凍季休暇(3):坊ちゃんと王子


 どうも国王陛下とその息子トラクは、警護もつけずにルフに来たようだった。


 王族ともなれば身を守るための魔法など真っ先に習うだろうし、行き帰りは空間転移魔法で一瞬だ。同行するのは魔導騎士の親父殿。わざわざ警護をつれてくる必要もないのだろう。

 ベルティーナ王国は今のところ他国との戦争は抱えていないし、国内勢力も王族に対する好感度も落ち着いている。


 魔王との戦いを除けば至って平和な国の、愛される王族なのだ。




「エウフェーミアさんとはその後どうなの?」

「どうって……別に普通だよ」


 俺の部屋でトランプを広げながら、トラクは不満げに唇を尖らせた。


「凍季がくる前に会ったりしないのかい? プロポーズしたんだろう」

「会うけどさ。そんな変わんねぇよ」


 この国の冬は、基本的には短く、厳しい。

 新年の始まりである第一の月から徐々に気温が上がり、第五、六の月あたりには花季を迎える。第七の月から少しずつ涼しくなっていって、第十一の月下旬には天海が凍りはじめるのだ。この頃、国内すべての教育機関は卒業式と修了式を迎える。


 完全に天海が凍結すると凍季。天海のくじらが冬眠につき、世界が呼吸を止める。

 太陽の光も少し弱まり、天海の底から氷の欠片が剥がれ落ちて地上へと降りそそぐ。ベルティーナでは七日間が四週繰り返されてひと月を数える決まりになっているのだが、第十二の月を越えると、あと幾日続くかもわからぬ『第〇の月』がはじまるのだ。

 第〇の月の最中に天海の氷解がはじまる。

 海面が割れて、天を埋め尽くすほどの氷のつぶが地上に降りしきり、天海のくじらが目覚めの咆哮を上げると年明けである。


 このうち、「イエーイ冬休みだぜー!」と呑気に遊び回れるのは、天海が凍結しきるまでの間だけだ。

 あの空を泳ぐでっかいくじらさまが眠りにつくということは、地上の人間はくじらによる恵みと幸いの加護を受けられないということだ。ゆえに悪いことが起きやすい。あと単純に寒い。くじらに倣って冬眠する〈隣人たち〉も多く、基礎魔法の精度が下がる。そして寒い。


「プロポーズしたっていっても真名を交換しただけだし、学生のうちから籍入れたり式挙げたりするわけでもねーんだから。ま、『いつでも婚約解消しようね』から『そのうち結婚しようね』になっただけだ」


「ニコラって、そういうところが妙に冷めているよね。悟っているというか。卒業後すぐに結婚したとしても、成人するまで手を出さなそう」


「……ノーコメント」


 何が悲しくて二十七も年下の王子様と恋バナせにゃならんのだ。


 ちなみに、国王陛下と一緒に登場したことで自動的にトラクの正体は特定されたわけだが、本当の顔や名前が判明したわけではない。バルバディアで一緒に過ごしている『トラク』がそのまま家に遊びに来たような感覚だった。

 トラクも特に偉ぶる感じはないし、俺に対する態度はいつもと同じ。


「学業のかたわら魔王軍と戦って、卒業したらエウフェーミアさんと結婚して、魔術学校の設立かぁ。ニコラは忙しいね」

「おまえのほうこそ忙しいんじゃないのか。まだ先だろうけど、いずれは国王だろ?」

「いずれは、ね。呪いを解くほうが先だけど」


 聞き捨てならない物騒な単語に俺の片眉が跳ねあがる。


「呪いぃ?」

「そう、呪い。国王は短命なんだ。五十歳の誕生日に必ず死ぬ」


 この世界にはまだまだ謎が多いな。

 あっけらかんとした陛下の笑顔が脳裡に思い浮かぶ。……今上は確かちょうど四十歳だ。親父殿と同い年。


「正直なところ、同じ人間がずるずると権力を持ち続けないこの呪いはアリだ。絶大な権力は人を腐らせることの方が多いから。だけど、まあ……そこに難題があると挑戦したくなる性格でね」

