第二章(上)

「この空の街は、水災から民を守れる者を作り出すことを目的として【偉大なる思考】を安全な場所へ避難させるために作り上げたもの」

「【偉大なる思考】⋯⋯それは上にいる解析機関のこと?」

「そうだ、良く覚えていたな」

 覚えていた訳では無く、普段から相手をしている機器と同じなだけだが、相手が気付かない様子なのでアリシアもそれ以上は口を閉ざす。

「作り出すには時間が必要。だから【偉大なる思考】を載せて空を飛んでいられるこの場所を作った。同乗を希望する人間を数百人ほど乗せて」

 その選民されて乗り込んだ者が空の街の住民の全てなのかとアリシアは思う。その中に自分の祖先もいたのかと。

 そしてそのやり方は、指導者と取り巻きの幹部だけが助かるために信徒を利用するだけ利用して切り捨てる悪辣な救世組織と変わらないのではと思うのだが。

「地上に残った者の為に、ここで作られた成果を投下していた、一定期間ごとに、水災から民を守る力になれる様にと」

 しかして天空に逃れても、地上に残った信徒の為に力を尽くしていたらしい。だが無償の施しは考えられないので何か裏があるとアリシアは考える。

「投下した者たちが力を合わせれば、水災を回避できる。現に今回の水災は回避できた。空の上から見ていても地上は水浸しにはなっていない」

「力を合わせて世界を水没から守ったのは機械神よ」

 アリシアが無表情に言う。その攻防戦において機械神を操った者の中には自分も含まれている。しかも同時に二機も。

「そうか? ここから投下した者たちは先を越されてしまったか?」

「そもそもここから落としていた世界を水没から守る力ってなによ」

 アリシアはその正体は分かっていたが、嫌味も込めてあえて訊いた。

「キミにもその力の一つを授けて投下したのに忘れてしまったか? それとも改めて説明して欲しいのか?」

 男が言う。

「水災から身を守る力。それは――魔法」

「⋯⋯」

 その言葉にアリシアの中で嫌な記憶が甦り始める。

「なにを御伽噺みたいなことをいっているのだと思っているか?」

 アリシアはそうだとは思っていない。徐々に思い出し始める過去。

「この小さな世界では、御伽噺みたいなことが本当に出来る。なにしろ自動人形創成の時代からこの世界を知るものが乗っている。それだけの時間を背負えば不可能なんて無いと思わないか?」

 それが相手が言う【偉大なる思考】の力なのか。アリシアは思う。自分はそれの同型を扱っていたのに、秘められた偉大なる力を引き出せていないらしい。

「しかしいくら魔法を唱える呪文を簡単にしても、ここに載っている創成期の解析機関しか唱えられない。困り果てたが、ならば最初から魔法が使える生き物を作れば良いと。だからここから作って地上に投下していたのだ、その生き物である、魔女を」

「⋯⋯」

 その言葉を聞いてアリシアの表情が複雑になる。解析機関そのものが魔法を詠唱できると?

「キミには雷の魔法を授けて送り出したのだが。なぜ使わないのだ?」

 その雷という言葉を聞いて、喉の辺りに痛みが広がる。

「キミも魔女の一人として送り出した筈なのだが。そこいらに転がってた猫の木乃伊サンプルから作ったものだから失敗作だったか」

「⋯⋯な、に?」

 今まで相手の言葉を考察するように静かに聞いていたが、そのあまりにも無遠慮に飛んできた言葉にアリシアも流石に混乱を隠せなかった。

「キミも知っての通り此処は空を飛び続けている。予想より早く元になる生命の核が無くなってな。後の方になるとそんなものを素材に使うしかなくなってしまった。同じ様に狐の木乃伊サンプルから作った彼女や狼の木乃伊サンプルから作った彼女は今頃どうしているんだろうか。キミの様に戻ってくるのか?」

「なにをいって⋯⋯」

「事実を知って怒りを覚えたのなら魔法を放ってみろ。私もキミの雷の魔法を見せてもらいたい」

「⋯⋯」

 怒りに気持ちを震わせるが、体には相手が煽る力の発動の気配は感じられない。それは幼少時に呪いをかけられ使えなくされたから。

「そうか、キミは普通に喋れるようになったのと引き替えに魔法の唱え方を忘れてしまったのか。地上に生きるただの住民の一人になってしまったとは、本当に失敗作ではないか」

「――言わせておけば!」

 アリシアは男に飛び掛かる。男のいう力が使えなくとも猫科の血の入った高い身体能力はある。

「――!?」

 しかし男の瞳に見詰められた途端、アリシアの動きが止まった。

「素材はどうあれキミはここで作られたモノ。ならば反乱を起こした時のために、緊急停止用の刷り込みを体内に植え付けておくのは当然だろう」

 眼光に捕らえられた様に男から視線を離せず身動きが出来ない。

「いずれにしろ魔法の使い方を忘れてしまったキミでは私に勝てぬ」

 男が弩を放ち、アリシアの右肩に矢先が突き刺さる。急激に襲われる眠気に朦朧とするアリシアは、男の最後の言葉を聞きながら眠りに落ちた。

「しかし興味深い被験体を連れてきたのは称賛に値するよ。地上にもそんなものがいるとは」


 ――◇ ◇ ◇――


 確かに小さい頃、訳のわからない言葉を呟きながら手から小さな雷を出して、それを意思疏通に使っていた。

「その力はいつか必要になった時のためにとっておけ。今は使うな。そして他の者が喋る言葉に耳を傾け、その言葉を覚えろ」

 犬の顔をしていつも右手に包帯を巻いていたアイツ。あたしのことを拾って黒龍師団へ連れてきたアイツ。アイツはあたしに力を使うなと、そういっていた。


 師団長に拾われ黒龍師団の孤児収容施設に来た当初のアリシアは、普通の言葉が喋れず、一般の人間には理解できない音階と速度で何事かを口にし、その直後に相手の手を掴み痺れさせるというのを唯一の意思表示にしていた。嬉しい時も悲しい時もありがとうもごめんなさいも怒った時も、全てそれだ。

