第4話 コーン・ポピーの花畑にて


 ロウ家の敷地は、邸周辺一帯の森を含む広大なものとなっている。

 ご先祖さまは代々王室に仕える魔法騎士として篤く信頼されてきた。三百年前に起きた隣国との戦でこの辺りに軍事拠点を構え、その後から辺境伯としてオーレリー地方一帯を任されている。

 軍事拠点は現在ヴェレッダ騎士団と名を変え、親父殿はその騎士団長だ。


 オーレリー地方はベルティーナ王国の東南部に位置するド田舎。

 東部沿岸には港町を、南には隣国との国境に接する大森林を抱き、二十年前に一度だけ歴史の表舞台となった以外は大きな事件もない。



 というのが、魔王封印の戦いの決戦地となったらしいのだ。


 町からはずいぶん離れた南の森の中。〈暁降あかときくたちの丘〉と呼ばれるその場は現在、魔法教会の厳重な管理下にある。

 近辺は立ち入り禁止だし、俺も訪れたことは一度もないので、領地のわりに馴染みは薄い。



 エウフェーミアの手を引きながら、邸の後方に広がる丘をゆっくりと上がる。

 やがて花畑が見えてきたところで振り返ると、彼女は菫色の双眸をほんの少しだけ見開いた。


「花は好き? 気に入るといいけど」


 丘一面に広がるのは赤いポピーだ。


 魔法の世界には、その影響を受けた動植物も数多く生息している。しかし魔力を持たない動植物も同程度存在していて、そういうやつらはほとんどが元の世界と同じような見た目をしていた。

 牛も馬も鶏もいる。

 ポピーも、バラも、ユリも咲く。


 赤い花びらが風に揺れて波濤のようにそよいでいた。

 エウフェーミアの手を引っ張り、解き放つようにそっと前に押し出すと、彼女は恐る恐る花畑のなかに足を踏み入れる。



 うん、花畑に美少女。映えるな。エモいな。



 ややあって、困惑したような仕草でエウフェーミアは俺を振り返った。

 あれ、あんま好きじゃなかったかな。でも田舎すぎてこのくらいしか案内できるところがないんだよな。

 ロウ家は港町を見下ろす高台に建っているからお出かけするにも遠いし、彼女を連れて森に入るのはさすがにまずいし。


 っていうか、何したらいいかわかんない、って感じか?

 手本を示すように容赦なく赤い花の中にざかざかと侵入すると、俺はごろんと寝転んで頭の後ろに手を組んだ。


「どうせ大人どうしで話があるんだろー。ひまだし昼寝でもしようぜ」


 唐突に砕けた俺の口調に驚いてか、エウフェーミアは目を丸くした。

 今までで一番人間らしい反応だ。


「こういう喋り方をするとメイド頭や家令スチュアートに叱られるんだ。別にていねいな喋り方が嫌で嫌でってわけじゃねえけど、こっちのほうが舌を噛まずにすむからなぁ」

「…………」

「これ内緒な。おじさんにも、親父殿にも」


 さく、と葉を掻き分ける気配がする。

 怯える小動物のように、寝転ぶ俺のそばへと寄ってくると、彼女はそっと腰を下ろした。


 上品な手つきでワンピースの裾を押さえるその仕草に、ああ、と身を起こす。「一旦立って」と声をかけつつ着ていたベストを脱いで、隣に広げた。

 女の子の扱いについては家令や兄貴からレクチャーを受けていたのだが、実際にこうして本物のお嬢さまと時間を過ごすのは初めてなのだ。


 いやー気が利かない坊ちゃんですまんすまん。


「ワンピース、汚れるよな。上に座っていいから」


 遠慮するように睫毛を伏せる。でもベストが汚れちゃう、とでも言いたげに。


「いいって。エウの服が汚れるほうが、俺がしかられる」


 今度は俺のほうを見て僅かに顔を傾けた。エウ、という呼び方に反応したようだ。


「エウフェーミアって長いんだよ。いいだろ、エウで。俺のことはニコって呼んで……気が向いたら」


 半ば無理やりベストの上にちょこんと座らせて、俺は再び寝転んだ。

 いいじゃん、会話成立してるじゃん。


「エウさぁ、こんやくが嫌なら嫌ってちゃんと言えよ。好きでもない男とけっこんしたくないだろ?」


 政略結婚をするような家もそりゃあるだろう。特にロウ家は貴族だ。

 親父殿と母もそうだったと聞くし、兄貴にも婚約者がいる。しかし俺は次男坊で、家を継ぐ予定もないし、結婚だってある程度は自由が利いていいはずだ。


 大体、初めて会った相手をいきなり婚約者なんて、いくらそういう文化慣習があるっていってもなあ。


「つっても、ここで断ったとしても次の話を持ってこられるだろうし、ガキのうちはこのままでいいか……。エウに好きな男ができたり、俺に好きな女ができたり、お互いどうしても性格が合わなかったりしたら、その時点で円満にかいしょうしよう。それでいいか?」


 彼女からの返事はなかった。

 はっきりとした会話はまだ無理だろうし、特に気にせず目を閉じる。婚約どうこうは措いといて、長い目で見てのんびり打ち解けていけばいい。


 単なる超絶人見知りか、それとも本当に複雑な事情を抱えているのか。

 人間生きてりゃ色々あるもんだ。いずれは知らされる日もくるだろう。


 隣で途方に暮れたように座っていた少女の気配が、ぱたりと寝転んだのを感じた。

 片目を開いて様子を窺うと、俺と同じように花畑のなかに埋もれた横顔が、茎や葉の隙間から覗いている。



 エウフェーミアは泣いていた。

 宝石のような菫色の双眸から、透明な涙を、声もなく流しながら。



「…………」


 見てはいけないものを見てしまったかもしれない。

 そっと瞼を閉じたけれど、脳裏には彼女の横顔が焼き付いていた。


 人の泣き顔を美しいと感じたのは初めてだ。

 彼女がとびきりの美少女だからなのか、初恋の女の子に似ている気がしたからなのか、それはわからないけれど。


 ──……、名前、なんだったっけなぁ。


 確か日記帳に書いてあったはずだけど、すぐには思い出せない。

 この世界に生まれて八年。遡って、彼女との日々は死亡時点ですでに十二、三年は昔。合算すれば二十年か。


 そんなことを考えているうちに、ぱち、と不穏な音が耳についた。


「……っ」

「エウフェーミア?」


 呻くような息遣いにばっと体を起こす。隣に寝転んでいた少女は胸元を押さえて悶えていた。

 ぱち、ぱち、と何かが弾けるような音。決まった方角に吹くはずの西風の恵みが、エウの小さな体を中心に渦を巻く。


 風じゃない。これは魔力だ。


「大丈夫か、どっか痛いのか?」


 慌てて手を差し出した瞬間、とびきり大きな静電気を喰らった。

 右腕が勢いよく弾かれてびりびりと痺れる。



 なんだ。──何が起きた?



 彼女は苦しそうに蹲って、涙に濡れた双眸で俺を見た。



「に、げて」

「え?」

「逃げて──ニコ!!」



 呼応するように爆発した魔力がニコラの体を吹っ飛ばす。

 小さな少女を中心に、三メートル四方のポピーが根こそぎ宙を舞った。


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