凍季休暇(4):坊ちゃんと澪標


 ロウ家に国王と王子が二泊し、王城に帰っていったのとすれ違うようにして、今度は兄貴の大親友ルーファス・チカがやってきた。

 ルウと兄貴は基本的に楽しく遊戯に興じたり、港町に出かけたり、あと勤勉なことに魔法に関する意見交換をしたりして五日間を過ごした。そしてその間、ルウの気が赴くままに俺は鍛錬に引っ張り出された。


 三回生から兄貴が選択している専科は〈魔法騎士〉、ルウは〈竜騎士〉。どちらも騎士団所属を目標に据えたコースなので、当然二人とも剣技に長けている。

 一方の俺は、武器を使うなんて卑怯だダセェ! というアホ不良思考が抜けないせいで、ニコラに生まれてからというもの剣はわりと不得手だ。大体、刃物って怖いじゃん。鍛錬で使う剣は当然刃を潰しているが、それでも当たったら痛いじゃん。


 そんな風に遊び暮れたルウが帰宅し、今日明日にも天海が完全に凍りつくかといった第十二の月上旬。

 久しぶりにシズルが姿を見せた。


「久しいな」

「よー、久しぶり。怪我治ったんか?」


 ロウ家次男坊らしからぬ行儀の悪さでソファに寝転がっていた俺の横に、音もなく現れた青い猫、シズル。

 星降祭の夜、俺やアデルを庇ったせいで負傷してしまったため、しばらくのあいだ療養していた。定めた契約期間内にはまた顔を出すと言ってくれていたので大人しく待っていたところだ。


 地下にある親父殿の書斎で本を読み耽っていた俺は、あ、とページをめくる。創世神話をまとめた分厚い研究書だ。前半部分に登場する青い猫の挿絵を、シズルにも見えるよう広げた。


「そういやおまえの正体、わかったぞ」

「わざわざ調べたのか」

「〈太古の炎の悪魔〉について調べてたら偶然わかった。〈みおつくし〉だな」



 創世神話によると、この世界のどこかに存在する世界樹ヴァルガルドが天海のくじらを生んだとき、二つの炎が海の底に灯ったという。



 冥海の底には忘却の赫い炎が。

 天海の底には道標の蒼い炎が。



 このうち冥海の忘却の炎が〈太古の炎の悪魔〉……学生時代のイルザーク先生に封印されたあげく現在リディアの指輪状態という、なんとも不憫な命運を辿った悪魔だ。


 そして天海の道標の炎は、天界のくじらや神々が海で迷わぬよう灯り続ける道標。地上においては航海の安全、道標、転じて人生の運命をも司る〈澪標〉の神である。



「本に書いてある。『定めし運命の方向を僅かにずらすことを、天海のくじらより許された唯一の存在』って」

「ふふん。すごいであろう」

「うん。おかげで俺は死んだわけだけど」


 ヒゲをぴんと伸ばして偉そうにしていたシズルはしゅるしゅると縮こまった。一応本当に心の底から、日本での自分の失態を羞じているらしい。

 ちょっと意地悪すぎたかな。

 創世神話はじめ部分ということは相当に古き存在であるはずだが、どうも挙動が現代っぽいしコミカルなので、あんま偉そうな感じがしないのだ。


「シズル、またお願い聞いてくれるか?」


 ちいさな頭を撫でると、青い耳がぴょこんと動いた。


「……またリディアのストーキングか?」


「いや、今度はエウフェーミアのストーキング。学院にいたときはすぐ傍にいるって安心感があったけど、王都とルフじゃ遠すぎて不安だ。もう魔王軍の連中がいつ襲ってくるか想像もつかないし、おまえが一緒にいてくれると嬉しい」


 するとシズルは器用に呆れ顔を作って見せた。

 表情豊かな猫だなー。顔の筋肉どうなってんだ。


「おまえ、もう少しこう……『俺の運命を変えてくれ!』とか『魔王を破滅の運命に導いてくれ!』とか、壮大な要求はないのか」


 あ、その手があったのか。

 なにせシズルの司る概念が判明したのがたった今だから、そこまで考えが至らなかった。〈澪標〉とは水の中に建ち航路を示す標識だ。道標であると同時に、そこに在るだけで僅かに水の流れを妨げ、流れる方向を変えるもの。


 それで言えば、日本に生きていた俺が死んだこと──はともかく。

 リディアを泣かせて悪魔の炎に呑まれた際に重症を回避したのも、星降祭で俺とアデルが助かったことも、シズルの加護があったからかもしれないな。


 とはいえ、


「いやー、やっぱ俺、気に入らないやつには自分でケンカ売りたいしさ」

「……そうであるな。魔王第三配下を殴り飛ばすような人間であるものな」

「褒めるなよ。照れるわ」

「これっぽっちも褒めておらぬ」




 聞くところによるとシズルはかつてイルザーク先生の同期の魔法使いと行動を共にしていたことがあるらしい。シュリカ、という名前の〈魔導師〉であるそうだ。現在はベルティーナ王国西方の谷間にほとんど隠居しているというが、その名は王国の歴史に名を刻む変身魔法の権威のものである。

 魔王の台頭は八百年前、ということはその配下であり弟子でもあるイルザーク先生はざっくり見積もって九百歳。魔法使いシュリカも同年代だ。

 その偉大な魔法使いと共に日々を過ごした、天海のくじらと同年代の〈澪標〉。


 とんでもない神さまを召喚しちまったもんだ。

 いやその神さまのせいで死んだのが原因なんだけどさ……。


 基本的に大気の精霊の加護を受けて温度調節がなされているロウ家の邸は、凍季目前といえども地下にあっても暖かい。

 ソファに体を横たえて本を読んでいた俺はいつの間にか寝落ちしていた。腹の上には丸くなったシズル。微睡みと覚醒のあいだを行ったり来たりしながらしつこい四度寝を決め込もうとしていると、書斎の扉が開いて誰かが入ってきた。


 俺が寝ていることに気づいて動きを止める。


「んー……シリウス……?」


 シリウスは俺が地下にいることを知っている。何か用があって呼びに来たのかと思ったが、人影は無言で俺の目を掌で覆った。まだ寝てろってこと?

 ややあって、腹の上で丸くなるシズルごと覆うように布がかけられた。

 なんだシリウス、俺が昼寝してることもお見通しか。さすがうちの従者だぜ。




 ──きゃーっ、やだー!


 頭のなかで爆発するようにエウフェーミアの悲鳴が響いた瞬間、俺は弾かれたようにソファから転げ落ちた。突如起こされたシズルが吃驚仰天しながら着地して、「何事!?」と顔を上げる。

 先程シリウスがかけてくれた布を巻き込みながらドタバタと床に座り込んだ俺は、きょろきょろ辺りを見回した。


「エウの声が聞こえた」

「エウフェーミアの?」


 足に纏わりつく布を引っぺがしソファの上に放り投げる。改めて見てみると、それは俺の部屋にあるブランケットではなく、親父殿の外套だった。あれ、とその外套を二度見した俺の耳にか頭にか、再びエウの悲鳴が届いた。



 ──ニコたすけてー!



 さっと体中の血の気が引いていく。

 エウが助けを求めている、他でもない俺に、どことも知れない場所から!



「エウフェーミ───」



 そして俺は、



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