 嬉しいやありがとうはくすぐったく感じる程の痺れ、ごめんなさいは殆ど感じないほどの撫でるような痺れ、悲しい時は少し強めの痺れ、そして怒りは痛烈を伴う痺れ。

 他の孤児達はまだ知識も曖昧な年齢であり、それを特異なものとは特に考える経験も無かったので、アリシアも施設内では静かに暮らせていた。

 猫科の耳と尾を持つ亜人種の彼女だが不思議とその特徴で酷く危害を受けることも無かった。彼女を連れてきたのが犬科の獣人であり、彼がここの師団長となる以前から黒龍師団内を九尾の狐人がうろついているので、あまり珍しくもないのかも知れない。

 彼女の他にも会話方法を忘れたかのように押し黙る子もいる。だからなのかアリシアの存在も特別なものとは思われなかった。

 あの事件が起こるまでは。

 性の区別もまだ曖昧な年頃。男女間でも叩いたり強く触ったりと、乱暴な友愛表現が通る時期。同じ施設のとある少年がアリシアに対して他の女の子とは少し違う感情を持ち始め、干渉し始めた。

 人と猫科の容姿を混ぜ合わせた亜人の少女は、おとなしくしていれば箱座りしている猫のように無害で可愛いく見えるに違いない。そんな愛らしい子に興味を持ち。

 興味を持った子を振り向かせたくて、強くすれば強くするほど思いは強く伝わると思う年代。少し乱暴に扱ったとしても、相手は半分猫なんだから大丈夫だろうと。

 しかし彼の幼さでは彼女が猫ではなく猫科であることには気付けない。人と同じだけの大きさを誇る猫科の生き物は容易に人を喰い殺す。そして彼女の狩猟は爪や歯ではなく魔法。つねられたか蹴られたかとにかく酷く痛い思いをした彼女は、それに比例する痛さを唱え手先から具現させた。

 その場に居合わせた者は、アリシアの手から雷光が出てそれが少年を直撃するまでを見てしまった。

 彼は弾かれたように後ろに飛んだ。床に仰向けで転がった彼の目は白く上向いていて身動き一つしない。

 その場は蜘蛛の子を散らす騒ぎとなった。泣き叫び混乱で走り回る孤児達を掻き分けて養母がやって来て、動かない少年を抱き抱え中央塔にある救護室へと走った。

「⋯⋯」

 その場には雷光を出した状態から動けなくなったアリシアと混乱が収まらない孤児達が残された。


「私は人の様な思考は持ち合わせていない。だから年齢で区別等しない。他人に存在価値を認めさせたくて相手に望まれない力で接触を行うとはどれだけ不利益か。ならば混乱の引き金を引いた本人が処理されるのは当然だろう。その者が何もしなければ、何も始まっていなかったのだから」

 事態を訊いた意思を持ちし自動人形はその様に称した。

 自動人形は星喰機より新しく受け渡され配備された瞬間から完璧に動作するもの。そんな人とは違う論理と時間軸で動く彼女達からすれば、未成熟の幼少の人間も、成人した大人として判断される人間も、取り扱いは変わらない。

 その考えに基づき、少年は回復の後に他の保護施設へ異動という処理になり、アリシアは現施設に残された。

 しかしその場にいた孤児達は見てしまったのである。アリシアの雷を。

「その力はお前の意思を他人に押し付けるためにあるのではない。それが分からぬ内は封じておく」

 とりあえず個室へと隔離されたアリシアの下へと訪れた師団長はその様に言う。


「アリシアのその⋯⋯魔法か。それを一時的に使えなくする方法はあるか?」

 少女が持つ魔女の力を抑える方法はあるのかと師団長が、機械神格納施設を訪れ作業中の鋼鉄の淑女に訊く。

「お前の目の前には神々が並んでいるだろう。人の願いを叶えるのが神の仕事」

「そういうものなのか?」

「機械仕掛けとはいえ、仮にも神を名乗る者。私の様な意思を持ちし人形が適切な自立行動指示をすれば大概の事は可能だ」

 鋼鉄の淑女が言う。

「機械仕掛けの神から呪いをかけてもらう。生物とは微弱な電気の流動を用いて筋肉を動かす。それを機械神の持つ電磁誘導と重力制御の力で制限という名の呪いを肉体にかける」

「呪い? 随分と物騒な話だな?」

 師団長が流石に顔色を変える。

「肉体機能を失わない程度に器官を麻痺させる。この星の引力に喉の細胞が引かれるように調整すれば、それが切れぬ限り元に戻らん。もっとも必要な細胞を死滅させる訳では無いので放置しておいても徐々に自然治癒は出来るが、予測するとそれは百年程度かかるだろう。百年あれば大概の生物は寿命を迎える。それだけの時間有効であれば呪いとして機能する」

