龍焔の機械神02
ヤマギシミキヤ
第一章
一人の赤毛の女性と一体の
「これは何?」
女性が単刀直入に訊く。長身と言えるほどの身長。彼女は頭の上に猫科の耳が載る亜人の者なのだがそれにあまり気付かないのは、その種族離れした身長は元より、立ち振舞いが洗練され過ぎているからだろう。動きが秀麗すぎて柔靭を通り越し、人を寄せ付けない硬質さを醸し出している。新型の自動人形と思い込む者もいるかも知れない。
「名付けるとすれば仮設七号機」
彼女の質問に本物の自動人形・キュアノスプリュネル――キュアが応える。意思を持ちし自動人形の方がよほど人間らしい雰囲気を持っているのは何故か。
キュアの説明によると、格納施設地下に眠る機械神の予備部品を三号機に近い形に組み上げ、両腕の代わりに十三号機の主推進機を取り付けたものが本機。頭部だけは本物の七号機に似せて新造された。
「両腕の推進機に関しては使い込まれたものの方が安定しているからな、予備機から外させてもらった」
「十三号機はもともと移動部品保管庫。それは構わない筈でしょ」
十三号機の存在価値が冷徹に告げられる。機械神正操士である彼女は余剰の機体の本来の取り扱い方を知っている。十三号機の主推進機は本来は七号機の予備部品として用意されている物。
それにしても、もし星喰機が失われていたとしたらこれと同じようなものが増産されて世界を襲ったことになったと思うと、さすがに彼女も背筋が少しは寒くなった気がする。
「それとは別に、なんであたしはこんなところに呼び出されたのよ」
「この新造機に乗ってもらうからだ」
「乗る? 任務なの? それなら副長を通してから下令してよ。あたしは機械神操士なんだから管轄は副長の下よ。いくらあんたがここでは一番偉いっていっても、組織のルールを壊すのは気に入らないわ」
「まあそう急くな。副長には話はつけてある。忙しいお前たちの長に代わって私が詳細説明も委任されただけだ」
「そう」
「これを作ったのは空の街に追い付くためだ。空の街は速度の位相をずらす何らかの機構で動いている。それを突破するには、ずれた速度を上回る速度で追い付くしかない」
「空の街?」
「そんな嫌な顔をせずに、まずは聞け」
一つの言葉に反応して放出される彼女からの殺気をキュアは軽くいなすと、仮設七号機の両腕となった十三号機の元主推進機を見ながら説明を続ける。
「五号機を速度で上回ることを目指して設計された七号機は幸いにして
未だ所在不明となっている機械神七号機は、
第三段階に於いては完成機であり基準機である三号機の設計を殆ど変更しないで流用するのが設計主旨とされ、七号機も頭部と両腕を新設計のものにされた以外は、三号機の設計とほぼ同一である。
唯一の改良点としては五号機のグレモリーへの対向として、膝部や脛上部などの機体の一部を分離させ、塔機と呼ばれる人型兵器に組み合わせることが可能。これは巨大な推進機を装備するにあたって大振りとなってしまった機体を護衛するためでもある。分離による部品の欠損場所は尾部の流体金属によって補完されるので空所になることはない。しかしこの新造機体は仮設の急増品であるために塔機の機能は再現されていない。そして尾部も流体金属ではなくただの鉄製である。
もちろん自動人形も乗り込まないので稼働時間は一日が限度。
「これでお前の生まれ故郷である空の街へと乗り込んでもらう、お前自身が」
その指名に更に嫌な顔になってキュアの方を見る。
「なんであたしにそんな仕事が回って来るのよ。なんで今ごろになって故郷の位置が分かったのよ」
「雲だ」
彼女の疑問をキュアは一瞬で解いた。
「この星の空の一割は覆うほどの雲を作った訳だからな。空の街にとっても姿を表さないと回避出来ないほどの障害物になったらしい」
その雲の生成には彼女も関与しているので、難しい表情になる。その時の騒乱はフィーネ台地攻防戦という名称が付けられ、黒龍師団内でも後世に残すための記録が整理されている最中。
彼女は幼き頃、天空を回遊する空の街から落ちてきた――とされている。そのまま落ちてきたのなら墜落死であるので、何らかの機械の殻に納められて投下されたのだろうと予想されているが、その痕跡は見付かっていない。
草原の中で自分の置かれた現状も解らず佇んでいた幼き彼女を、たまたま通りかかった師団長が保護して、黒龍師団内にある孤児保護施設に入れたのだと言う。
成長するに連れて彼女が覚えていた記憶から空の街の存在が分かり、そこには動力として機械神が接続されていることも判明した。記憶を辿った結果それは十二号機であるとされる。所在が解らぬのは、七号機、八号機、十号機、十二号機であるが、十号機は人型を大きく外れた機であり、七号機も八号機も巨大な部品が取り付けられているので完全な人型とは言えず、消去法により彼女が覚えている空の街に繋がる人型は十二号機であると断定された。
機械神十二号機・アムドゥシアス。指揮駆逐機である十一号機・ベルゼヴュートと同型で、形状的な差異は頭部の両脇から一対の巨大な角が生えているのみであり、他は全く同じ。最強とされる乗り手を選ぶ扱い難さも同じな、もう一つの最強の機体である。
この機体の中にいる自動人形は自分たちが置かれた状況をどう判断しているか。隔離された中で現状では機体ごと脱出不可能となっているのだが、自動人形にとっては機械神の常態維持が完遂出来れば、空を飛び続ける街の動力炉として取り付けられたままで構わないのである。機械神とは必要とされる時がくれば牽引機として展開され勝手に行ってしまうもの。その時の為に自動人形は常態維持を続けている。
しかし人間にとっては所在が解った以上、確保して管理下に置かなければ安心は出来ない。機械仕掛けの者達の様に悠長に構えていられるほど人の寿命は長くない。そして黒龍師団はその為に創設された。この組織自体が、意思を持ちし自動人形が人間と共同で作った組織であるので、人の意見も尊重しなければならないのは機械仕掛けの彼女たちも理解している。またそれにより自分たちの代替品創造の探求に関して手懸かりが見付かるかもしれないという考えもある。
その双方の思惑が合致して今回の任務となり、接触の為の専用機建造となる。
空の街に赴いて現状を把握するのが今回の目的。折り合いがつけば十二号機の回収ももちろん行いたい処であるが、無理に奪還して事を荒立てる様なことはしたくない。強引に取り上げてしまえば動力を失って街は墜ちる。その様な理由もあるので五号機が置かれていた信仰国家のように、定時視察が可能な経路が確保できれば今回の初接触では十分であるとされている。
そしてフィーネ台地攻防戦において、指揮駆逐機である十一号機を師団長の代わりに駆っていた者こそ彼女である。
「それと今回の任務に当たって操作室は複座型の特設にしてある」
「⋯⋯は?」
キュアの言葉に彼女が威圧を含んだ反応になる。
「操士であるお前の他に機関士が乗る」
彼女の反応には全く動ぜずキュアが淡々と説明を続けていく。
「予測では速力重視の七号機が最高速を出して何とかずれた位相を突破出来るかどうかというところだ。そのためにはある程度推進機の取り扱いに慣れた者でなければ危うい。そしてお前には機体操作に専念してもらうために複座とした」
「⋯⋯」
沈黙し今後の行動を彼女は考える。
複座型の機体は五号機という前例があるから仕方ないが、それとは別の問題として、全て一人でやるものだと思っていた彼女にとっては青天の霹靂。フィーネ台地攻防戦では一人で十一号機と二号機の二機を動かしていたのに、今回は二人で一機とはどういうことだ?
