26.先駆け

 標高一七六メートルにある日本山ひのもとやま

 そこに布陣した松浦党の本陣が落ちたのは昼過ぎであった。

 鷹島の三箇所から上陸した蒙古、高麗軍は五〇〇〇を超えた。

 総数五〇〇の松浦党の一〇倍である。


 いかに勇猛を持って鳴る松浦党も、圧倒的な数の差にはどうしようもなかった。

 そこには戦術はなくただ算術だけがあった。

 しかし、松浦党の奮戦はまたしても、蒙古軍の戦の見通しを暗くさせるに十分であった。


「少し、死にすぎる――」

 

 高麗兵団の指揮官である金方慶きんほうけいは、ドジョウ髭を震わせ言った。

 たった五〇〇人の倭兵を殲滅するのに、その三倍近くの被害が出ていた。

 尖兵として消耗させられているのは高麗兵だ。

 荒れ果てた故郷の地で食うや食わず、ろくな訓練もなく、船酔いで死にそうになった後の戦闘が繰り返されている。


(この死に見合うだけの物が祖国にもたらせされるのか?)


 金方慶は、倭への侵攻には反対だった。

 やるなら、高麗を巻き込まず、蒙古と倭で殺しあってくれと思う。

 が、被支配国家となった今では、願っても叶えられるわけが無いことだった。


 海岸には骸が散乱している。

 敵味方、重なるようにして死の匂いを放っていた。


(やるからには、徹底してやるべきか……)


 倭兵は強い。

 強すぎる。異常だ。

 この後の戦でも、高麗の兵は死にまくるであろう。

 であるならば――


(その死に値する「何か」が無くてはならぬ)


 高麗の老将軍は、心の中で手を合わせ、この戦争によるもたらされる益について考えた。

 少なくとも、今の高麗――

 荒れ果てた国土で、飢餓線上で動く民たち――

 その救いの一助にならねばならぬと、思った。

 それにより、多くの倭人の血が流れようが、それは金方慶にとってはどうでもいいことであった。

 彼は高麗人であり、高麗の未来のみを憂いているのであるから。


「それにしても、洪茶丘の飼っている女―― 何者なのだ?」


 ふと、視界に入った緋色の髪をした女のことを思う。

 李娜リーナだった。

 

(倭刀の一撃を受けても傷ひとつ負わなかったというか……)


 兵から聞いた話であるが、そのようなことがあり得るのか?と、金方慶は思う。

 一応は味方ではあるが、なんとも薄気味悪い存在ではないか――と、感じた瞬間だった。 視界の先の女が振り向いた。

 まるで、金方慶の思考を読んだかのように、彼に視線を向けた。

 胃の腑に爪を突き立てられるかのような視線だった。


        ◇◇◇◇◇◇


 人の肉体が刀剣による斬撃に耐えることができるのであろうか。

「気功」と証し喉に当てた鉄槍を曲げたり、腹でハンマーの一撃を耐えたりする人々が実際に存在する。

 しかし、これはどうしても「見世物」というレベルを出ないという印象があることは否めない。

 しかし、実際に「芸」ではなく「アクシデント」の中で人体の限界を示した例も存在する。

 一九七九年、アメリカ、シカゴで起きた事件。

 ある銀行員が拳銃で腹部を撃たれた。至近距離だ。

 九mmパラベラム弾が六発であり、十分以上に死ぬことが可能なエネルギー量だった。

 が、被害者男性は一発も内臓に弾丸を到達させなかった。

 筋肉が弾丸を受け止めていたのだ。

 これもある種の「火事場の馬鹿力」であり、筋肉の弛緩と収縮は十分に銃弾を止めることができるという事例になっている。

 実際のところ、李娜リーナが太刀の一撃を食らい無傷であったこと。

 これも、極限まで筋肉を鍛え、極めて短い時間の中で、筋肉が弛緩と収縮を行うことで、激突時の運動エネルギーを弾き返したと説明できる。

 人の肉体はこのようなことが可能であるのだ。


        ◇◇◇◇◇◇


 鷹島に存在する村落は収奪されつくした。

 それは、兵站物資の殆どを現地で賄うという中世の軍隊としては、極めて真っ当な行為であった。


 蒙古兵、高麗兵は競って殺戮を行い、奪い、殺し、犯した。

 特に貧困の底であえぎ、未来になんの希望も持てなかった高麗貧民にとって、戦で生き残り、収奪に参加できるのは、現世で極楽浄土にいるのと同じであった。

 殺される日本の民にとっては地獄であったとしても。


 鷹島に続々と兵たちが上陸する。

 船に留まることは疲労を蓄積し、戦闘力に影響するからだ。

 馬は人以上に丁寧に揚陸されていく。


 鷹島の各所に宿営地が出来きあがっていた。

 無数のパオが展開されている。

 三角形の旗が風をはらみ、闇の中で揺れる。

 もはやそこは、日本ではなく完全に異国のものとなったように見える。

 