「呪術の様なものを施すというのに随分と工学的なんだな」

「呪いとは実際そのようなものだ」

「願いを聞いてくれてありがたいのだが、貴重な被験体としての能力をあの子は失うがそれは良いのか」

「魔女は少女だけではない。他の地域でもその存在は確認されていて、その情報片が欲しければ、それを知る他の意思を持ちし人形に接触すれば良いだけの事。お前が連れてきたのがこの少女だけだっただけだ」

「すまんな」

「お前はこの組織の長であり、我等の事を巧く利用するという責任を果たしている。それに対する等価交換だ」


 一機の機械神の下へ連れ出されたアリシアは、機体が差し出す手の平の上に乗せられた。

 そして、全身を下から上へ何かが駆け抜ける感覚の後、喉に激痛が走った。

「!、!」

 喋れないアリシアは無言の悲鳴を漏らし、痛みに顔を歪める。

「この星に引かれる力を断ち切らん限り呪いは解けん。自力での解呪は無理だ」

 機械神による封印処理が済み、鉄製の手の平の上に蹲るアリシアの下へ師団長がやって来て説明する。

 実際には百年以上生きさえすれば封印は消えるが、それはあまり意味の無い事実であるので伏せた。

「呪いが解きたければ呪いを施した力を持つものに頼め。そうすれば解呪できるらしい。もっともお前の言葉に機械仕掛けの神が耳を傾けるかは別の問題だが」

「⋯⋯あ、⋯⋯た⋯⋯し、⋯⋯は」

 その時、アリシアが声を出した。彼女の呪文以外の声を師団長は始めて聞いた。

「呪いをかけられてようやく喋れるようになったか⋯⋯皮肉なものだな」

 呪いという制限を施されて発声器官が高速で動くことがなくなり、人語を口に出来るようになった様子。

「⋯⋯な⋯⋯、に⋯⋯を⋯⋯、し⋯⋯た、⋯⋯の、?」

「なにもしなかった――いや、なにもできなかった。喋って自分の意思を伝えることができなかった」

 師団長が事実だけを告げる。


 その日、アリシアの力は封印されたが、彼女の心には、魔法が使える者に戻ろうという気持ちは直ぐには生まれなかった。

 今まで意思の疎通を呪文の詠唱に加え魔力の加減で行っていたものが、会話という至極簡単な方法で済ませられることになったので、魔法という超常の力を奮う意味を失ってしまった。今まで喋れなくとも他人の言葉に反応は出来ていたので、発声に慣れるに連れて会話も不自然ではなくなったのも大きい。

 その後はアリシアはそのまま保護施設で育つことになるが、それはある意味極刑に等しい結果になる。

 彼女を恐れ他の孤児は誰も近付かない。無理もない。寮母ですら避けるようになる。これも無理もない。しかしこれでは私宅監置――鉄格子の無い牢獄に入っている様なもの。そこまで考えてアリシア側の処理を行ったのなら、自動人形とはなんと無慈悲な鋼の女神か。

 こんな事になるのなら自分が他の保護施設に追放されていれば良かったと思うこともあるが

「あの男の子は他の保護施設に行ったとは教えられたけど、そんなもの始めから無かったのかも知れないし」

 それ以上考えるのは止めた。

 だから彼女はこの施設からの脱出方法を考えた。

 師団長はこういっていた。呪いが解きたければ呪いを施した力を持つものに頼め。

 魔法が再び使える体に戻ろうという気持ちはあまり無いが、戻れる可能性を放棄してしまうのも、何だか悔しい。

 だからこの二つ、居場所と解呪を同時に叶える機械神の操士になろうと考えた。

 機械神操士の選定試験は、事前審査を通ればどんな年齢の者でも受けられる。選定に通れて操士となれば中央塔内に自室が持てるのは、師団長がそうだから知っている。そうすればここから出れる。適正があるから無理かも知れないが、やるだけはやってみよう。

 彼女は志願しそして一回目の選定試験で――機械神は反応を示した。

 奇妙な人生を歩んできたこの少女には、自分達を動かすのに必要な因子があると機械仕掛けの神は判断したのだった。

 そうして幼くして操士となった彼女は、それだけ機械神と触れる機会も多く習熟の時間も長い。今では最高の腕前を持つ機械神操士であるのは周知の事実。

 だが機械仕掛けの神に呪いを解いてもらうことは無かった。

 心の底では怖かったのだろうと思う、また再び喋れなくなってしまうかも知れない事実に。他人と混ざり合うのが不得手になりそれに添って会話を行う回数も少ない彼女だが、必要な時に他人と会話で疎通ができない苦しさも知ってしまった。だから固有の専用機を持つことも無く。

 そうして普通の会話が保たれている事実が、魔女として生まれてきたという事実を薄れさせたまま、生まれ故郷への帰還となったのだ。


 ――◇ ◇ ◇――


「⋯⋯ここは」

 アリシアは目を覚ました。

 同時に異常な程の空腹に苛まれた。

「目を覚ましたか。予定より五日は早いな」

 見上げるとあの男がいた。

 少し離れた場所で男が椅子に座り脚を組みながらこちらを見ていた。傍らにはテーブル。その上には赤い液体の入った硝子のボトルに空のグラス。赤い液体は葡萄酒だろうか。それにしては濃すぎる赤だ。そして空腹であるのに液体を見ても喉に渇きを覚えないのをアリシアは不可思議に感じる。