「ちょうど来たようだな」
キュアはもう一人ここへ呼び出していた。格納施設の向こう、一人の女性が歩いてくる。長身ーーという言葉から更にはみ出してしまう程の背丈を持つ者。
「すみません、アンドロマリウスの事後処理で少し遅れてしまいました」
「構わん。ちょうど連れの相手に説明が終わった処だ」
その言葉に彼女が煩わしそうな顔になる。
「今回の任務で一緒に行動してもらう者だ」
しかしキュアは彼女が眉値をひそめるのもお構いなしに続ける。
「リュウガ・ムラサメです、よろしくお願いします」
長身を上にはみ出す上背の女性――リュウガが長い背中を丸めて挨拶する。
「アリシアよ」
リュウガのごく一般的な挨拶言葉の組み合わせに対し、彼女――アリシアは名前を告げただけ。
「彼女が機関士だ。この七号機の推進機の取り扱いに慣れたのは十三号機操士の彼女だけだからな」
キュアが今回の任務に機関士として搭乗するリュウガを紹介する。
アリシアもフィーネ台地攻防戦の会議の時に顔は合わせているので知っている。自分も長身の部類だがそれでも更に「大女がいる」と少し気になっていたのは覚えている。
二人とも黒龍師団で保護されていたのは同じなのだが、しかしフィーネ台地攻防戦まで顔を合わせることもなかったのは、ここは組織としては規模が大きすぎるのでそれは仕方無い事なのかも知れない。同組織に保護されていたとはいえ生活する場所は違っていたのであるし。
「これが仮設七号機ですか」
リュウガがこれから乗り込むことになる新造機を見上げる。
見慣れた三号機の頭部を変えて、ようやく乗り馴れた十三号機の主推進機が付いただけだが、それが三号機とも十三号機とも違う力を秘めているのが外側からでも解るのだから不思議なものだと思う。
この機体の建造の為にリュウガの愛機から主推進機が取り外されてしまったので、十三号機はリュウガの手を離れてキュア達自動人形の一時預かりという形になり、ダンタリオン型機械使徒の改装を支援するドック型工作艦として従事している。
十三号機の尾部は十号機用の予備部品であり、他の機体の補修や部品新造を行うドック施設となっている。この部位は空母型では艦首に相当し、今は航空母艦の姿となっている十三号機はこの部分を左右に開き、工廠施設として展開させている。
今までは十三号機にこの様な機能があっても、黒龍師団の施設全体が機械神の為の重工作施設であったので工作艦として活動する必要はなかったのだが、さすがに改装機の数が増えてきたので、リュウガが十三号機に乗らない期間がある場合は貸与してもらう機会が増えた。直前までは五号機の新造を行っていたのであるから尚更である。
そのリュウガが指導を行っていたアンドロマリウスは、つい先日全課程を全て終えて訓練修了となった。暫しの保養期間の後にフィーネ台地へ初任務に出発の予定である。
この後は、フィーネ台地攻防戦には未成の為に参加しなかった機械使徒六十番機・キマリスがダンタリオン型として改装完了直前となっており、作業と並行して乗員が集められている状態。
キマリス自体は、ダンタリオンとアンドロマリウスの運用実績により、機械神の主動力炉と同じだけのものを十六基も積む必要は無いと判断され、副動力として用いられる原子炉(核融合式)に変更されている。これはこのダンタリオン型機械使徒を今後は人が持つ技だけで建造できる技術蓄積を行うためだ。
原子炉でも運用次第では機械神が標準で積む四基の主炉に匹敵する力が出せるとされ、増力用に蓄電池も増やされた。運用に問題がなければ六十一番機・アウナス以降の七機もこの形式になる予定であり、その為に準備期間が長くなり、キマリスもまだ訓練に投入できる段階ではない。
訓練機が用意できないので主任教官であるリュウガも間が空いた待機中にあり、七号機の主推進機の取り扱いに慣れた者が確保され、今作戦が決行されることとなったのである。
「それじゃ早速、操作席に座っても良いですか」
「あたしは遠慮しておくわ」
アリシアはそう言い残すと、その場から立ち去った。
「⋯⋯」
「なんだ、不真面目そうな相手で不満か?」
機体に触れようともしないで去り行く後ろ姿を見ているリュウガにキュアが訊くが
「いえ、不真面目だなんて思いませんよ。ただ、うちの妹のぶっきらぼうな処を更に酷くしたようなヒトなのかと」
「お前も随分と酷いことをいうようになったものだな」
「わたし自身も色々と酷い目にあって来ましたからね」
自分の両腕を抱えて擦りながら言う。普段の生活や訓練の指導には支障がない段階まで一応は動かせるようになってきたが、ぎこちなさが残るのは仕方無い。右手が機械仕掛けの手となってしまったリュウナも同じように、手の動きが拙劣になってしまったのだろうかと自分のことの様に心配になるほど、違和感は拭えない。
そのリュウナも姉思いの優しさがある反面、素っ気ない時は本当に素っ気ない。そしてその無味乾燥な部分をアリシアは軽く越えた。中身を知らない者から見たら冷淡と評されても仕方ないほど――だが。
「壊滅的なまでに人付き合いが苦手なだけだ。お前の気配が無くなれば戻ってきて操作の自主訓練なり、機体各所を見て回っての点検なりをするだろう」
キュアはそう評する。
それを聞くリュウガもアリシアはその様な女性というのはある程度推察できていた。誰も見ていない場所でひっそりと自分を磨くのが彼女の姿勢なのだろうと。そうでなければ機械神を二体同時に動かすなんて出来ない。それは日頃からの真面目な修練の成果なのだから、指導する立場となっている自分だからこそ良く分かる。
「⋯⋯」
リュウガはそんな彼女より一足先に習熟させてもらおうと、キュアに案内されて仮設七号機の中へと入っていった。
「これがこの機の操作室か」
本日自分に任されていた職務を全て終えたアリシアは、機械神格納施設へと戻ってきていた。外は暗くなっていて、夜間任務からは外れる者は自室や自宅へ引き上げる時間帯。彼女は早朝から通常任務であったが、そんなことはお構いなしに自主的夜間作業に突入する。
機体が背にする壁面に設けられた昇降機で上がり、仮設の足場を渡って操作室へ通じる
機体内に入り操作室後部に設けられた扉から中を覗くと操作卓に埋る席が前後に二つ並んでいる。自分は操作担当なのだから前であるのは定石であろうと後部座席には目もくれず前部座席に着く。
基本的には正規の機械神の操作卓と代わらない。前部席にも動力炉の操作装置はそのまま残されているし、軽く動かしてみれば値の変位もちゃんと出来る。
この仮設機用操作席は通常と全く同じ物をただ前後に並べただけなのかと席を立ち、後部座席を覗いてみると
「⋯⋯なにやってるのよアンタ?」
座席から滑り落ちるような格好でリュウガが蹲っていた。眠っているかの様子。実際に視界に捉えるまで全く気付かなかった。
アリシアにも気付かせないほどに気配が無かったのは、見えにくい位置にいたのも確かなのだが、仮死状態に近いほどに昏睡していたのが真相か。生き物の息吹が感じられなければ、周囲の違和に鋭敏に反応出来る者でも流石に気付けない。余程疲れているのか。
理由はどうあれ呼び掛けても起きそうにないので肩口を強く揺さぶると、リュウガが心底眠そうに瞼を開いた。
「⋯⋯あ、アリシア、さん?」
とろけた視界に、今日正式に紹介された赤毛の亜人女性をなんとか認識した。
「あんたはこれから行動を共にする者、敬称はいらない呼び捨てで良い」
「じゃあアリシア⋯⋯なんでここに?」
「そう訊きたいのはあたしの方よ、なんでこんな所で寝てんのよ、もう夜間任務の時間帯よ」
「⋯⋯ん、わたし寝ちゃってましたか⋯⋯」
自分がここで昏倒したのも気付かずに寝入っていたのか。
「最近になって眠くなりすぎて、気付いたら寝て倒れてたというのが多くて⋯⋯」
そう説明するリュウガもまだ眠気が抜けきっていないらしく、夢を見ているのか現実にいるのかあやふやな印象である。
それを見て流石にアリシアも放っておく訳にも行かず、担ぎ上げようとすると
(なっ、鉄かなんかで出来てんのこの女!?)
