第9話 星降る夜の騒乱(5)
「ぃ……」
引き攣れたような悲鳴がエウの喉の奥から洩れる。
封印魔法も所詮は魔法、遥かに凌駕する魔力があれば打ち破ることも可能。魔王に対する封印さえ該当するのであれば、ロロフィリカ程度がかけた古代の魔法も同様だ。
魂から縛られたエウの必死の抵抗に、ロロフィリカの魔法が敗け始めているのだ。
「ああ……あばれないでください。魔石をもらうだけですから。反動で意識は失うかもしれないけれど、次に目覚めたときにはきみの体は、この世を混沌と死の剣で均す魔王陛下のものとなっている。生贄となる恐怖もしらないまま死ねるうえ、魔王陛下にささげられるのだから、光栄におもわないとね」
悪魔の指先がエウの体にめり込んだ。「大丈夫、いたくないですからね」なんて、まるでぐずる子どもをあやす医者みたいなことを言う。
意味わかんねえ。何様だよ。
痛くなきゃ何してもいいと思ってんのか。
「ぁ……いや、嫌だ、嫌だ、嫌!!」
エウの脚がじたばたと暴れた。同時にロロフィリカの杖腕から血が噴き出す。束縛系統の魔法を破られた反動は術者の肉体に還るのだ。
あの状態で意識がある。惨い。
頼りない両手が悪魔の腕を掴んだ。抉りだすような悲鳴が喉の奥から洩れる。
縋るように俺を捜して、こっちを見て、ニコ、と叫んだ。
「たすけて……!」
そうだ。
エウはあのときも抵抗していた、ロロフィリカに頸を絞められながら、暴れて、手首を引っ掻いて、生きようとしていたのに、俺はこんなとこで無様に倒れ込んで何やってんだ?
「たすけて、いやだ、ニコ───」
動けよ、体、大事なときに。
両手も両脚も平気だってさっき確認したところだろ。シズルを避けてバイクでスッ転んで指先ひとつも動かなかったあのときとは違うんだからよ。
「さ、わんな……」
「ニコラ。もう頑張らなくていいよ、痛いでしょ?」
痛いのは俺じゃない。
こんなもの痛みなんかじゃない。
──エウフェーミアが受けた裏切りに較べれば。
「うるっせええええどいつもこいつも汚ねぇ手でうちの可愛いエウフェーミアに触るんじゃねえっ!!」
雷にも似た光を放ちながら、俺の魔力はロロフィリカを吹っ飛ばした。
勢いをつけて起き上がった瞬間、肋骨の位置がズレた嫌な感触とともに激痛が走る。やっぱりこれは気合いでどうにかなる問題じゃないです。痛いです。そのへん都合よく痛覚が鈍ったりはしない。
紙とインクの世界じゃなくて、肉体も魂もあるもので。
そう、肉体も魂もあるもので──死んだら今度こそ一度きり、いかなる魔法使いさえ死者を蘇らせることは許されていない。
だからこんなところでエウを喪わない。
ばちばちと弾ける魔力を右手に纏わせながら、俺はエウの胸をまさぐる不埒な似非紳士悪魔の肩を掴んだ。
悪魔はきょとりと黒い眼を丸くする。
俺はにっこり笑って黄金の右拳を握りしめた。
「……おや? ロロフィリカはどうしました」
「おうクソ悪魔。悪りぃけどこいつ俺の婚約者なんだわ。無遠慮に触ってじゃねえよ!!」
不健康な蒼白い左頬に一発叩き込む。
ばちん、と皮膚同士が弾けあう小気味いい音がした。頬骨を捉えた指の背に痛みが走る。殴られたことなんてかつて一度もなかったであろう悪魔は、面白いほどきれいに吹っ飛んだ。
おお、物理攻撃が効いたぞ。
なかなか気持ちよかったが、こんなものは奇襲でしかない。尻餅をついていた悪魔は茫然と左頬をさすっている。我に返ったら最期だ。
床に崩れ落ちたエウの体を抱きとめる。ロロフィリカの魔法に抗い、悪魔が魔石を探る手に抗い、周囲を攻撃する方向にシフトしはじめたエウの魔力は容赦なく俺の頬も叩いた。
懐かしい感覚だ。
昔はよくこうやって叩かれて弾かれて、鎌鼬にやられたみたいに切り傷だらけになったっけな。
「ニコ、だめ、離れて……」
息も絶え絶えに俺の胸元を押すエウの頭を抱きかかえると、殺気駄々洩れでこちらを睨む悪魔を指さす。
「よしよし、よく頑張ったエウフェーミア。ついでにもう一発、全開でぶっ放せ」
「っ……」
エウの大きな菫色の双眸が零れそうなほど大きく見開かれる。
いいの、そんなことして、と顔に書いてある。今までずっと制御しろって言われてきた魔力だ。全開にしてしまえなんて初めて言われただろう。
「あンなムカつくセクハラ野郎ぶっ飛ばしちまえ!!」
そして枷を外された薄紫の閃光は、爆ぜた。
リディアが授業中に起こす爆発よりも、俺の魔力の発散よりもさらに威力のある、エウフェーミアの魔力が風を伴って四散する。予想外の反撃を受けた悪魔は二、三歩蹈鞴を踏んだ。
感情の機微で暴走したときとは比にもならない。意図的に爆発させたエウの魔力で、白亜の祭壇全体に大きな罅が入った。
「……人間のぶんざいで!!」
激高した悪魔の放った黒い魔力の塊が、エウの魔力と正面衝突する。
エウは苦しげな息を洩らしながら両手を前に突き出した。薄紫の魔力が渦巻きながら黒い魔力を押し返す。
年季の入った石舞台が剥がれはじめ、白石の破片が中空を舞った。魔力にぶつかり、白い塵と化して消えていく。
エウの体を支える腕にかなりの反動がかかっている。最前線のエウの負担は計り知れない。
俺はエウを背中合わせに支えると、シャツの胸元から金髪美女の魔石のかけらを取り出した。
「おい!」
張り上げた声に気づいて、リディアの若草色の双眸がこちらを向く。
「状況は理解したな。エウが負けたらここにいる俺たちは全滅、魔王が復活する。最悪の未来だ。どうにかできる可能性があるのはおまえだけだ」
物語の主人公。選ばれた女の子。魔力を持たない、魔術もぽんこつ、だけどその指輪だけが、魔王を滅ぼす力を持つ──
いまだに指輪を制御するすべを持っていない。
だがこの場ではリディアしかいない。
「立て! リディア!!」
「……あんた、私の名前、憶えてたんだ!」
俺が差し出した左手を掴んだリディアが立ち上がる。悪魔に踏まれっぱなしで血が滲んでいた右手を取り、金髪美女の魔石を握らせた。
背中でエウを支えつつ、よろめくリディアの体を両腕で抱える。彼女のほうも片手で俺に縋りつきながら右手の魔石を見た。
「これ、お母さんのでしょ」
「いいんだ」
魔力の巻き起こす風と轟音に負けないよう、肋骨が軋むのも構わず怒鳴りつける。
「エウフェーミアが生きてるほうが大事だ!!」
リディアの決断は早かった。
胸元に手を突っ込み、首から下げていた小袋を取り出す。紐を引き千切りながら若草に萌える小さな魔石を掴むと、俺の腕のなかから飛び出していった。
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