 自分の現状を確認すると、両腕が体の前で拘束されていた。拘束具は鉄と木材の複合で作られた頑丈な物で自力で外すのは不可能に近い。

 隣にはリュウガが転がされていた。息はしているので眠りが続いたままか。彼女の腕には拘束具はない。着けても無駄だと最初から判断されたらしい。

「ここは空の街の最後部。いうなればこの小さな世界の果てというところだ」

 格納庫の最後端。

 それなら後部扉を開いて脱出の機会を作ることもできる。アリシアはこの場所が九号機と同じであるならば内部操作卓も同じ場所にあるだろうと一瞬視線を向けるとそれはあった。

 しかしここまで運んだのはあの自動人形なのだろうか。

「なぜこんな場所に」

「キミたちが歩いた場所は重要なものばかりあるところ。何かの弾みで壊されてはかなわないから、世界の果てという一番の遠方に連れてきたのだ」

「そんなことより腹が減ってしょうがないわ。どれだけあたしたちを放置したのよここに」

「十日くらいだ地上の暦で」

「良く生きてたわねあたしたち」

「シュエツが水差しを口に捩じ込んで水分だけは与えていた。そのお陰だろう」

 シュエツ――それがあの男に付き添っている自動人形の名前なのか。自動人形を名前付きで側に置いているとは悪趣味な。それともあれは意思を持つ固体なのか?

「実験も兼ねていたのだがな。極限まで腹が減ったら隣にいる生き物を食ってしまうのかの」

「そんなことするわけ――」

「ここにいた住民は最後にはそうやって生きながらえた」

 この場所の終演を事も無げに言う。

「生き物とは凄い。食べ物が無くなったら最後には壁に生える黴まで舐める。黴は全てを土に返す微生物、土を食べて生きたことになる」

 黴の臭いすらしないのは最後にはそれすら食べて生き残ろうとしたからだ。流石にアリシアも戦慄する。

「元々この空の街は、大地を覆う水災があっても生き抜ける力、他の人々を先導して多くの人間を水災から回避させられる知識と行動力、それを生まれながらにして持つ者を作り出す、それがこの場所の目的」

 男が語りだした。

「人の核となるもの――胎児のようなものだ、それを大量に積み込み、一つずつ成長を保身するための器具に納めて育成する」

 男が後ろに振り向く。格納庫の終端であるならば、薄暗い先には解析機関がある。ここは探索を放棄したその機関の裏側。男が説明する機材がそこにあるのか。

 男が再び向き直り話を続ける。

「その間に魔法を使えるように体に刻んでいく。十年ぐらいすればようやく魔法が一つ唱えられるようになり、器具から出して地上に送り出す。それの繰り返しだ」

 水没は千年周期で起こっている。その間に行われていたとすると、計算ではアリシアも含めて地上には百人前後の魔女がいることになる。寿命で死んでいなければ。

「殆どの魔女が普通の言葉が喋れないまま地上に送ってしまったが、紙に字を書いての意思疏通はできる。問題はないとは思っていたのだが」

 そのお陰で他人との接触が苦手になったアリシアは複雑な気持ちになる。地上に降りた他の魔女の話を全く聞かないのはその為か。

「解析機関と星舟は元々私が所有していたもの、その手のものを持っていると、意思を持ちし自動人形とも知り合う機会もあり」

 自分達の代替品製造方法の探究の為と、自動人形の方から接触して来たのだろう。

「私は水没とは無縁の研究場所、自動人形は鉄巨人の水没とは無縁の保管場所。我らの思惑は合致してこの空の街の建設計画となる」

 それには男の研究が自動人形の代替品製造方法の探求にも繋がる考えもあったのだろうとアリシアは考える。もしそれが成功していれば魔女が機械神の常態維持に乗り込むことになったのだろうか。

「最初は自動人形以外では私一人が空の街の住人となる筈だったのだが、どこで聞き付けたか救世組織を名乗るものが現れ『建造に協力するから我らも乗せろ』と騒ぎ始めた」

 これだけの規模のものが建造されているのである。全てを極秘に進めるのは難しい。

「それを見て自動人形がいうわけだ『彼らを利用すれば我らの宿願の手掛かりが見付かるかも知れぬ。だから彼らの扱いは我らに任せてくれ』と。協力者がそこまでいうのならと、乗りたい人間には自由にさせたのだよ」

 しかし格納施設は必要な機材や資材で埋まってる。乗り込んだ人々は自分が持てるだけの食料と私物を持って少しだけ開いていた空所に入るしかない。そしてこの空の街は竣工と共に飛び立った。

「乗り込んだ人々は自分達が死にかけたら一端着陸して食料なり必要な物質の補給をしてくれると思っていたようだが、最初から自由は与えていた。生きるのも死ぬのも自由、という権利を」

 空の街は必要なものは人以外全て積んで空に上がった訳であり、それは半永久的なもの。余剰として乗ってきた者達の為に降りる意味は最初から無い。

「反乱を起こそうにも常に自動人形が巡回している。だから一人二人と居なくなり、全員居なくなるまでにかかったのはひと月くらいではないのか」

「じゃあこの格納庫の前の方にある街みたいのはなんなのよ!」

「格納庫前部には魔女の投下用の小型装甲航空機が積んであったのだが、使いきってしまって場所が出来た。余った資材で彼らが夢見た街の様なものをの作って見ただけだ、退屈しのぎに」

