バイクシューズと一緒にトライスーツというのも購入した、泳いで漕いで走る、この一着で。
ピチピチパッツンでちょっと恥ずかしい。
バイクは3日後に出来上がると聞いて驚いた 、観光客が多いのでビジネスチャンスを逃さない即納体制にしているらしい。
観光客はバイクケースも一緒に購入してバイクを分解梱包すると、帰国の時は一個荷物が増えるだけとなる。
僕はと言えば東京のシェアハウスにバイクを保管する場所はないのでキャリアの実家に預かってもらうことにしたが、これからハワイでバイクを使うどうかは初レースの結果次第だ。
このバイクショップは「IT&B」、アイランド・トライアスロン・アンドバイク、クラブチームもあるという。
お店に入った瞬間、ショップの入り口の先にチームジャージを着用した村上春樹先生のバイクライドの写真が飾ってあるのを見て、キャリアに強いられるまでもなく僕はIT&Bでバイクを注文することを決めていた。
しかし ほとんどはじめてに近いロードレーサーに僕は翻弄された。
細いタイヤ、硬いサドル、バイクシューズ、IT&Bのスタッフの窮屈なフレームセッティング、そのすべてに慣れない僕は、ゆっくりとペダルを回し続ける。
僕の倍以上の体重だと思われるおばちゃん選手に抜かれる、それもママチャリに近いバイクに。
それでも
ハイウエイ1号線を封鎖してもらって自転車を我が物顔で走らせる歓びがそんな屈辱などすっかり忘れさせてくれる。
ほかの自転車と団子になって転倒しないよう一人旅、ダニエル井上空港近くからクエヒ・ラグーン沿いを折り返してマジックアイランドに戻ると40㎞、
大勢の選手に追い抜かれたけど、暑いことは暑かったけど、この爽快感はいったいなんだ。
バイクからランへのトランジッションエリアではキャリアが目一杯ちっちゃなビキニ姿で待っている。
スポンサー特権でトランジッション内を視察しているふりをして僕の方に近づいてくる。
「グッルッキン ダーリン キーゴーイン !」
キャリアの香水が漂ってきた、
レースなんかどうでもよくなった。
「もうここで止めて帰ろうよ キャリア」
「癒してあげないよ」
仕方がないのでバイクをラックにかけて、
運動靴に履き替えランスタートに向かう
「ヘルメットはいらないから」
早く言ってよ。
アラモアナパークをぐるりと回って、最後はマジックアイランドに戻る10㎞ラン、
ランと言っているが別に走らなくても違反にならないので時々歩く。
競歩は歩かないで走ると違反になる、なるほどトライアスロンの方が間違いなく競技規則が甘い。
フィニッシュゲートにはさほど人だかりがないのには強く納得する、僕の後ろにはほとんど人がいないのはラン折り返し地点でわかっていたから。
だからキャリアが心配そうに僕を待っている姿がはっきりと見える、あのちっちゃなビキニだし。
ゴールは遅いに限る
トライアスロンの隠れた楽しみ方だ。
キャリアの熱い抱擁に迎えられる。
もう一度来年も出ようと思うかって?
これからの「癒しタイム」次第だな。
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