自分より背丈が少し大きいくらいだというのに、その異常な重量差に躊躇する。手足も胴も細いのに何が詰まっているのか。触り心地は軟らかかったので人間ではあると思うのだが。
どうしたものかと考えたが、自動人形に運ばせて済ませることにした。操士も機械神を動かす部品の一つであるのだから機械仕掛けの彼女たちも文句はあるまい。
ここは仮設機の操作室であるので常駐の自動人形はいない。自分も固有に任された機体は持っていないのだが、幸いにして昏睡している本人には専用機がある。
「十三号機応答せよ。あんたたちの主人が寝たまま起きないから仮設七号機まで誰か回収に来て」
操作卓から直通回線を開き、十三号機付きの自動人形を呼び寄せた。
程なくして一体の自動人形が現れる。アリシアに指示されて後部座席下に埋もれるように倒れているリュウガを見付けると、あまりにも簡単に引っ張り出して両腕で抱えた。普段運んでいる機械神の部品に比べればリュウガの長身でも軽い部類だろう。
「⋯⋯クラウディア、どうしてここに?」
抱き抱えられて少し目を覚ましたのか、リュウガが訊く。彼女がクラウディアであるのは直ぐに分かった。
「そいつの自室まで運んでやって」
アリシアが再び指示するとクラウディアは頷いて、再び寝入ってしまったリュウガを抱えて操作室を出て行こうとする。
「⋯⋯」
いくら珍しく名前があったとはいえ、全部が同型である自動人形から固有の一体を認識できる能力も気になったが、それ以上に問題にすべきことがある。
「クラウディアといったわね」
アリシアは名有りの自動人形を呼び止めた。クラウディアが立ち止まってリュウガを抱えたまま振り向く。
「あんたたちのご主人様は随分と頼りないみたいだからさ、あたしみたいな操士からの要請がなくても、主人が倒れているのに気付いたら自主的に助けに来てやってよ」
アリシアはこんな面倒なことにかかわり合うのはもう御免だとそんな風に言うと
「我が主人は頼りない存在とは考えませんが
そのような仰々しい答えが反ってきた。
「まあ、よろしく頼むわ」
方苦しく物々しい言い回しは自動人形特有なものだろうと軽く流し、クラウディアを行かせた。
「大丈夫なのあんなのと一緒で」
翌日になってキュアの下を訪れたアリシアは一方的に訊いた。そして昨夜に起こった顛末を説明する。
「大事な局面になっていきなり寝られても困るんだけど」
「リュウガがどんな存在なのか、お前も知っているな」
キュアは質問に質問で返した。
「電磁誘導と重力制御の使い手、その二つを組み合わせて機械神すら焼く炎を作り出す紅蓮の死神。フィーネ台地攻防戦ではその力を使い雲を作り出す初手を担当、その際に両腕を失い今は生物型人形の腕を移植される。全て同型の自動人形を各個体で判別する能力をも持つ」
「完璧な答えだな」
アリシアの立場であれば得られる情報を彼女は全て答えた。各自動人形を判別する生きた逆探の力すら知っていたとは、キュアも流石彼女であると評する。
「その情報を鑑みてお前はリュウガをどう思う?」
「化け物よ」
あまりにも簡潔かつ鋭利な答え。
アリシアも立場上、希少な情報が集まってくる。それをまとめただけでもリュウガは人智を超えた存在となる。アリシアも噂話が広がっただけの虚偽なら容易に見分けられるが、それが一切ない真実だけなのが余計に質が悪い。機械神を破壊した女の異名は伊達ではないらしい。
「お前がそうやって明け透けなくいってくれる女で助かる」
キュアもリュウガのことを擁護するでもなく、彼女の存在ははっきりとさせたい様子。
「だが、それでもリュウガは人間だ」
そしてその言葉は庇う訳ではなく、手の施しようが無い事実を示唆していた。
「体がどんどん化け物になっていくのに対して、心は人でありたいと強く願う。何かしら超常の力を抱える者はその様に思う者も多いし、少なくともリュウガはそう願う女性」
しかも元の両腕を失い火を扱う能力者としての力は総体的に落ちているのに、移植された代わりの腕を動かせるようになるに連れて化け物としての存在は強くなってくるという、困った状態にあるのだ。
「人間には三大欲望がありその欲望があるからこそ人間であるといえる。人でありたいと強く思うあまりその内の一つが異常を来しているのが今のリュウガ」
「病的なまでの眠りが、それ?」
「そういうことだ」
性、食、睡眠、人の持つ根源となる欲望の内、眠りの調律が狂い始めている。
「ここまで酷くなったのは、妹と離れたというのが大きいのだろうな」
今までずっと一緒に居た者が消失した不安という力が、心の不安定と言う力に変換されてしまっているのだろうとキュアは考える。
「今回の任務は本来はリュウガ一人に任せるつもりだったのだ。現時点で仮設七号機に全力を発揮させられる者は他におらんのでな」
その時間を確保する為に六十番機・キマリスの改装完成と乗員召集を、準備期間の延長と言う理由を設けて遅らせているのである。
それを聞いたアリシアは、キュアの唐突な発言に眉値を潜めた。
「あたしだって仮設じゃなくとも七号機くらい動かせるわよ、一人で」
そして不満を顕にするが
「ではその習熟にどれだけかかる?」
「それは⋯⋯」
キュアの指摘に流石にアリシアも黙らざるをえない。
「空の街は今日にでも雲の回避方法を覚えて再び姿をくらましてしまうかも知れん。その時間の無さを唯一無効にしてくれるのがリュウガという予備機の操士」
予備の部品を多量に組み付けているからこそ、その部品の運用方法も普段から習熟しているのである。これが「最恐」や「最強」という言葉から外れている、最も
「しかしリュウガはお前が指摘した状態。もう一人必要だと判断した」
今回の任務、自分が主軸だと思っていたそれが逆だった事実に、アリシアはえもいわれぬ怒りを覚える。
「お前は空の街が出生地とされている。だからお前の体がその故郷の何かを覚えていて、それが優位に働く可能性は高い。だから選んだ」