 すでに陽は落ち、墨を流したかのような闇が周囲を包んでいた。

 幾つもの炎が揺らぎ、闇を削っている。

 渦をまくような煙が闇の中に吸い込まれ消えていく。

 炎の周囲に戎衣を来た兵たちの姿が浮き上がる。


『牛はいねーんだなぁ』

『壱岐にはいっぱいいたんだがなぁ』


 壱岐では戦闘後に放牧されていた牛が全滅している。


『倭兵はおっかねぇが、戦があると腹いっぱい食えるからよぉ』


『ああ、死んじまった奴は運がねぇ。ひひひひ』


 揺らぐ炎の光に浮かぶ彼らの顔は赤黒く染まっていた。

 灯りが映りこんだわけではない。

 返り血だった。

 殺しまくったのだ。


 襲った村で殺しまくった。最低限の捕虜を得たら、残りは殺した。

 女も子どもも、赤子でさえ、矛の先で貫き血まみれの肉塊に変えた。

 貧困の底で蛆虫のように生きてきた高麗兵にとっては、それは己が運命に対する復讐のようなものであっただろう。

 何も与えられず、奪われてばかりの彼らにとっては、最高の娯楽であった。

 

 篝火の炎と闇の狭間に、繋がれた捕虜がいた。

 その顔は闇のよりも黒く、深淵よりも深く沈んでいた。

 白目だけが妙に浮き上がって見える。

 殺されるよりはマシであったが、とても幸福であるといえる状況ではない。

 

『踏んだら、する、般若だ』というように、異国の言葉が捕虜たちに聞こえる。

 意味は分からない。ただ、恐ろしげな響きが耳朶を叩く。


『はぁ~ 捕虜の一部を逃がせだぁ?』


 宴の中に、不協和音ともいえる声が上がる。


『上からの命令だ』


『何でだよ』


 上官と部下の兵士が言い合っていた。


『恐怖を広げるためだ』


 兵士の表情筋が「なんだそりゃ?」という形を作る。

 それは、蒙古の戦のやり方だった。

 いわゆる、宣伝戦だ。

 自分たちの恐怖を演出し、相手の士気を砕く。

 また、戦わずして目的を達成する。


 ユーラシアの蒙古帝国は己の強さと恐怖を喧伝することで、巨大な版図を作り上げたといってもいいくらいだった。

 後世に残る「タタルのくびき」という言葉も、その宣伝戦の残滓である。


『銭は払うそうだ』

『あ―― それならいいかぁ』


 捕虜は捕獲した兵の財産といっていい。

 結局、金にするのだから今買い手がつくならそれでよかった。


『んじゃ、どれにするかよ』


 高麗兵の男は、縛り上げた捕虜を値踏みするように見た。


『おめぇでいいや、行け、逃がしてやるよ』


 まだ少年といって年齢であろう。十三、四であろうか。

 高麗兵は縄を解くと、少年は震えだす。

 いやいやをして、へたり込んだ。


『ほら、行けよ』


 身振り手振りで、解放したことを伝える。

 残された捕虜たちがざわめく。

 

 そして、少年は駆けて行った。その姿が闇の中に溶けて見えなくなった。


        ◇◇◇◇◇◇


「糧秣は、三〇日分というところか……」


 金方慶は自分のパオの中でつぶやく。

 合浦から持ってきた糧秣もあるが、途中で略奪した食料の方が多かった。

 壱岐では収穫後であったのだろう。大量の米、麦を入手していた。

 二万を超える兵、水夫、雑役夫を入れ、四万の人間がいる。

 船には限界まで物資を積載したが、それでも三〇日分というのがいいところだろう。


「糧秣、秣はまだよいが、矢だ。問題は矢の数か……」


 現代に比べ、ありとあらゆる面で単純な「兵站」であったが、問題がないわけではない。

 蒙古、高麗軍の主武器メインウェポンともいえる矢の消費が多すぎた。


「キント殿には伝えてあるが、不足はいかんともしがたい」


 手持ちの矢で交戦を続けた場合、九州制圧まで矢が保つとは思えなかった。

 単純な算術の問題である。

 兵ひとりが一刻(約二時間)戦闘した場合、矢の平均消費量は、五〇から六〇だろう。

 あくまでも、理想的な状況で、指揮が機能している前提でた。


 二万の兵が、二時間戦闘すれば、一〇〇万本以上の矢を消費する。

 眩暈がする数字だ。現在の備蓄数の半分を消費してしまう。

 そして、二時間の戦闘で、九州を征服することはできない。


「後方からの補給が必須となるが、そまで粘れるのか?」


 歴戦の老将軍・金方慶は日本軍の反撃力を考え暗い気持となる。

 鷹島に拠点を作り、ここで攻勢防御篭城する形で、補給を待った方が上策ではないかとは思う。

 今のまま、太宰府方面に侵攻し、最低限大宰府を押さえる。

 博多湾を制圧した上で、糧道兵站ラインを確保し、補給を待つことが可能であろうか?