「そんなに退屈ならあんた自ら水没回避に尽力すれば良かったんじゃないの!」

「それか。それは次の千年後の水災の時に取っておこうと思っていた。そうすればあと千年は退屈を凌げる」

「な!?」

 男はわざと先伸ばしにしていたのだ。自動人形的というか人道からは外れた考え。

「魔女を作って送り出すのもほぼ打ち止めになってしまった。そろそろ次の千年後の水災回避に向けての準備に移行しようと思っていた時に、キミがそちらのお嬢様を連れて帰ってきた。彼女を研究し続ければ二千年や三千年くらいは退屈を凌げる。そこへ運ぶ際に血を採取させてもらったがそれだけでも非常に興味深い結果が出た。彼女を丸ごと研究出来るならば久しぶりに充実した毎日になりそうだ。だから水災回避の研究はもっと先になる」

「あんたいったい何者なのよ」

 狂気じみた言葉の連続に流石にアリシアも耐えられなくなってきた。こんな狂人が想像主とは。

「自分を被検体にして薬や呪術の効果を試していたら死ねない体になってしまった哀れな研究者さ。もうどれだけ生きているかも分からない。下の星舟の乗員だったことは覚えているが」

「⋯⋯コイツも含めてあたしたちをどうするつもりよ」

 アリシアは場を掻き回すように話を変えた。相手の話に付き合っていたら本当におかしくなりそうだ。

「選択肢は二つ。そちらのお嬢様を置いてキミは地上に帰るか、キミは私に処分されてそちらのお嬢様を研究材料として入手するか、どちらか」

「あたしが生きるか死ぬかの選択肢しかないじゃない! しかもどっちもコイツを見殺しにして!」

「そうだ。だが他には提示できる案もないのは分かるな? 彼女は研究対象として貴重だ」

「アンタも相当な化け物に見えるけど目を覚ましたコイツが相手じゃ再び拘束するのは無理よ」

「暴れだす前に再び眠らせるさ。それが効かなくなれば冷凍睡眠器にでも入れておく。星舟にはその手の超長期間行動支援機器もあるからな」

 リュウガを撃った自動人形の姿が見えないのは、暴れたら再び眠らせる為に目視出来ない場所で眠り薬を塗った弩で狙い続けているからなのだろう。自動人形は元々が格の高い戦闘兵器としての一面も持つ。全力機動状態になればリュウガが相手でも体のどこかに矢を打ち込める隙を見付けられるだけの運動性能はある。

「なんであたしたちを一緒にしているのよ。コイツが目を覚ましたら協力して脱出するわよ」

「なぜこんな世界の果て――格納庫の端にキミたちを放置してると思う?」

 男はアリシアの質問を質問で返した。

「何かあれば後部の大扉を開けてまとめて投棄してしまえば良いからだ。そちらのお嬢様を失うのは気が引けるが仕方ない」

 男はそういいながら空のグラスにボトルから赤い液体を注ぐと一口飲んだ。

「あたしたちを肴に酒興とはいい御身分ね」

「酒興? これを酒だと思ったのか、これは血だよ。生物の根幹にある永遠不変の栄養物。私の体ではこれの接種くらいがちょうど良いのさ」

 肉食動物は獲物を捕らえると、先ずは腹を破り血を飲み干し、次に胃袋にある消化中の草を喰らう。体組織を構成する肉を食うのは三番目以降なのが摂理。死ねない程に改造してしまった彼の体では、血液接種が一番効率の良い栄養補給であろう。既にまともな食事は受け付けないのかも知れない。

「どうやって作るのよそれ、こんな場所で」

「魔女を育成する器具の応用で、血液くらいはヒト一人が生きるには十分な量ができる」

 グラスを空けながら言う。注ぎ足すとボトルの血は空になった。

「それにしてもそちらのお嬢様だけが乗り込んできたのだとしたら、今ごろは制圧されてそちらの条件を飲まざるを得なかっただろう」

「⋯⋯どういうこと?」

 突然の糺弾にアリシアが思わず聞き返す。

「キミという大荷物を抱えているから上手く動けないのだろう、キミに合わせてずいぶんと力を加減している様子だ」

「そ、そんなことあるわけ⋯⋯」

 反論するが言葉尻が細くなる。

 キュアに同じようなことをいわれた時のように反駁できない。空腹で活力が減少しているのもあるが、リュウガの本質を知ってしまった今では、突き付けられた事実を受け入れるしかないのが分かるほどに、アリシアも壮烈な人生を歩んできた。

 リュウガは人間であり続けたいと願う反面、強くなろうとする進化を止めようとしない。その矛盾が眠りの呪縛を作っている。

 そして彼女が持たされてしまった力は、自分の魔女としての力よりも遥かに大きい。そんな彼女の生き方を知ってしまったら、自分はまだ未熟だと感じる。

「新しい血を汲みに行くので少し席を外す。キミにも静かに考える時間が必要だろう」

 アリシアの中に生まれた混乱を知ってか知らずか、男は姿を消した。逃げようにも頑丈すぎる拘束具を着けた者が、身動き取れない程に睡魔に侵されている者を連れて逃げるのは不可能なのは分かっている。

