第4話

「私の家を教えるから、送ってくれないかな?」


 雨模様の空と僕の持っている傘を見た彼女の申し出は当然で、もちろん嬉しかったしその言葉は僕にある決断を促しているように聞こえた。


 西武園線終点の西武園で下りた僕達を、静かに降り始めた雨が迎えてくれた。

「雨は嫌いじゃないの」

 そう言いながらも音乃は僕の小さな折り畳み傘の中に身を寄せてきた。


 音乃がいざなうままに、僕達は林の間の小路に分け入る。

 路は庭園の散策路になり、その先は広い平屋建て木造家屋に続いていた。


「どうぞ入って。あなたがくるのを待っていた。生憎両親は演奏旅行でいないけれど」

「僕が来るのを待っていた?」

「ええ。そう。あなたが破留だと分かったときから。あなたは私の言葉で次々に覚醒していったわ。ここがあの時の隠し里のあった場所。里山があのときの邑のあったところなの。邑の存在も、子供達の命もこの森の不思議な力であの時の戦から守られました。そして子供達……つまり私達の先祖達は世に出て、色々な分野の発展に尽くした」


 ソファーに座った。その僕の横に音乃はいつもそうしているかのように足を添えて座った。

「あのときの戦?」

「力の弱い民でも守る為に戦わなければならないときがあったの。戦わなければ隷属になる。誇りのある者は隷属を死ぬことよりも辛いと考えて、その手に武器を持ったわ」


 民は自分の村を守る為に闘い、村を子に委ねる。だから子供達の命はなんとしても守らなくてはならない。


「武士が、村への侵略をはじめたとき、破留は村の指導者に、隠し里へ至る道を教えられたはず」

「そうだ。僕は初めての杣道そまみちを歩いていた。あれは里山からここに来る路だった」

 音乃の言葉で僕の頭脳が再び情景を映し出した。


 *     *     *


「破留。村は戦闘態勢に移る」

 村の指導者の一人、組頭が言った。

「子供達は、北村のはずれの土蔵の中に集めている。朝になって、誰も戻ってこないときは村が全滅したときだと思え。そのときは皆をつれて隠し里に身を隠せ。お前の役目は子供達の命を守り、世の役に立つ人材を育成することだ。決して子供達に儂らの復讐を思い立たせるな」


「分かりました」


「お前も間もなく十六になる。好いた娘がおれば名を聞かせろ。ここでのお前の伴侶として同道させる。遠慮したり相手を気遣うゆとりなど無いぞ。ここに来なければいずれにしても生きてはおれぬのだ。我等が勝てば、俺は何も言わぬので、先のことはお前の好きにすればよいがな」


「では、下村の麦殿に好いた男がいなければ。麦殿に想い人がいれば、組頭殿がこれはと思う者を」


 組頭が深く頷いて帰って行った。


 翌朝、北村の土蔵に近づき耳をそばだてた。


 そっと扉を開け中を見たが、誰の姿もなかった。床を見る。争った後も血の痕もない。

 

 辺りを警戒しながら村に入る木戸口に近づくと、数人の女達が弓弦を外し、或いは矢と弓を立てかけ、談笑している姿が見えた。

「あら。破留ではないか」

 中の一人が目聡く見つけて声をかけてきた。

「一人でこんなところで何をしている」

「首のお使いをしておりました。皆様方はどうなされているのですか」

「準備した握り飯を武士達にあげたので、誰ぞの家で食事会をしようかとな。持ち寄るものの算段をしているところです」

「成る程。子等はどうしているのですか」

「我等の圧勝であったから、くめ殿が塾に送ってくれた。今頃はみんな寝ていることでしょう」

 大体の状況は分かった。


「破留は腹が減ってはいないのか。一緒に食べて行きなさい」

「有り難うございます。大丈夫です。報告を急ぎますので」

 礼を言い、館に向けて、走った。 

「よかった……」走りながら何故か涙がこぼれた。


「破留」

 社の下を通るとき、階段の上から女の声がした。麦だった。

「有り難うございます」

 麦はそれだけを言って頭を下げた。

 組頭が話したのだと理解して「構わないのか」と訊ねた。「困難な役目かもしれぬが」

「わたくしで宜しければ」

「では、お願いする」

 二人は共に頭を下げた。それだけの会話で、破留の心は言い知れぬ幸福感で充たされて、さらに駈ける速度を増した。あの麦は音乃で破留は僕だ。僕は悦びに満ち溢れていた。

「麦。麦。大好きだ」

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