「水夫も動員し、築城も必要になる。と、なれば船のいくつかは捨てる覚悟がいる」


 それは無理であろうと思う。

 もし、キントが自分の具申を受け入れる気になったとしてもだ――


(ワシの意見と知れば、洪茶丘の糞が潰しにかかるだろうよ)


 苦虫をすりつぶし、引き攣るような表情を浮かべ金方慶は思った。

 もしや、我らは捨てられたのか?

 ふと、そんなことを思った。


 明日には鷹島より、博多湾方面に侵攻する。

 軍勢は、陸路と抜都魯バートルによる舟艇機動の二手に分かれる予定であった。


        ◇◇◇◇◇◇


「どうにも、先駆けしかなかとよ」


 竹崎李長は、意を決したように言った。


「だから、ワシはそれをゆーちょるたい」


 いいかげんにせい、という感じで三井三郎は言う。

 竹崎李長の姉婿であり、同じく貧乏零細御家人だ。

 

 どうにも、状況は予断をゆるさなくなってきたようだった。

 異国の軍勢はすでに肥後の鷹島に上陸。

 勇猛を持って鳴る松浦党が敗れたらしい。

 そして、赤坂方面にも上陸してきたとのことだ。

 筥崎から一里半(六キロメートル)もない。

 

「と、なれば大将に声をかけねばならんとよ」


「おうよ」


 大将――

 この筥崎に布陣している少弐景資しょうに かげすけがその「大将」にあたる。

 若いが、勇猛な武士もののふであり弓の名手として評判である。


 李長は大鎧を纏い、えびらには限界まで矢を詰め込んだ。

 そのまま、馬に跨り本陣へ向かう。


「無礼であろうが! 少弐殿の御前であるぞッ!」


「先駆けをッ! 異国の輩を蹴散らしてしんぜる!」


 大音声でであった。

 

 少弐景資がいた。

 鎧櫃に座し、周囲には多くの武士がいた。いずれも有力な御家人なのであろう。

 景資は真正面から、李長を見た。

 射抜くような視線。口元には、かすかな笑みを浮かべていた。


「死ぬるぞ」


 ぽつりと少弐景資は言った。

 

「承知よ。わずか二騎、五人なれど、先駆け、切り込み、夷敵を打ち払い、血路を開いてごらんにいれるッ!!」


 周囲の武士たちはポカーンと竹崎李長を見る。

 生きてこその恩賞だ。

 確実に死んでしまうような突撃は、子孫に名と実を残すというも目的以外ではやらない。

 鎌倉時代の武士とは擦れっ枯らしすれかっらし現実主義者リアリストだった。

 

 少弐景資はなんと答えるのか?

 異国を迎え撃つ戦術は、すでに決まっている。

 より内部に誘引し、包囲殲滅を狙ったものとなっている。

 現在の報告では、彼我の戦力比は圧倒的に優位なのだ。

 博多周辺だけで、数万の軍勢が集結している。


「死ぬるか―― よい。死んで来い。もし、生きて残れば――」


「竹崎李長!」

「三井三郎!」


 ふたりは名乗りを上げた。

 すっと少弐景資の目が細められた。


「その名、覚えておこう――」


「ありがたき、仕儀」


 竹崎李長はそういうと、見事な馬捌きで、駆けていく。

 赤坂へ――

 まだ見ぬ、異国の軍団へ向けと向け、馬を走らせていった。


        ◇◇◇◇◇◇


 博多の街を竹崎李長は突っ切る。

 戦が行われようとしているとは信じられないような風景だ。

 多くの民で賑わい、商いも行われている。

 いや、多くの兵が集まったことで、商いの機会を逃がさまいとしているのかもしれなかった。銭儲けの機会だ。


(銭か、地頭になるのも、結局は銭が欲しいからか、妻や子に惨めな思いをさせぬためには銭か――)


 竹崎李長は思う。

 先駆けを行う己が勇猛さも、畢竟「銭勘定」に行く突くのではないかと一瞬思う。

 ただ、それは泡沫のように消える。

 恐怖がある。

 異国の敵だ。どのような戦をするのか全く分からぬ。

 分からぬという不安が恐怖を生む。

 

「神仏か――」


 櫛田神社だった。

 竹崎李長は、休憩をすることにした。

 ただ、祈るのは止めた。

 神仏にすがることで、今の気持が折れそうになるのを恐れた。


(まあ、生きて帰って、絵師に大絵巻でも描かせたら、祈ったことにしておけばよかろう)


 と、あり得そうにない未来について竹崎李長は思った。


「あはははは、あれ、お金の無い、お侍だ――!!」


 明るいが、容赦なしの言葉が李長の耳に届く。

 声の方を見た。

 いた。

 

 そこには、先日あった巫女姿の女がいた。

 そして、僧も。

 

(なんちゅー、気じゃが……)


 竹崎李長はごくりと息を飲む。

 六尺を軽く超えそうな巨体の男――

 男は、闇の底から刃を向けるような視線を放っていた。

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