「⋯⋯アリ、シア」

 しかして、見計らった様にこの時機でリュウガが目を覚ました。

「気がついたか」

 最小限の動きでリュウガの現状を確認する。男はいなくなったが配下の自動人形は何処からか矢をつがえて狙っているのは間違いない。

 リュウガは起きてもまだ眠気が抜けていないのか、瞼を開け続けるのが辛そうに半眼になっている。空腹も合わさり苦しそうなのは分かる。

 だが、現状を打開するには目を覚ました彼女に頼るしかない。

「あんたはホント機械神を小さく纏めた感じよね」

 彼女が内包する数々の能力を照らし合わせ、自分が望むことが出来るのかをアリシアは考えた。

「あんたは自動人形を個別に見分けられる生きた電波探信儀としての力を持ってる。その力を使ってあたしを精査して体にかけられた呪いが分かるか?」

 アリシアが一縷の望みをかけて頼む。

「⋯⋯やってみます」

 呪いという言葉が気になったが、リュウガは疲れたように頷いた。

 両腕を動かすにも電磁誘導と重力制御を使うようになったので、この二つの力の使い方はとてつもなく向上している。ただ、腕を動かすのと、電磁誘導と重力制御を他の事に使うのは両立出来ないので、片腕で反対の腕を支えながらでないと二つの力を組み合わせて火を作ることはできない。二つの力の使い方は練達しているのに、両腕を失う前よりも発揮可能な力の大きさは減少しているのはその為である。

 リュウガは左手で右腕を支える様にすると、右手から小さな電磁誘導と重力制御の波動を出してアリシアの体を調べ始めた。自動人形達を見分けるのは無意識で行っているので、こんなやり方で分かるのだろうかとリュウガ本人も思ったのだが、首の周囲に筋肉の引っ掛かりが作られているのを見付けられた。これがアリシアの喉機能の一部分を弛緩させているらしい。

 それはこの星の引力に引かれるように電磁誘導を使って設定されているのも分かった。だから彼女がこの星――この世界にいる限り解除はされないのも予想できた。

「じゃあその引っ掛かりを断ち切れば呪いは解けるのよね」

 リュウガから説明を受けたアリシアはそう結論付ける。呪いをかけられた直後に聞いた師団長からの説明とも合致するので確度は高い。

「あんたはあたしの呪いを施した機械神とほぼ同じ力を持ってる。だからその力で呪いを断ち切って欲しい」

 解呪には呪いをかけた者と同じ力を持つ者が必要というならば、それはほほ同じ力を持っているリュウガにも可能なはずだ。

「⋯⋯わたしがやったら、加減がわかりません。だから、呪いだけじゃ済まず、あなたの首筋まで切ってしまうかも、知れません」

 眠気で潤んだままの瞳でリュウガが言う。

「あたしは魔女よ、首から上が取れてもまた付け直せば元に戻るんじゃないの? それに」

 アリシアが冗談目かして言い、そして真面目な顔になって続ける。

「これは賭けよ。賭け事には賭ける物が必要。それがあたしの命なら仕方ない。なにしろ賭けの相手はあんたなんだから、それぐらいの代価を払わなければこの状況を打開できない。だから」

 何気無い口調で続ける。

「友達――、⋯⋯一緒にここまで来た相手あたしの頼みを聞いて欲しい」

 自然に出てしまったその言葉を口にした途端、アリシアは少し当惑の顔になる。

 自分はなぜそんな言葉を使う? 彼女は一緒に行動しているだけの同じ組織の者でしかない筈なのに。アリシアは自分自身を訝しんだが直ぐに意識の外へ追いやった。自分は代価が命であろうとも払うのは決めたのだから、後は相手が賭けに乗ってくれるかだけ。

「⋯⋯」

 リュウガはとても不思議そうな顔でアリシアのことを見つめると、右手で相手の首筋を軽く掴んだ。そして左手で右腕を支える様にすると、アリシアの体の一部を弛緩させている部分へ電磁誘導を送り込む。

「!?」

 その力を受けたアリシアは目を見開きながら後ろへ吹き飛び、そのまま床に崩れた。

「⋯⋯アリ、シア」

「空腹のあまり遂に仲間割れか」

 赤い液体が再び満たされた容器を片手に男が戻ってきた。テーブルの上に容器を置く。

「どちらがどちらを食べるのか決まったのか?」

「⋯⋯」

 男の言葉を無視するようにアリシアがよろりと立ち上がる。

 そして人には理解できない何事かの言語を呟くと、次の瞬間には内側から膨らむようにして腕の拘束具が吹き飛んだ。

「力が戻ったのか!」

 男が歓喜に震えるように思わず叫ぶ。

「拘束具を吹き飛ばす程の雷圧とは素晴らしい」

 アリシアは自由になった右腕を男に向かって掲げると、何事かの呟き――呪文の詠唱を行って指先から雷光を撃ち放った。

 しかして、雷が届く寸前に男の後ろから人型の何かが現れ、攻撃を受け止める。

 それは人型をしているが、四肢の先端は水晶の様な三角錐の形になっており、全体的にも角の立った鋭利な部品で構成されている。そして常に宙に浮いている。

「この様な戦闘用のデバイスは用意してある。地上投下前に緊急停止の暗示が効かなくなる魔女もいるのでね」

 事実、アリシアの瞳を男が見据えても彼女は止まらない。呪いという封印が解かれ緊急停止の暗示まで効力を失った。

 魔女の力を取り戻したアリシアはお構いなしに雷撃を続ける。その都度護衛が弾き返す。弾かれた雷がテーブルを直撃し硝子のボトルが砕けて中身がぶちまけられ周囲が赤く染まる。

 雷を弾く間隙を縫って、護衛が反撃の準備を始める。胸の前に小さな竜巻の様なものが表れそれが球状に押し固められていく。風系の呪文であるらしい。

 護衛は完成させた風塊をアリシアに向かって撃ち放つ。

 アリシアは手から出した雷を蛇のようにうならせ、高速で向かってくる風塊を切り裂いた。風塊は力を失って霧散する。

「雷蛇か雷刃か――とにかく面白い呪文を使う。もっと見せてくれ!」

 男が叫ぶ。だが面白い呪文を使うといわれても、体が無意識のまま必要な語句を唱えているのでアリシアも良く分からないまま力を振るっているのだ。そしてそれがいつ力尽きるかも分からない。

 そして二人の魔術の攻防の中、リュウガがゆらりと立ち上がった。

「リュウガ! ――!?」

(喋れた!?)