「⋯⋯今回のあたしの選出、機械神操士としての腕前なんて関係ない、そういうこと?」
「そうだ」
人としての感情など持ち合わせない機械仕掛けの淑女が、あまりにも簡潔に告げる。
「上等じゃない」
何も飾られない事実だけの言葉を聞いてアリシアが薄く笑った。
「このあたしをここまで
機械神操士の中では最高の腕前だと自他共に認める自分を操作術とは関係無く、ただ目的地の元関係者だから、と言う理由だけで選んだと言うのだ。このまま黙っている訳にはいかない。
「辱しめを受けてやる気が出たか」
キュアがあえて煽る様に言うが今のアリシアには既にその効力は無い。
「やる気もなにも定時視察の経路確保なんて間怠っこしいことはしないわ。十二号機を分捕って来てやるわよ。黒龍師団は悪の枢軸っていわれてる程なんだからそれぐらいやったって文句ないでしょ。動力がいるいらないの問題なら乗っていく仮設七号機をくれてやるって交渉してくるわ、構わないでしょ?」
「それは構わん。失われることが前提で作ったからこその仮設機。有効活用出来るのならくれてやって良い。それで、十二号機の中の自動人形はどうする?」
「一緒に全部連れてくるに決まってるじゃない、あたしが空の容器だけ持ち帰る失策をするとでも思ってんの、ちゃんと中身も持ってくるわよ。その代わり」
「その代わり?」
「回収した暁には機械神十二号機はあたしのものにするけど良いわよね?」
「構わん。乗りこなせるならな」
キュアの顔部が動くならば目を細めながら微笑を浮かべただろう。その不敵な態度、機械神の最強の一体を任せるに相応しい。
「ならば今すぐにでも出発しろ」
そしてリュウガという、化け物に成りかけの人間の相手としても。
「空の街が今日にでも再び姿を隠してしまうかも知れないからな。機関士の問題ならば彼女なら半分寝ながらでも、炉も推進機も完璧に動かすだろうから安心して連れて行け」
「望むところよ」
出発を直前に控え、残り少ない自由時間をアリシアは機械神格納施設の一角で過ごしていた。
魔女の遊び場と名付けられたこの場所。自動人形が用意した研究施設。ある条件を満たせばここの利用は自由でありアリシアはその条件を満たしていた。
その中心に据えられたもの、
縦になったドラムが何本も並び、表面からはピンが無数に飛び出ていて、歯車が何枚も噛み合わされている。高さは百フィートほど、横幅も奥行もほぼ同じくらい。
そして長大なドラムは少しずつ動いている。縦にしたオルゴールを無数に並べて金属の樹海を作ったかの様な機械。
人間の脳と同じものを再現するために何万倍もの大きさで思考機構を作った、古代の考える装置。ドラム群にオルゴールの如くピンが配置され、回転、停止、逆回転し、多くの歯車や力の伝達機構、位置や回転角などで情報を記憶、表示する仕組みなどから構成される。本来は蒸気で動くはずだが、ここに運び込まれたものには別系統の動力が供給されている様子。
解析機関の前に置かれた椅子にアリシアは腰掛け、作業卓に置かれた鍵盤の釦を叩いて黙々と入力作業を行っている。
「あいつの磁力の魔術は欲しいわよね。そうすればあたしの雷術と合わせれば電磁誘導にできるだろうしそれで封印も――」
「また術式の計算かアリシアよ、己の封を解くための」
作業中のアリシアの背後に現れたキュアが言う。
「素直に機械神に頼んだらどうだ呪いを解いてくれと」
「嫌よ」
アリシアの体にはとある封印――呪いが施されている。普通の人間として暮らす分にはそれを解く必要は無いのだが、以前は使えていた力がこのままでは死ぬまで使えないのはもどかしくも思う。
呪いそのものは機械神が施した。だから機械神に願えば解いてもらえる。アリシアは機械神正操士となったのだからそれぐらいの頼みは機械神も聞き届けるだろう。
しかしアリシアはそれをしたくない。自分の意思とは関係なくかけられた呪いを、かけられた相手に定型通りに解かせるのはなんだか納得がいかない。それに機械神による封印を指示したのは他ならぬこの意思を持ちし自動人形なのだ。
だからアリシアはこの場に設置された古代の思考機械を用いて解呪の術式を作ろうとしていた。
「そろそろ時間だぞ」
「わかってるわ」
キュアに出撃時刻が迫っているのを急かされると、アリシアは席を立った。
「解析機関は動かしたまま行くのか」
「そうよ、今入力した術式の算出に十日はかかる」
アリシアはそう言い残すと稼働を続ける古代の計算機と自動人形を残して、仮設機の駐機場所へと向かった。
「あなたには友達と呼べる存在はいますか?」
「なによ、いきなり」
電波探信儀に空の街らしき影を捉えて仮設七号機が徐々に速力を上げる中、後部座席のリュウガがそう訊き、前部座席のアリシアが訝しげに応えた。
「妹がいて従姉妹みたいな親代わりがいて、そしてたくさんの教え子がいて、色んな人たちが周りにいて、その関係がずっと続くものだと思っていて」
四つの動力炉を臨界点スレスレまで力を上げながらリュウガが続ける。この炉の限界運用操作も、大切に育てた後進達が教えてくれたもの。教える側と教えられる側が入れ替わった時、本当に幸福に感じたのを強く覚えている。これが絆なのだと。
「でもずっと一緒にいた妹が旅に出るっていなくなって、そうしたらなんだか大きな穴が空いたみたいになって。周りにいた人が一人欠けただけでこんなにも寂しく不安になるものなのかと」
ごく普通の姉妹として生きてきたとは思うけど、それでもお互いがお互いに強く特別に依存してしまっていた部分は大きかったのだろうと思う。たった二人の特異な力を持つ者同士が寄り添うのは必然であるかの様に
妹はそれに一足早く気付いて家族の輪から抜けていった。姉に頼らないでも生きていけるようにと。
「その時気付いたんです。わたしって友達って呼べる人いましたっけ⋯⋯て」
そして今度は、自分が妹がいなくても強く生きていけるようにならなければいけない番。妹以外の大切な人を見つける、大切な人に出会う。新しい絆を。