「魔王復活を阻止したいのと同じだな」


「そういうこと」トラクは肩を竦めて笑うと、寝台の上に広げたトランプを静かにめくった。〈盃〉だ。もう一枚めくると〈杖〉。


「トラクは学業のかたわら魔王軍と戦って、国王の呪いを解いて、俺の魔術学校に資金援助して、第一〇二代国王に即位かぁ。忙しないな」

「なんとかなるよ」

「ほーん。ま、どうせだし呪いのほうも手伝ってやるよ」


 魔王軍をそう簡単に壊滅させられるとは思えないし、トラクとは長い付き合いになるだろう。軽い気持ちで口にした言葉だったが、トラクは琥珀色の眸を真ん丸に見開いた。

 そういえば、眸の色も魔法で変えているんだろうか。

 リシ嬢や陛下の眸はきらきら輝く黄金色だ。血族のはずのトラクはちょっと控えめな色をしている。



 いつかはこいつの素顔や名前を教えてもらう日も、くるのかな。



「ニコラって、ほんと……」

「ん?……ってかいつの間にか惨敗してる!」

「絵合わせ、弱いね」

「ウッセェ」


 神経衰弱がトラクの快勝に終わったところでドアがノックされた。ワゴンを押しながらシリウスが入室してくる。


「トラク殿下、ニコラ坊ちゃん。お茶をお持ちしました」

「おう。ありがと」

「殿下はよしてくださいよ。『トラク』も偽名なんです。ニコラもこの通りなので、シリウスさんも以前と同じように接してください」


『この通り』とは、いずれこの王国を担う第一王子相手に、寝台の上にトランプ広げて胡坐かいてタメ口という『この通り』である。

 ぴょこんと寝台から降りてお茶の準備を手伝いにかかる俺を見て、シリウスは苦笑した。


「坊ちゃんは順応性が高いですね……」

「学院で咄嗟に『殿下!』とか言っちゃうほうがまずいだろ。普段からトラクはトラクとして接しないと、俺ボロ出そうだし」

「さもありなん」

「ンだとぉ?」

「ご自分で仰ったことでしょうに」


 びしびしとシリウスの脇を肘打ちする俺、俺のデコを指先でぐりぐり押しやるシリウス。

 トラクはそんな俺たちを眺めて、フと眉間に皺を寄せた。


「うーん……やっぱり未来視とイメージが違うんだよね。夢で視ていた二人はもっと距離があって、もう少し主従らしい印象だったんだけれど。この先数年で関係があんな風になるのかな」


 それは多分なー、『物語』のほうのちゃんとした正統派ニコラだからなんだよなー。

 ……とは思うのだが、正直に話すわけにもいかないので、「たまにゃ外れるんだろ」と適当に返しておいた。


 遠慮するシリウスを無理やり相伴させて、窓際のティーテーブルでティータイムを始める。もとよりこうなることを見越してイスは三脚用意させていた。ケーキはさすがに二人ぶんしかなかったので、俺のぶんを切って分けようとしたが、シリウスは「あとで厨房でもらいますから」と頑なに固辞した。さすがにトラクがいると勝手が違うらしい。


「シリウスさん、おたくのご主人どうなってるの? 気軽に他人のトラブル抱えすぎじゃない?」

「それは私も昔から悩んでいます。長所といえば長所なのですが、短所といえば短所です」

「あ? 褒めてんのか?」

「お人好し、って言ってんの」


 シリウスが丁寧に淹れてくれたお茶はトラクも絶賛していた。鼻が高いぜ。

 料理長が「ニコラ坊ちゃんにお友だちが!」とルンルンで用意したケーキも最高だった。

 ティータイム後、カップや皿を下げたら部屋に戻るように厳命したシリウスを無理やり引っ張り込み、今度はババ抜きをすることに。


「あのなぁニコ……下町の庶民育ちの只人が第一王子とババ抜きって意味がわからないから……」

「二人でババ抜きやっても面白くねーんだよ。いいから入れ! 命令だ!」

「そーだそーだ、第一王子の命令だ!」

「辞めてぇ」


 これは間違いなくパワハラだな。


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