 思わず叫んだ相手の名前で、会話能力が失われていないのをアリシアはようやく知る。呪文詠唱の高速発音と会話のための通常発音が両立出来ている。

「リュウガ、無理をするな!」

 加勢しようというのか立ち上がって来た彼女を見て、戦いに熱くなっていたアリシアは冷静になった。

「⋯⋯アリシアはわたしがどんな化け物になっても友達でいてくれますか」

 何とか彼女を連れて機外へ脱出する方法を考えなければとアリシアが思った矢先、リュウガはそんな事を言った。

「あたしだって猫の遺骸から作られたのかも知れない魔女という名の化け物。お互い化け物同士、どちらかが死ぬまで友達くらいずっとやっててあげるわよ」

 咄嗟に言葉が出た。躊躇いも何も無く。

 彼女に呪いを解いて貰うときなぜあんな言い方をしてしまったのか分からないが、彼女がそれを望むなら二人を死が別つまで付き合ってやっても良い。こんな人付き合いの悪い奴が友で良いのなら。

「⋯⋯約束、ですよ」

 今まで眠そうな半目になっていたリュウガの瞳が、カッと見開かれた。球結膜が赤く染まり、虹彩が金色に輝く。そして次の瞬間リュウガの上着の両袖が千切れ飛ぶと、露になった両腕が一瞬で血の色に変色した途端、内側から破裂するように膨張した。

 リュウガの両腕は血の色をした長大で太い触手となった。それが伸び、元の手首から先が一体化した鋭利な先端が護衛を一瞬で貫き、床に落とした。

「ほう、変異の能力まで持つのか。質量保存の法則を無視した腕の巨大化は周囲の水分を取り込んでの補完か」

 護衛が瞬時に無力化されたのにも動じず冷静に状況を判断する。寧ろそれが嬉しそうな余裕を裏付ける様に、再び背後から同型の護衛が二体補充され男の左右を固める。リュウガは雲を作る際の応用で、電磁誘導を使い周囲の水分を丸太のように太い触手となった腕に取り込んでいるのを、男は言い当てている。腕の触手化も普段から両腕を重力制御で動かしている応用だろう。そしてこれは人間の筋力では動かない人形の腕を繋げられたからこその無茶な具現。

(コイツは何処まで底無しなのよ)

 アリシアは水気が枯渇し妙な息苦しさを覚えたが、リュウガの変貌の驚きでそれ処ではなかった。

 触手が新たに補充された護衛を再び襲うが、相手は先端が届く寸前でかわした。奇襲はもう通用しないらしい。

 しかしそれで時機を計ったのかリュウガがアリシアの隣に退いてきた。

「また眠くなって来ました。これから考えた計画をやりながら脱出するぐらいしか、もう体が持ちません」

 アリシアにだけ届く程の小声で言う。

 常に進化を続ける最早化け物と簡単に称してはいけない段階の生き物であろう彼女。神に近い何かであるのかも知れないが、本人は人間でありたいと強く願う。だから、人を少し越えた程度の化け物で留まれているのだろう。リュウガは眠りには勝てない。

「計画? それはなによ?」

 アリシアも相手に聞こえるだけの音量で訊く。

「わたしが下の星舟の十二号機からの動力供給路を切ってきます。アリシアはその間に仮設七号機の起動準備を」

 普段だったらこんな頭ごなしに指示されたら感に触って拒否するアリシアだが、これは自分の呪いを断ち切った程の力を持つ者の意見。逆に高揚感を覚えた。

「随分と単純な計画ね?」

 その言葉とは反対に、実行がとてつもなく難しいのが分かる。今ここにいる二人でもギリギリの成功率だろう。

「でもその計画は少し変更させて貰うわ」

 アリシアは時機が少しでも狂えば失敗するだろう計画を更に難しくしようとする。

「あたしが向かうのは仮設機じゃない、十二号機よ」

 それは友となった相手の力を信じるから。

「ここまでされたのよ。本来の目的である十二号機を分捕って帰るくらいしないと気がすまないわ」

「わかりました」

 リュウガは苦笑して更に無茶になった計画に応えた。

「わたしも機械神を破壊した女、紅蓮の死神と呼ばれる者。倒れて眠るまでこの力でお手伝いします」

 そして二人はまるで申し合わせた様に格納庫最奥の壁面へと後退りを始める。

「どうした、抵抗はもう終わりか。魔女として覚醒した力をもっと見せてくれ。そちらのお嬢様も、私が到達できなかったその偉大な力をもっと見せてくれ」

 静かになった二人を挑発するように男が言う。挑発というよりも本当に二人の力が見たいと願っているようにも聞こえる。

「アンタを一撃で倒せる合体技を準備中なのよ。少し待ってなさい」

 アリシアがその言葉に乗るように嘯く。間合いが取れるだけの時間が稼げれば事足りる。

「アリシア、少し乱暴にしますけど我慢してください」

 靴の踵が壁に触れたとき、リュウガが言った。

「まかせるわ」

 アリシアが応える。一度は命を預けた相手。彼女に何をされてももう怖くはない。

 リュウガは右の触手を限界まで伸ばすと、横壁に据えられた機械を叩いた。それは自分達が背にする格納庫の後部扉の手動開閉装置。触手の先端が確実に開放の操作桿を引き上げるのと同時に、反対の触手がアリシアの胴に巻き付く。

