第5話 ごみ溜めに生まれた彼女


 ベルティーナ王国、王都フィーカ。

 敷地の北東部を深奥の森が占める星形の城塞都市で、王国の政治、文化、商業、そして魔法の中心地だ。

 星の中心部から放射状に大通りが伸び、それらを繋ぐように細い路地が展開される。俯瞰すると蜘蛛の巣のようでもある。星形の上半分は王城に近しいこともあり、さまざまな商店の立ち並ぶ繁華街を形成しているが、下半分とりわけ郊外は歓楽街が占める。


 さらに末端、城壁に近いような王都の隅、星の右下の鋭角のぶぶんには華々しい都の汚濁が吹き溜まる。貧民街である。


 柔らかい色合いの煉瓦と赤い屋根で統一された王都中心部から一転、剥き出しの石造りの建物が残るのは、この辺り一帯の地域が王都開発から除かれた証だ。ベルティーナ国内を普く安定統治する王政が、フィーカ城足元のこの貧民街にだけ手を伸ばせない。


 ここは只人の街。

 運よく産まれてすぐ殺されなかった只人の子らが死産と偽り棄てられるごみ溜め。

 多くの只人はここに集まり、ここで死ぬ。それも早いうちに。地方には只人の子を集めて回りわざわざ王都の星の隅に棄てに来る商売もあるという。


 貧民街八番、のちに『ロロフィリカ・クラメル』という名を与えられる少女は五歳までをここで育った。

 両親の顔も、なぜ彼女が捨てられるに至ったかも委細不明だ。ただ魔力はあり、只人ではなかったその少女は、ここで『魔力持ちのグレイ』と呼ばれていた。魔法教会によって保護されたのち、彼女が語ったところによると、年上の少年少女、年下の少年少女、いずれも名を持たぬ四人と家族に似た集団を形成してなんとか生き延びていたらしい。


 実際に訪れてみると、饐えた臭いの漂うなんとも不潔な場所だった。

 不揃いな灰色の石でできた町。路地のあちこちに汚物が転がっている。恐らくは死体も。


 明らかに身形のいい俺が足を踏み入れても、路地の隅に倒れ込む女も、身を寄せ合う子どもたちも、なんの反応も見せない。魔力を薄く伸ばし足裏から辺り一帯に感知を広げてみたが引っかかるものは何もなかった。ここにいるのは全員、シリウスと同じ只人だ。

 見渡してみても子どもが多い。

 俺よりも年上だろうと見えるのは数名の女性だけだった。この近くの歓楽街でどうにか日銭を稼いでいるのかもしれなかった。


 凍季に近い、寒々しい風が吹く。

 ロングコートの裾がばたばたとはためいた。幼いロロフィリカの幻が、俺の横をすり抜け、迷子のように路地を彷徨う。



───只人に生きる価値なんてないんでしょ! そうでしょ!? みんなそう言ってた! なのになんであんたたちだけ幸せになろうとしてんのよ。



───他の只人はごみ溜めで泥水啜って生きてんのに、なにあんたたちさも当然みたいな顔してあたしたちと肩を並べてんの!?



 ロロフィリカの呪詛はそのまま、バルバディア入学当初の俺の怒りでもあった。



───少なくともきみ以上に魔術が使えて、それでも不当に虐げられまともな職に就けないまま、心の底から教育を受けたがっている只人が、この国に一体何人いると思ってる!?



「バカだな」


 俺は大バカだ。

 教育を受けたがるなんてレベルの話じゃない。魔術学校を創るなんて夢物語もいいところ。今この瞬間、死に瀕している只人がこの国に一体何人いると思っている、ニコラ・ロウ、怒りが見当違いだ。ロロフィリカのほうがずっと現実を知っていた。

 現実に生きて、世界を呪って。

 死と混沌の剣で以て、この世界を均そうとした。

 平等に不幸にしようとしたのだ。


 ひとり靴のかかとを鳴らしながら貧民街を往くなかで考えていた。


 この状況をなんとかしなければならない。アキ先生がかつて零したように、この現実を「嘆かわしい」と考える魔法使いが確かに存在する一方、誰も手をつけずに放置している問題を、他でもない俺がなんとかしなければ。

 ニコラとして生まれる以前、魔法なんて使えないただの只人だった俺が。シリウスを友に持つこの、俺が!