「友達なんてものは、あたしが昔もっていた力を捨てた時一緒に捨てたらしい。その様に覚えている」
しかし、アリシアの言葉が冷徹に響く。彼女の人生の何処かで、自分の回りから他人を消す大きな出来事が起こったのだろうとリュウガは気付く。それを考えると「あなたには友達と呼べる存在はいますか?」とは酷く思い遣りのない事を訊いてしまったと恥じる。
「それに友達なんて作ろうとしてできるものじゃないでしょ」
「⋯⋯そうですよね」
だからその言葉も反論せずに受け入れる。
「⋯⋯」
仮設七号機の出発が急遽決まりリュウガが呼び寄せられたが、少し眠そうにしている位で、出発準備は出来ている状態でやって来た。彼女もアリシアとの顔合わせの説明を事前に受けた時点で、何時でも発てるようにとはいわれていたらしく、身辺整理は済んでいた。
黒龍師団を後にして、キュアに教えられた場所へ向かうと、空の街は呆気なく見付かった。空の街は変わらない一定の進路を周回しているらしく、一定に決まっているからこそ位相をずらすことが出来ていたらしい。
それを巨大な雲が邪魔するようになって、迂回しなければならない時に姿を見せてしまって進路が判明したと言う。
何故その様に空の街の飛行進路が解析出来たのかとキュアに訊くと「我等の先祖であるジンコウエイセイが捉えて教えてくれた」と理解できない言葉で説明され煙に巻かれてしまった。
それはともかく、その飛行進路に合わせて飛んでいると、程無くして目標を電探が捉えたのだ。そして自機を目標を上回る速度に徐々に上げつつ追い掛ける。
アリシアはリュウガの動力炉を扱う技術に正直舌を巻いていた。臨界ギリギリの値でしかも安定力は失なわれていない状態で、複数の炉を同時に動かす。
元々が龍焔炉を使わずに変形だけは出来るようにと一定以上の高い段階までは動かせていたのだが、それにダンタリオンの乗員達から熟達の技を教えられ、完璧に仕上がった。
アリシアもこの高出力域で複数の炉を発動させるには数週間の習熟期間は必要であるとは自覚する。安心して任せられるのは正直悔しくも思うが、ここまで頼りに出来るとも思ってみなかった。
「――見えた」
空の街が移動しているとされる航路を加速しながら進んでいくと、前方に鉄の塊が飛んでいるのが映像盤越しに見えた。
向こうはどう見ても輸送機の巡航速度程度で移動しているようにしか見えないのだが、音速第四段階を発揮中の仮設七号機でも徐々にしか追い付けないのは、とてつもない技術。
後ろから接近すると空の街の外観が分かってくる。
九号機の格納庫と同じ形のものが何個も繋げられている。この位置からは見えないが、その前部に十二号機が接続されているのだろう。意匠としては十三号機が人型の時に背負う九号機用の格納庫を更に肥大させたような形か。全体的には副長から資料の提示のあった機械神の遺物を用いた脱出船を更に複雑怪奇にしたような形状。
「あれではいくら詰め込んだとしても千人程度が限度じゃないかしら」
全体的な容積を考えると、多くの人間が暮らせる規模にはならないのではと予想する。
それに空の街は外界との接触を断っているのだから、内部で食物連鎖を完成させなければ長期化する空中での生活には耐えられない。如何なる技術を使って生活空間を構築しているのだろう。
「ここが位相の境界線?」
映像盤を見ながら空の街の周囲を確認していたアリシアが言う。一瞬視界が揺らめいて目標がぼやけて見える時がある。そこが外界との境界である位相がずれている空域であるらしい。
仮設七号機は何とか空の街の移動速度に合わせると徐々に機体を寄せていく。そうして腕を伸ばせば指先が届く距離まで接近すると、胸部に収納されている副腕を展開させた。七号機は両腕が推進機であるのでこれが実質の主腕となるが、機械使徒の標準的な両腕でもあるので出力に関しては問題ない。
そして展開した副腕が空の街外装の突起部分の一つを掴んだ。
「捕らえた!」
その直後凄まじい振動に襲われる。巡航する物体と音速第四段階の物体が接触したのである。位相のズレがなければ触れた瞬間に双方とも粉々だろう。だが、機械仕掛けの神は、位相の違いさえ螺曲げた。
「徐々に減速!」
「はい!」
アリシアが指示を出しリュウガが少しずつ炉の力を落とす。
何れにせよ推進機は停止させなければならない。掴まえた副腕から徐々に空の街の慣性が浸透し、それが全て伝わった時に仮設七号機は空の街に到着したことになる。しかし時機が早ければ位相のズレに弾き飛ばされるだろう。
機体の振動が微妙に変化した時、アリシアは決断した。
「主推進機停止! 逆噴射かけて! このままでは自壊する!」
「了解です!」
主推進機の停止と同時に腰部前面と膝部の推進機から水素の火炎が吐き出され制動がかけられる。
しかしそれでも時機が悪かったのか停止した瞬間、位相のズレの外に取り残された主推進機の片方が千切れ飛んだ。
「!?」
「気にするな! 片方あれば帰れる!」
「はい!」
そして徐々に振動が収まってきた。空の街の慣性と一体化出来たらしい。
「逆噴射停止、炉も通常運転に」
「了解です」
逆噴射に使った推進機を止める。振動が止む。
「これからどうします? ずいぶん派手に到着しちゃいましたけど」
炉を通常稼働に戻しながらリュウガが訊く。
仮設七号機は推進機の一つを失ったとはいえそれでも十万瓲以上の重量物。自重を軽減させる重力制御は稼働させたままだ。
「
アリシアは操作卓の外部に繋がる集音機に声を入れる。
『本機は地上の管理組織から来た。代表者と話がしたい』
身分を最小限で明かし、外部拡声器から交渉の声明を伝えた――が
「返事がありませんね」
ある程度の時間が経過するまで待っていたが、リュウガが指摘するように相手からの反応は無い。
「返事ができた者は、全て死滅してしまったか」
アリシアが憂惧な予想をするが、リュウガも同じ考えなのか悄々とした表情で映像盤を見ている。