 後部扉が開き人一人通れる隙間が空くと、そこからアリシアの体を外に出して格納庫の上部表面へと放り投げた。残ったリュウガも開いている途中の後部扉から飛び降りる。

「なんと見事な」

 颯爽ともいえるほどに一瞬で姿を消した二人を褒め称えるように男が言う。

「本当に素敵なお嬢様たちだ。これでお別れとは残念だ」

「地上を留守にしていた間に随分と活動的な淑女が増えたものだ」

 右手に弩、左手に水差しを持った自動人形が現れ男に話し掛ける。通常の自動人形の様な会話形式では無いので、彼女はやはり意思を持った個体だったのだろう。今までは普通の自動人形のふりをしていたか。

「あの猫科の娘は本当に周辺に放置されていた猫の遺骸から作ったのか?」

 男が語ったアリシアの正体を自動人形は訊いた。彼女もこの場所での生活は長いが、同乗した人間以外の骸を見た記憶は無い。

「そこいらに転がっていた硝子管の中に入れておいた、見本の猫科生物の核を元にして作ったのは本当だ。人の形に組み替えるのには手間取ったが」

「それでは他の魔女の創成と変わらんではないか。魔女の多くを体の強靭な亜人として育生して投下しただろうに。意地の悪い奴だな」

「確かに硝子管入りの見本を木乃伊サンプルと言い換えたのは言い過ぎたかも知れん。だが彼女は唯一帰還を果たした個体。つい大袈裟に迎えてかまいたくなってしまうのは仕方ないだろう? 彼女も発奮してくれた様だしな」

「呆れた奴だ。して、これからどうする。自慢の彼女たちはここに来た目的を果たすだろう」

 二人が目的を完遂すれば機械神という動力を失って空の街は墜落する。

「どうするもなにも研究に戻るだけだ。せっかくあんなにも貴重なものを見せてもらったんだ。早く解析機関に情報を入力して新たな式を構築したい」

「ここが墜ちればその研究も出来なくなるが」

「研究者とは死の直前まで術式を解いているものだ」

 男はそう言い残し、解析機関のある格納庫中央へと消えた。


「いたた⋯⋯覚悟はしていたけどもうちょっと優しくできなかったのかしら」

 痛む体のそこかしこを擦りながらアリシアが立ち上がる。

 リュウガの触手が腹に巻かれたのに驚く間もなく、外に出されて格納庫の上面に放り出された。一応自分は猫科の血が混ざっているから受け身も取れて大した怪我もなかったが、普通の人間だったら骨折は免れなかっただろう。

「それだけ信用されたということか」

 アリシアは空の街が巡航速度で飛行する高空の冷気になぶられながら十二号機へと進む。


 そのまま外へと飛び出したリュウガは触手を外壁に絡ませて空の街下層を移動していた。星舟と思われる部位の外部を確認しながら進むと、先端部から動力管が複数延びていてそれが十二号機の背面へと繋がっているのを見付けた。

 リュウガは左の触手を外壁に巻き付かせて体を固定するのと同時に右の触手を支える。右の触手を真っ直ぐ伸ばすと先端から火球を作り出し動力管を一本ずつ破壊して行く。

 全ての動力管の切断を終えると絡めた触手を自由にし自分も十二号機の操作室近くへと上ろうとしたが――

「――ぁ⋯⋯体が、⋯⋯動か⋯⋯」

 火の力を放って限界を超えてしまったか、自分の意思で体が動かない。睡魔に耐えきれなくなったリュウガは十二号機と空の街の境にある甲板に倒れた。


「星舟への動力供給が切られた様だ。彼女たちは確実にこの空の街を落とす段階を進めている」

「その様だ」

 自動人形の報告に男が応える。解析機関の入力装置前に座り釦を操作しながら。この解析機関への動力供給は切られていないのか、まだ動く。

「もう水没の危難は無くなったのだから自動人形キミたちは鉄巨人に戻ったらどうだ。あのお嬢様達の目的は鉄巨人の奪取だろう。もうすぐ空の街ここを離れるのだから乗り遅れるぞ」

 男にはあの二人の目的が鉄巨人――機械神の取得なのは聞いて知っている。

「分かっていたのなら鉄巨人機械神をお前がくれてやれば良いものを。投下する魔女は底を突いたのだ、もう必要無いだろう」

「それではあのお嬢様達の真価が見れない」

「この場所を引き換えにしてでも二人の力が見たかったのか。勝手な奴だ」

「鑑賞料はこの空の街全てになったが、非常に有意義な情報片を入手出来た。支払いとしては高くはない」

「まあ良い。私も実をいうとお前を失うのは惜しいのだ。できれば無傷で回収したい」

 自動人形にとって彼は、彼女たちが抱える二つの目的遂行には有利に働くと判断している様子。だがそれにはアリシアとリュウガの二人と交渉するしか無いが、命のやり取りをしてしまった二人にその許しを乞うには説得の猶予は無い。

「自分でいうのも何だが私は運搬にも置き場所に非常に困るものだぞ。どうやって持ち帰る?」

「その手段が現状では無いので困っている」

「自動人形でも困ることがあるのだな。ならばここは、最後の検証に付き合ってもらおうか。お嬢様たちが丁度良い実験道具を持参してきてくれたからな。それが終わってから我々の逃げ方を考えても遅くはあるまい」

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