 そのためには魔王軍がやはり邪魔だ。魔王が只人や魔法弱者を標的にする傾向にある限り、只人に対する忌避は止まない……。


 入口付近まで戻ってきたところで、怯えるように立ち竦むリディアを見つけた。


「……ニコラ」

「きみみたいなやつが来るような場所じゃないよ」

「そっちこそ。……ロロフィリカの育った場所を確かめに来たの?」


 それ以外に理由があろうはずもない。

 魔法普及率が高く戦争も内乱も今のところない平和なベルティーナ王国、その暗部を改めて目の当たりにして冷え切っていた怒りが、リディアの間抜けな顔のおかげで少し和らいだ。


「酷い有様だった。帰ろう」

「……何かあった?」

「現実と汚物と死体。見ないほうがいい」


 リディアなりにロロフィリカの言葉と向き合おうとしているのかもしれないが、ここの状態は思っていた以上に悪い。自衛の手段に乏しいリディア一人でうろつかせるには危険だ。

 足取りの鈍いリディアの腕を掴んで先導する。

 やがて昼間にも薄暗い歓楽街を通り過ぎたところで、リディアは誰にともなく語りはじめた。


「魔王はね、好きな人を蘇らせたくて魔王になったんだって」

「……アキ先生に聞いたよ」


「イルザーク先生はね、魔王の弟子で、師匠が道を過つときも傍にいて、いつか自分の手で引導を渡そうと決めているんだって」

「……イルザーク先生が魔王第一配下〈黒き魔法使い〉だったんだね」


「メイヒュー先生は……イルザーク先生の前任の魔法薬の先生はね、好きな人が亡くなった過去を変えようとして、魔王軍と内通してね」

「どいつもこいつも色恋ばかりだね」


 メイヒュー、どこかで聞いたことのある名前だ。きっといつだかリディアから聞いたんだろう。

 リディアはそこでくすりと笑った。


「本当、そうね。……ニコラは、エウフェーミアさんが生贄にされたから、ロロフィリカを殺すために魔王軍に入るんでしょう?」

「起こり得ない未来だ。エウフェーミアを魔王復活の贄になどさせないよ」


「うん」俺の手の中からするりと抜け出したリディアの指が、俺の手を掴み返した。

 日本から逃げだしてきた異邦の迷い子、困難を課せられた主人公、その数々の裏切りや痛みを全て飲み下し、それでも前を向こうとする強い力で、痛いほど。


「私、魔王軍を斃さなきゃ」


 足を止めて振り返る。

 冷たい風に栗色の髪を遊ばせながら、リディアは若草色の焔に燃える双眸で俺の言葉を奪った。


「誰がなんと言ったって、私は魔王の匣を燃やして先生の心を魔王から解放したい。もう誰も魔王軍の手の者に利用させはしない。これ以上傷付けさせはしない、利用させはしない、誰の命も奪わせはしない──」


 彼女が主人公としての美しさを見せつけるとき、俺はいつも見惚れてばかりいた。

 だがこのときばかりはリディアの眸を見つめ返す。


「成る程崇高な目標をお持ちのようだ」


 おまえだけが主人公ではない。ここは俺たちの生きている、俺たちの世界、俺たちの物語。

 選択と行動の果てに訪れる最適解を、いつか運命と呼ぶためにひた走る──俺の道だ。


「きみはきみで勝手にやるといい。僕は僕で勝手にやって、魔王と魔王軍を残らず蹴散らし、エウフェーミアの幸せな未来を、只人が普通に生きていける社会を創っていく」

「じゃあ、どっちが先に魔王を斃すか競争ね」


 リディアは口角を釣り上げた。

 悪戯っ子のような無邪気な笑みだった。自然と放された手と手を、互いの体の横に収めて、俺たちは横並びに王都の路地を往く。


「あんたってさぁ、エウフェーミアさんのこと好きだよね。見てるこっちが呆れちゃうくらい」


 なぜそうなる。

 恨めしい気持ちで横を睨むが、ここで「好きじゃねーし!」とか言っても説得力皆無だ。


 いいか、認めるぞ、エウは可愛い。

 そりゃ昔から一秒たりとも欠かすことなく可愛い美少女天使さ!


「…………きみに言われなくても解ってる」

「真名の交換ってけっこう便利だよ? なに悩んでんだか知らないけど、エウフェーミアさんモテるんだから、とっととプロポーズしときなよ」


 揃いも揃って同じことを言うな!


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