第6話 二十数年前の初雪の日


 もう遡ること二十数年前になるだろうか。

 初雪が降ったその日、司書の先生が発売翌日に入荷してくれた最終巻をぺたんこのカバンに入れて、俺はのんびりダラダラ歩いて病院に向かった。


 いつも同じ時間に同じベンチで日向ぼっこしているバァちゃんに「バァちゃん風邪ひくぜ」って声をかけたら、「今日は寒いねぇ」って手を振られる。別にボケてるわけじゃない。病室にいると体がなまるから日光浴をするんだそうだ。


「脚は治ったのかい」

「もーとっくに治ったって。でも寒みぃから軋むわ。古傷が痛むってこういうこと?」

「うちのジィさんはじじいになっても、寒くなると戦争のときに折った腕が痛むって言ってたねぇ」

「ゲェ、マジか」

「あったかくして寝なよ、不良」

「バァちゃんもな」


 一応健康な若者という自負があるうえ、すっかり骨折も治った俺はエレベーターを使わず階段を利用した。あいつが入院しているのは七階。さすがに五階あたりでくたびれたんで、途中でエレベーターに乗る。


 入院患者がベッドごと移動できるように作られたエレベーターの箱のなか。日によって色々なひとと乗り合わせた。その日は車椅子にぐったりと凭れたお姉さんだった。腕を三角巾で吊っている。折れたのかな。骨折ってイテェよなぁ。


 そうして辿り着いた七階、エレベーターを降りて、ナースステーションの前を通り過ぎた角部屋。この間までは四人部屋だったが、ここ二ヶ月で個室に移っていた。




 ベッドは空になっていた。




「……あ?」



 ぱちぱちと瞬きをして、入り口横の表札を見る。いつもならあいつの名前が書かれた札が入っているのに、今日は何も入っていない。病室、また移動したのか。ここ二週間くらい調子悪くて、看護師さんに「今日はだめよ、熱があるから」って追い返されたもんな。


 茫然と立ち尽くす俺の横に、いつの間にか顔見知りになっていた看護師さんが立っていた。



「おととい、容態が悪化したの」



 それが意味するところを悟らないほど俺は無知ではなかった。




「ご家族だけで静かにお見送りしたそうよ」




 脇に挟んでいたぺたんこのカバンが床に落ちた音を、今でもよく憶えている。



     ◇  ◇  ◇



 物語通りの展開を歩めば、きっと俺は当時の二の舞になっていたのだろう。

 リディアを徒に刺激して太古の炎に呑まれ重傷、学外の病院に入院したまま星降祭の夜を超す。友人と一緒に参加したのか寮で休んでいたのか、とにかく一人きりだったエウはロロフィリカに殺され、生贄となり、……多分、魔王の『外側』にもなった。

 病院でエウフェーミア死亡の報を聞いたニコラが何を思ったのか定かではない。

 魔王軍に寝返り、エウの顔をした魔王の傍に侍りながら、エウを死に至らしめたロロフィリカを殺す機会を待つ。本懐を遂げたあと兄に殺してもらう、途方もない覚悟。


 ……というわけで結局、四巻ラストの展開は引っくり返ることとなりました、政宗先生。


「うん。まあ別におれの好きなマンガとかじゃないから勝手にすればいいと思う」


 ドライだな。

 いつも通りの黒縁眼鏡、白の綿シャツに黒ズボン、親の顔より見たコーデの政宗先生と膝を突き合わせた俺はがくりと肩を落とした。いいけどさ、別に。


 あーあ、政宗もこっちにいればなぁ。物語論とかパターンから色々と分析して作戦練ってもらって、もうちょっと計画的に動けたりしたんだろうなぁ。


「おまえ基本、人生行き当たりばったりだもんな」


 仰る通りです。


「でもそっちの世界に行くのは嫌だ。娯楽が乏しそう」


 それはマジでそう。

 代わりに魔法の勉強が捗るけどな。


「そういやおまえが死んだあと、ワ●●ース完結したぞ」


 ……エ、なにそれ。


「あと新●●衣をはじめ、おまえが昔ときめいていた女優も軒並み結婚してる」


 イヤアアァァ!!

 聞きたくない!!


「ついでにおれも結婚した」


 なんて!? 結婚、政宗が!?

 誰と!?


「おまえの葬式で出逢ったおまえの従妹と、おまえの遺品整理をするためおまえん家に通っている間に何回か顔合わせて、色々あって結婚した」


 え、従妹ってきーちゃん? 俺がやんちゃの全盛期にあっても猫可愛がりして旅行の際には必ずお土産を買って帰ったり誕生日プレゼントをやったり俺が働き始めてからはお年玉さえやっていた三つ年下のきーちゃん?


「というわけで、まァおまえもとっととプロポーズするなり何なりしろよ。日本じゃ初恋拗らせるあまり誰とも長続きしなかったんだしよ」


 余計なお世話だ──!


 っていうか待てよ脳内政宗、おまえはあくまで俺の脳内に召喚される俺の記憶のなかの政宗であって、俺が事故ったあとの情報なんか持ってないはずだろ!?

 なんだワ●●ース完結って!


「あとオマエがあまりにもうるさいから古本屋ハシゴして小説買って読んでみたけど、ニコラってめちゃくちゃ嫌なやつだな。オマエがニコラってなんか解釈違いだわ。次の第二配下はだいぶ頭イカれてるし、アデルが魔王側についたりして色々大変そうだったから、もっと主人公を労わってやれ」


 ……ちょっ、なに、情報多すぎてもうツッコミが追いつかん。


「学年末考査の結果について色々言われても怒っちゃダメだぞ、坊ちゃん」



 待てゴルァ政宗ェェ!!





 ──と脳内でキレ散らかしたところで俺は机に頭をぶつけた。

 ごんっと派手な音とともに意識が戻ってくる。寮の部屋のなか、勉強机の上には学年末考査対策のノートが広がっていた。隣で同じように勉強していたトラクがドン引きしながらこっちを見ている。


「……大丈夫? けっこう痛そうな音がしたけれど」

「ああ平気……ちょっとうとうとしちまった……」


 ノートは真っ白だ。

 勉強しようと机に向かったはいいものの、元気のないエウのことを考えているうちにうたた寝に突入していたらしい。



 ……えっ、てか政宗が結婚?

 背が高くて雰囲気だけならイケメンだからよくキレイなお姉さんに声をかけられて、「二次元にしか興味ないんで」って断って「うわー」みたいな顔されてた政宗が、三次元の女と結婚?

 そしてよりによって相手は俺が蝶よ花よと可愛がってきた三つ年下のきーちゃん?

 そこが衝撃的すぎて他の話を全然覚えていない。


 待て、脳内政宗は俺の脳内の政宗であるからして、政宗の結婚もやはり俺の妄想なのでは?

 いや、それもどうよ。



 ひとり頭を抱えて懊悩する俺をトラクが「うわー」みたいな顔で見ていたが、俺は一切気づかなかった。



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