第3話 美少女婚約者がやってきた
昨日、仕事から帰ってきた親父殿を兄貴と一緒に出迎えたとき、「明日はお前のナントカカントカ」と言われたのだ。
知らない単語があったから兄貴に訊ねたら「将来ニコのお嫁さんになる人のことだよ」なんてふわっと笑われて、衝撃を受けたことばかり憶えている。
「ナータ俺どっか変じゃないか!?」
「強いて言うなら『俺』ではなく『僕』と」
「しまったあああすっかり忘れてた! 嫌なことは憶えておけないんだよな俺……じゃなくて僕!」
「はい、よろしい。大丈夫、見た目だけなら文句ナシですわ!」
なんか一言多い気がするが、実際そうだ。
金髪美女を母に持つニコラはその血を濃く受け継いでいる。
黄色みの強いバターブロンドに、とんでもなく透明度の高いブルーアイズ。顔の美醜の価値観はもとの世界とそう変わらず、最初に鏡を見て(エッすげー美少年なんだけど)と目を疑った通り、この顔はこちらでもウケがいい。
元の俺の顔面偏差値は中の中くらいだったから変な感じだ。
慌てて部屋を出ると、ナタリアはガッツポーズで見送ってくれた。
「ファイトです、坊ちゃん!」
いや、できればファイトしたくない!
冷静になって思い出せば、ロウ家の跡取りである兄貴にもすでに婚約者がいる。俺がそうと気づいていなかっただけだ。それに、貴族や旧家の子どもなら相手があってもおかしくない。
だがニコラの中身の俺は元二十七歳、独身男性。
こんな小さな時分から将来の約束なんて正直御免だ。どんな相手かもわからないというのに。
大階段をぱたぱたと駆け下りて、一階にある応接間へ向かう。
扉をノックする前にゆっくりと息を整えた。
俺は親父殿が苦手だ。
オーレリー辺境伯であり、国境近くに砦を構えるヴェレッダ騎士団の団長。仏頂面で無口、何を考えているかサッパリ分からない。
俺を生んだことで母が身体を壊したというのもあって、若干厭われているような気がしないでもないのだ。
そういう点では、俺がニコラでよかったのかもな、と思う。
ニコラが普通の子どもだったなら、随分と抑圧されて父親の顔色を窺う子になるか、あるいは思い切ってグレていたかもしれない。いずれにせよ捻くれた次男坊になったことだろう。
……いや、今も真っ直ぐとは言い難いけど。
ほんの少し背筋を伸ばして、指の背で扉を二度叩く。
「ニコラです」
「入りなさい」
「失礼いたします」
応接間へ足を踏み入れると、ソファに座って茶を飲んでいた中年男性がこちらを向いた。親父殿の知己であるベックマン氏だ。
王都の病院に勤める腕のいい魔法医師で、たまにロウ家を訪れるので顔見知りである。
「久しぶりだね、ニコラ。また大きくなったかな」
氏は丸眼鏡の奥の双眸をにっこりと微笑ませた。
大柄で筋肉質で威圧感たっぷりの親父殿とは対照的に、彼は線が細くひょろっとしている。なぜ気が合うのか謎だが、聞くところによると学友だったらしい。
「お久しぶりです、小父さま」
「こちらが先日うちに引き取った、姪のエウフェーミア。年も同じだし、仲良くしてやってね」
黙りこくっている親父殿の隣に腰掛けたことで、ベックマン氏の横にちょこんと座っている少女と向き合うかたちになった。
うわ。
ニコラとして生まれてからというもの、使用人みんなに──ヨイショも多分に含んでいた気がするが──神の愛し仔だ精霊の御子だと(多分『天使』に該当する単語だ)褒めそやされてきた。
言っちゃなんだが鏡を見慣れてもいる。
その俺が、一瞬呼吸を忘れるほどの美少女だった。
エウフェーミア・ベックマン。
ゆるく波打つ極上のシルバーブロンド。伏し目がちな双眸は、最高純度の魔力を持つ者の証、宝石のような菫色をしている。
透き通るような白い肌、薔薇色の頬、ほっそりとした顎。
華奢な体の手指の一つに至るまで、精巧なドールのように整っている。
……が、致命的に表情が暗い。
「先日引き取った」と言っていたな。なにやら事情がありそうだ。
「エウフェーミア、はじめまして。僕はニコラ・ロウ。よろしくお願いします」
等身大ドールは最低限の仕草でこくりとうなずいた。
うなずいたというか、顎を引いただけだ。
さすがに戸惑って親父殿を見上げると、特に驚いた様子もなく鷹揚に首肯している。この態度は承知の上なのだ。それならそうと事前に説明しとけ頑固親父め。
「エウフェーミアどの」
親父殿の端的な呼びかけに、彼女はまたも最低限の反応を寄越す。
「ニコラと一緒に屋敷内を歩いてみてはいかがかな」
……つまり、エウフェーミア嬢と二人でちょっと席を外してこい、と。
事情もよくわからない相手を連れて歩くのは不安でしかないのだが、親父殿がそう言うなら致し方ない。
席を立った俺は彼女の手を取った。
「父上、あとで裏の丘に行ってきてもよろしいですか。いま花畑がきれいでしょう」
「丘までだ。……あまりふらつくな」
「はい。エウフェーミア、行こう」
「…………」
返事はなかったが、彼女の菫色の双眸は怯えるように俺を捉える。
その瞬間、ある一人の女の子の顔が脳裡に過ぎった。
中途半端にグレた中学生の俺が、ほんの束の間をともに過ごした初恋の少女。
エウフェーミアの沈痛な面差しは、彼女によく似ていた。
邸のなかを一通り案内している間も、エウフェーミアがリアクションを寄越すことはなかった。
俺の声が聞こえないわけではない。邸内に飾られている甲冑や剣、代々の肖像画なんかを指さして「これは曾お爺さまの甲冑」「これはお爺さまとお婆さま」と説明したら、一応目で追っていた。
厨房を覗いて料理長におやつをもらった。
「こんなところにお嬢さまをお連れしては失礼ですよ」と笑われたが、俺がここをちょろちょろするのはいつものことだったりする。
「エウフェーミア……エウ……フェー……ミア」
続いて庭のバラ園を案内しながら、俺はぶつぶつと呟いた。
「…………」
「ごめん。なんとか愛称を考えようと思ったんだけどセンスがなくて。なんて呼べばいいかな?」
彼女は僅かに眉を下げて悲しい表情になった。
おーい、そんな悲しい顔させたくてあだ名つけようとしてたわけじゃないんだよ。ただエウフェーミアって噛みそうだからさあ……。
「僕のことは好きに呼んで。たいていの人はニコラと呼ぶけど、兄上はニコと」
返事はやはりない。
むかーし昔に『ソーチョー』なんて綽名がついていた時分には様々な変人を従えてきたものだが、どいつもこいつも人格に難はあれど、喋らずにはいられないやつらばかりだった。
ここまで無口な女の子は初めてだ。
困ったなー。どーすっかな。
「じゃあ、裏の丘に行こうか。コーン・ポピーの花畑がきれいなんだよ」
邸内を歩くうちにいつの間にか放していた手を握る。
小さくて、華奢で、白くて、弱弱しい。
ほんの僅か、握り返された。おっ、と思わず目を瞬かせてしまう。
それだけの反応がひどく嬉しいなんて、俺もどうかしてるな。
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