「立入の宣言はした。返事が無いなら後は勝手に入るだけ」
仮設七号機は自動人形が一体も乗っていないので無人にするには不安があるが、仮設であっても機械神であるのは間違いないので、何かあれば自立行動装置が何とかしてくれるだろうと機械神操士である二人は判断して、空の街へ乗り込む。
二人は操作室から離れると外部扉から機外へ出た。その直後、強風と猛烈な寒さに襲われる。
「あんたは寒いのは平気?」
高空に漂う冷気混じりの風になぶられながらアリシアが言う。周囲は寒冷地並の寒さ。
「平気じゃないです」
体を震わせながら後に続くリュウガが声も震わせて応える。細身の体にはこの寒さは強烈だ。
「九号機と同じものを何個も繋げているなら、出入口も同じよね。早く中に入らないと凍え死ぬ」
仮設七号機の副腕を伝って空の街の外装に辿り着いた。アリシアも猫科の亜人だからか、巡航速度とはいえ飛行中の物体の上を難無く移動する。
「九号機の格納庫の下に見たことのない機械が付いていますね」
こちらも問題なく着いてきたリュウガが言う。副腕を伝っている時に空の街の下部が見えたらしく、その印象を話した。
「見たことのない? どういうこと?」
早く目標の機内に入りたかったが相手が気になることを言うので聞き返した。
「わたしは機械神の格納施設に小さい頃から出入りしているんです。だから機械神や機械使徒は元より、自動人形の作り出す謎の機械とかを見ているんです。そういうものの意匠から外れている――そういう意味です」
アリシアが訊くとリュウガはそう説明した。
「意匠から外れている⋯⋯」
その意見にアリシアが考え込む顔になる。
アリシアもリュウガ程ではないが幼少のころより格納施設には出入りしている。そのお陰で自動人形が自分達の目的達成のためと説示する面妖な機械も多く目にしている。それらの形状的な印象からも異なる雰囲気であるならば、相当な違和を持った機械であるのは予想できる。
「位相をずらす機構が何処かにあるのは間違いない。それが街の下部の機械である可能性が出てきたわ」
アリシアが言う。
「それを止めればこの空の街は姿を現すはずよ。既にこの場が無人であるなら外交経路の構築なんて無意味だわ」
リュウガには外交経路の構築はせず十二号機の直接回収が目的で来たことはまだ告げていなかったが、その必要もなさそうな状況になってきた。相手がいればこその交渉であり、いないのであれば考慮する意味がない。
「もし、機械神か自動人形が位相をずらしているのなら止めようが無くなりますけど」
しかしリュウガがその行動は早計ではと反論するが
「あたしは機械神と自動人形がそこまで協力しているとは思えない」
「⋯⋯確かに」
リュウガもその意見には同調する。
「機械神は動力を供給するだけ、自動人形はこの街の建造を行っただけ。自動人形相手だとこの規模ぐらいじゃないと取引として成立しないわ。彼女たちは機械神の常態維持が最優先なんだから」
自動人形が人と積極的に接触を保とうとするのは、機械神の常態維持と自分達の複製品の製造方法の探求の二つと利害が一致した時だけである。
十二号機を水災の影響がない空中へ半永久的に留め置いておく引き換えに、動力を供給して外界との接触を断ち切る機構を稼働させる。だから位相のズレそのものを生じさせているのは十二号機では無いと言う消去法が成立する。
「何はともあれ、入れる所から入るわよ。このままじゃ寒さでどうにかなるわ」
アリシアは九号機格納庫の外部扉を見付けると、開いて中に入っていく。リュウガもそれに続く。
「⋯⋯ここに本当に人が住んでいたというの?」
中に入り寒さから解放されて一心地ついたアリシアが、まず思い付いた言葉は唖然だった。
二人がいるのは十二号機に繋がる格納庫最前部、街の始点と仮称できる位置。
九号機の格納庫内部は広大とは言え、数千人を収容するには無理が生じる容積である。それを如何なる手腕を用いて人の住める環境を作り出したのかと思ったら、ただ、普通の街並みの様なものを再現してあっただけだった。
一応は商店の様な物や住居の様な物があるのだが、舞台の欠き割りのような簡易な作りであり、形だけ再現したといった印象。
「これは、鉄道⋯⋯ですかね」
アリシアと同じように周囲を確認していたリュウガが、格納庫側面近くの床に線路が敷かれているのを見付けた。それも狭い内部を通るのに適した軽便鉄道ではない、標準規格の鉄道である。
施設された軌道は格納庫の中心に続いている。線路上には車輌らしき物が留置されていた。格納庫に納めた資材運搬の為に貨車を設置したのならまだ説明がつくが、留め置かれているのは旅客用の路面電車であった。
「なんの冗談なのかしら、この場所」
数千人規模を収容する脱出施設とはとても思えない、数十人規模を満足させる為だけの娯楽施設、そんな印象。
中を歩いていくと鉄格子が何個も設置された区画があった。最初は密閉空間で発狂した者を隔離するための牢獄なのかと思ったが受付らしきものを発見して、ここが動物園であったことを知る。
「ここが動物を閉じ込めて観賞する施設だとしたら、中の動物は殆ど身動きが取れない大きさですね」
「食べるための家畜も兼ねていたか⋯⋯それにしてもおかしい。気付いてる? 臭いが全くしないことに」
アリシアの問いにリュウガは無言で頷いた。
獣の臭い、糞尿の臭い、生物が住んでいるならば何らかの臭いが少しは滞留しているはずだが、それが全くない。
臭いを完璧に消臭する空調が完備されているのだろうか。それでも一切の臭いが皆無なのはおかしい。これだけの高空を飛んでいるのだから、完全に閉め切って予圧を施さなければ生き物は凍死するので、生物が発する何らかの臭いは残るはずだが、それが無い。
生物が既に死滅してしまったのならある程度は説明がつくが、古い建築物には必ずある黴の臭いまで感じないとは異常だ。黴という微生物まで死に絶えたというのか?
その異様な空間を進んでいくと、中心部にそれはあった。
「これは⋯⋯?」
縦になったドラムが何本も並び、表面からはピンが無数に飛び出ていて、歯車が何枚も噛み合わされている。これが格納庫の側壁から側壁までを全て埋め尽くしている。高さは百フィートほど、横幅もほぼ同じくらい。奥行きは分からないが縦横の大きさだけで機械神が背部に背負うコンテナが一杯になる容積。
そして長大なドラムは少しずつ動いている。
「これは、
機械を見上げてアリシアが呟く。
「解析機関?」
「あたしたちの頭と同じものを再現するために何万倍もの大きさで思考機構を作った、古代の考える機械よ」
リュウガの疑問にアリシアが応える。自分が普段取り扱っているものと同種のものだ。
「本来は蒸気で動くはずだけど、十二号機から動力が供給されている様子ね」
黒龍師団機械神格納施設に設置されているものと同じように動力は別系統であるらしい。
「これが位相のズレを生じさせている正体ですか?」
「これじゃないと思うわ。やっぱり街の最下部の機械が怪しい」
リュウガの予想をアリシアは違うと制した。普段から解析機関を取り扱っている彼女からすれば、位相のズレを生じさせるのは荷が重いと考える。ここは下にある謎の機器の補機として動いていると考えるのが妥当か。
「この解析機関の先にもまだ街の続きがあるみたいだけど、どうせ作り物の風景が続くだけでしょ。だったらもう下へ降りた方が賢いわ」
アリシアはすぐ近くに下層へと続く階段を見付けていた。冗談の様な線路もこの巨大機械の手前で途切れている。この解析機関の奥へ進む通路は見付けられない。一旦外壁の外へ出るか下に降りるかしないと機関の裏には行けない模様。極寒の外に出ると言う選択肢は選びたくないので、それならばここは行き止まりと同義。
「⋯⋯はい」
リュウガは後ろ髪引かれるものがあったが、杞憂であろうとアリシアに従った。
二人は階下へ降りていく。
彼女たちが、もし、この解析機関の裏まで無理にでも行ったならあるものを目撃することになった訳であり、それを見て逆上した思怨に全てが飲み込まれ、この星の歴史はそこで終わっていたのかも知れない。
一層下へ下り、位相のズレを生じさせているだろう機械の内部に入った二人は、九号機格納庫内部に作られた街らしきものを見た時以上に言葉を失った。
内部は様々な機器に埋め尽くされているのだが、それが機械神を始めとした身近にある機械とはどれも違う。リュウガの言った「見たことのない機械」というのは外見だけではなく内部まで及んでいた。
見たこともない感じたこともない違和感からくる、異様。
「星舟」
内部を少し進んだ時、リュウガがぽつりと漏らした。
この機械の内部に入った時からこれの正体をずっと考えていたのだが、自分が見聞きしてきた機械の中で当てはまるのはそれしかないように思う。それは直感に近いもので、更には聞いただけの話であるが、教えてくれた者の存在がかなり確度の高いものであるからだ。
「星舟って⋯⋯黒き星の海を航海する船のことよね」
アリシアもその名には心当たりがあるのか確認するように訊いた。
「相手がアリシアだったら話しても構いませんよね」
リュウガは自分自身と教えてくれた者に確認するように独り語ちると、アリシアに「そうです」と改めて頷いた。
「フィーネ台地の攻防から帰還して、救護室で体が動けるようになるまで療養していた時に色々聞いたんです、
人形の腕の移植が終わり安静にしている必要があるリュウガは、その時に『時間もあるしちょうど良い機会だろう』とキュアから様々なことを聞かされた。
星喰機の機密を持ち帰り、両腕を失ってまで水没回避に尽力した彼女には、多くの過去の事実を知る権利があるし、知らねばならぬ義務も出来たのだろうと。
『繰り返すが、お前には理解できぬかも知れぬ。だが、その情報が必要になる時が来るかも知れぬ。理解できぬとも所有している事が大事。だからお前がそうやって体を休めている期間に太古の様々な事柄を語ろう』
その中で「星喰機はどのようにして黒き星の海を移動するのか」という話が、この場所の答えを出すのに一番近いと思うのだった。
空の向こうの黒い領域で輝いている星――恒星は、年数という概念を遥かに超える時間をかけてその光を我々の住むこの大地へと送っている。それだけ長大な距離の向こうに恒星はいる。
それはつまり星喰機が恒星を喰らいに向かうにも、光が進む速さで移動しても片道でそれだけかかるということであり、獲物と決めた恒星へ往復し星を食らって新たな自動人形を持ち帰るには千年という時間では全く足らない。
その為、星喰機は空間跳躍という技術を使い移動距離を短縮している。
元々が空間跳躍とは、星の光が地上へ届く時間を超える――光速を突発する方法として開発されていた。
力学や相対論において実数や要素が、実数有向量で表される質量や速度を負にしたり、複素数にしたりすることによって、数式上は既存の物理理論と整合性を保ったまま、光速を越えることが可能であることが理論的には示される。
しかし「負の質量」や「複素数の速度」を持った物質の存在を検証する方法が分からず開発は頓挫した。光速を越えることを考えると因果律に反したことが起こる可能性もあった。
だが、一つの世界の中で光でも進むのが困難な距離を跳躍するのは不可能でも、隣接する二つの世界を結んで跳躍する技術は既にあったのである。神の悪戯か悪魔の囁きか。
我々の住む世界とは並行して別の世界が存在している事実。そのもう一つの世界――異世界へ渡る方法は歴史の表には出てこない、何時の間にか完成された技術となっており、一定数の人間が二つの世界を往復していた。
しかし、完成されたとは言っても危険を伴うのは解消出来ず、その為に一部の人間だけが知る技術に留まっていた。
人々が地上を飛び出し黒き星の海へ進出するに連れて、航行に使う星舟の移動速度にも限界が生じ始めた時、異世界に渡るこの技術を応用すれば移動距離を劇的に稼げるのでは、という考えが出る。
一旦並行する世界へ跳躍し僅かに角度を変えて元の世界へ戻る。そうすれば星と星の間を瞬時に移動できる。
だが、この「僅かに角度を変える」というのが非常に困難であり、厳密な測定と計算が必要であるばかりか、少しでもズレれば目的地に到達不可能であり、失敗すれば異世界に取り残される事になる。
しかし黒き星の海を迅速に移動する方法は他には遂ぞ作れなかったので、この方法を具現化させた機材を積んだ星舟が多く建造され、人は活動範囲を広げることになる。これが異世界へ渡る技術の流用であるとは混乱を招くので公には伏せられていた。
その後、空間跳躍での事故で多くの星舟が失われ、異世界に取り残されたか、現世界に戻れても帰還不可能な距離まで角度を間違えたか、その行方は不明のままが殆ど。それでも人々は星舟を作り黒き星の海の航海を続けた。
星喰機は太古の人々がそこまでして犠牲を払いながら使い続けた空間跳躍の機能を駆使して黒き星の海を進んでいる。
星喰機は機械神の原型となる程のものであるから、常態維持に関しても高度なものが施されている。だから空間跳躍を失敗することはない。もし失敗することになれば星喰機程の高度な存在が二つの世界の狭間――界層で滞留することになり、その影響は計り知れない。それで発生した歪みに世界の半分くらいは飲み込まれるかも知れない。世界の半分とは我々が住まうこの星の半分ではない、黒き星の海の半分である。
「わたしが聞いた話はそこで締め括られました」
話し終えたリュウガがそうまとめる。キュアの話は殆ど理解出来なかったが「その情報が必要になる時が来るかも知れぬ。理解できぬとも所有している事が大事」という言葉に従い覚えていることは全て話した。もし他人に話す機会が訪れたならば相手を選べと言われていたが、アリシアが相手であればキュアも許してくれるだろう。
「だからここは、星喰機と同じだけの移動能力を持つ、星舟の中なのではないのかと」
「⋯⋯」
その話を聞いたアリシアが難しい顔になる。
アリシアも星喰機の存在はフィーネ台地攻防戦の作戦会議の時に始めて知ったのだが、星舟の存在は機械神操作に習熟するために関係資料を読み漁る中で、その概要は知っていた。
そして読んでいた一つの古い文献には、通常の状態とズレた状態を数瞬で繰り返すことにより界層の間に潜航を可能とした星舟がいることが書かれていた。それは更に高度な操作技術が必要なので少数しか生産されていない、黒き星の海に潜れる潜水艦の様な何か。それこそが、今自分たちがいるこの場所なのではないのか? 位相のズレを発生させる正体。
「高度な操作技術といっても、自動人形がいれば殆どの機械を動かせますよね」
何か手掛かりが見付かればとリュウガに文献の内容を話すと、彼女はそう応えた。自動人形が育ての親の彼女は、自動人形の能力を良く知る。その彼女がいうのなら間違いないとアリシアも判断する。
つまり自動人形が星舟であろうこの場所の何処かにいて、内部の機能を操作している。それならばそれを停止させれば。
「じゃあ早速この星舟を止めて終わりにするか。誰もいないのなら勝手にやっても咎める者もいない」
位相のズレが無くなれば空の街は姿をさらけ出す。巡航速度で飛ぶだけの物体になれば後は手空きの機械神に来てもらい、黒龍師団の本拠地まで牽引して丸ごと持ち帰れるだろう。その手筈が整えば自分達の仕事は早々に終わる。
「どうやって止めますか?」
「この星舟だって十二号機から動力供給を受けているはず。停止方法が分からなくても物理的に切断すれば止まるでしょ」
そしてここには機械神を破壊した女の異名をとる火の使い手がいるのである。リュウガの能力は以前より落ちているとはキュアから聞いたが、後付けで取り付けられた動力管を火炎で焼き切る程度は難しくはないだろう。機械神そのものを焼き切るのではないのだから。
「というわけでアンタには動力の切り離しを頼むわ。上に上がって入ってきた所まで戻ればすぐに見つかるでしょ」
「わかりました」
「ようやく探検は終わりかいお嬢様たち」
二人の間を裂くように男の声が割って入った。
「!?」「!?」
二人が身構えながら声のした方に振り向く。そこには弩を持った男が立っていた。
痩身に短い総髪、蒼白な顔。御伽話に良く出てくる屋敷から一歩も出ない、怪人呼ばわりされている主人をそのまま再現したような雰囲気。
皺のない顔の作りは二十代のようにも見えるのだが、若くして苦労を背負い込まされた豪商や下級貴族の跡取り息子のような、閉塞された疲れが滲み出ている。若き老人という反比例する敬称が似合う。
短い髪は綺麗にまとめられているが、生気が抜けきったかのような白髪の侘しさを増長させているようにしか見えない。
得物を持って侵入者と対峙する行為もその怪しき印象を深めるが、なぜか矢先は向けられていなかった。
「お嬢様だなんていわれるほど高貴な生活は送ってないわよ」
やはり生存者が居たかとアリシアは口惜しく思う。木の張力が動力の射撃兵装を向けられても二人の身体能力ならば避けることは簡単だが、目の前にいるというのに生物の息吹を感じさせない異様さに油断ならない。会話も必然と硬質なものになる。
「勝手に入ってもらっては困るね、しかもこんな重要区画まで」
アリシアのあからさまな嫌悪を向けられても、平常に会話を続けようとする男。
矢で狙うでもなく、武器を持っているのに構えようとしない態度が、逆に和平案の交渉が通用するような相手ではないと示している様に思える。
「入るわよって外から断りは入れたわよ。返事をしないそっちが悪いのよ」
「ごもっともな意見だね。ちょっと挨拶するのにおもてなしの準備に時間がかかってね」
おもてなしの準備――二人の会話をどこかで聞いていて、次の行動を予測して対策を考えていたということか。生存者は居ないと断定してしまった自分の早計をアリシアは悔いる。
「しかしずいぶんと立派な御料機に乗ってきたものだね。この場所の動力を司る鉄巨人と同種のものと見受けられるが」
弩は依然として下ろされたまま男が続ける。二人には向けられていないのは、やはり何かの計略か。
「あたしたちはその鉄巨人の管理組織から来た者。管理をする立場上、我々の手元にない機も視察したいからここへ来たのよ」
この男の出現により空の街の住民は居たことになった。勝手に十二号機だけ回収するのはこれで不可能になったと、アリシアは判断する。
キュアには十二号機を分捕って来ると宣言したが異様な雰囲気を纏う男を前にして、まずは段階を踏む交渉に変更した。隣のリュウガはアリシアに任せる様子で黙して様子を見ている。
「その手の身勝手な秩序の押し付けが嫌だから空に上がった――そうは思わないのかい?」
男が言う。確かに黒龍師団は機械神の管理組織を勝手に名乗っているだけである。
「身勝手なのは承知してるわよ。身勝手ついでにいえば、鉄巨人――機械神をこちらに引き渡して欲しいけど今回はそれはしないであげるっていってんのよ。今後ここへ機械神の様子確認のための定時視察経路を確保したい。それだけよ」
少しだけ本性を明かす。仮設七号機との交換はまだ手札として取っておくつもりらしい。
「外交を開いてもらいたいというわけだね。筋は通っているけど、砲艦外交にしても度が過ぎないかい?」
「弩持ったヤツがいえる言葉かしら?」
彼女が武器の名前を出すのを待っていたかのように、男が唐突に弩を構えた。そして矢先が向けられたのは、アリシアではなくリュウガ。
(わたし?)
(なっ、あたしじゃなくてコイツを狙うのか!?)
交渉している者ではなくその隣を狙う奇策にリュウガもアリシアも空白が生じる。
「!」
その一瞬の隙を狙って何かをしたのか、リュウガは右の背に衝撃を感じた。そして痛み。
「え?」
リュウガが背中を見るように首を回すと、背中に突き立った矢柄が見えた。そこから生える矢羽根の向こうに、空の弩を構えた自動人形が一体立っていた。
自分達の目的達成の時間軸の中でのみ行動する自動人形が、この男に積極的な協力をしているとは思わなかったが、例外は居たのだ。それにはリュウガもアリシアも失策だったと痛感する。
言葉で挑発する本人が囮となり、生物の気配が無い自動人形が更に背後から射るという何段にも構えられた射撃を流石に避けられなかった、が
「この程度の矢が刺さったくらいではわたしはなんとも――」
そういいながら背中に手を回して矢を抜こうとした次の瞬間、リュウガはその場に倒れた。
「リュウガ!?」
「私も最初からそんな矢一本で倒せるなんて思ってない。それに今なら私が持っている方の弩で無防備なキミの首筋を狙える」
思わず身を屈めて相手を介抱しようとしたアリシアを制するように男が言う。アリシアは再び身構える。
「頭や左の背を狙わせなかったのも、わざとだよ。急所を狙った攻撃には頭が追い付かなくとも体が勝手に反応してしまうかも知れない」
男が矢をつがえたままの弩を下ろしながら言う。
「
見抜かれていた。しかし中身が分かったからといって、対応出来なければ意味がないが――
「人の姿をした超常の存在を倒すのは確かに難しい。だが、動けなくするのは意外に簡単だ。鬼には菖蒲の花、獣人には銀、吸血鬼には血液摂取の必要と強い者には大概弱点が設定されていて、それは生涯克服できない。そして特に弱点が無くとも人間型の化け物に大体効くのが、眠り。その矢先には大型の獣を昏倒させるほどの眠り薬が塗ってある」
この男はリュウガが今現在抱える弱点すら見抜いていた。
「人間型だから人間が持つ欲望には逆らえない。そしてそれを容易に与え崩せるのが一番簡単なのが眠りだ。そうして自己の持つ強い力が、更に深く眠りへと誘う」
男は静かに、残された赤毛の亜人に言う。
「おかえり。確か名前はアリシア、だったな。まさかここへ戻ってくる者が出てくるとはな」
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