27.毒

「銭は無いぞ。相変わらずない」


 馬から降り、竹崎李長は言った。

 きっぱり断言した。

 言われる前に、先手を取ったといっていいだろう。


「あははは、知っているよ。食べる?」


 伊乃は握り飯を手に持って近づいてきた。

 

(こない美女は見たことなか。京か? 京から来たんかのお? 京にはこないなこのような美女がようけおるのかのぉ)


 肥後からも滅多に出ることのない、この時代でも生粋の田舎者といえる李長は、己が脳内にだけ存在する「京」を思い浮かべていた。

 京に伊乃のような狂った者が「ようけおった」らたまったものではない。


「おお、ありがたい―― が……」


「他の人たちの分もあるよ」


 無垢で明るく、善意しかないという顔で伊乃は言った。


「おう、そうかでは、ありがたく」


「食べるの?」


 伊乃は覗き込むようにして言った。


「折角であるし」


 この娘は何を言っているのか?

 怪訝な顔で竹崎李長は、端正な伊乃の顔を見返す。


「毒が入っているけど。あはははは」


 ぶわっ!!

 後ろで、三井三郎が握り飯を吹いた。

 

「こ、殺すきかぁ!」


 純粋無垢のような顔をして何をするのか?

 この女子おなごはなんなのだ、と李長は思う。


「殺す気なんかないよ。むしろ、なんでお礼を言わないの?」


「はぁ?」


 何を言っているのか、李長は手を震わせ、太刀に手をかける。

 一刀両断にしてやろうかと、思う。

 しかし、神社での殺生はさすがに、良くなく、先駆けのときに神罰でよくないことが起きるかも知れぬと思った。


 相変わらず、吸い込まれそうな瞳でじっと李長を見つめる伊乃だった。

 そこには、悪意や人間の感情の持つ後ろぐらい部分が一切無い。

 逆にそれが異様でもあった。


「毒が入っていることを教えたんだから、お礼をいってもおかしくないよね」


「なッ……」


 言い返す言葉が、次々と生まれる。あまりの多さに喉に詰まって言葉がでない。

 とにかく、おかしい。

 この女子おなごはおかしい。


 竹崎李長はそう結論付け、共の者と思われる、僧姿のものと、異様な威圧感を帯びた男を見た。

 全く我関せずという状況だった。

 なにか、騒いでいる自分がおかしいのか?という気になってくる。


(自分の握り飯を食べろと渡し、それに毒をいれた。で、握り飯に毒が入っていることを教えたので、礼をいえとちゅーとるのか? どこの国の者ぞ? 京では常識なのか? 訳が分からんっち……)

 

 思考の袋小路に入っていく。

 狂った相手に正解を求めても無駄であることを、李長は知らなかった。


「おにーさんは、異国の敵を討ちにいくんだよね」


「あ、あぅ、そうであるがな」


「じゃあ一緒に行こうか」


「はぁ…… だから、銭は――」


「あははは、銭はいいよ」


 伊乃は目をすっと細め、値踏みするかのように竹崎李長を見た。


「おにーさん、死んだら、その鎧兜ちょうだい」


 戦場の死体から鎧を剥ぎ取る者はいる。それは知っている。

 竹崎李長は、若いころより、盗賊狩りや兄とともに土地の争いに参加してきた武者だ。

 が――

 生きている内から、死んだら鎧兜をよこせと言ってくる者は始めてみた。


(盗賊よりもたちが悪い……)


「ワシらこれから敵に切り込むたい。先駆けするっちよ」


 危険きわまりなく、死んでも、鎧兜をひっぺがす暇などないということを説明しようとした。


「あははは、なーんだ。死ぬんだ。死ににいくんだね。ちょうどいいよね」


「あ、あほうかぁ……」


 これほどまでに、話の通じない相手というのが、この世に存在することに、李長は驚愕していた。


「敵に突撃して、死ぬまでは守ってあげるよ。で、いいかな?」


「あ……」


 李長は、言いたいことが山ほどありすぎて、なにから言ったらいいかわからなくなってきた。

 三井三郎はあきれたようにして頭を振っている。


「まあ、お味方が増えて、困るということはなかろうさ。のう、お侍」


 僧姿の男が、いつの間にかそばに立っていた。

 こいつは、見るからに胡散臭いと竹崎李長が思う。確信に近い。


 だが、しかし――

 結局のことろ、竹崎李長は共に行くことにした。

 頭のおかしな連中でも矢よけにはなりそうだった。


(こりゃ絵巻には描けん、描かせても信じてくれんわ――)


 そんなことを思った。ただ、生き残って絵巻を描かせることがでるんじゃないかと、理由もなくうっすらと、そんな気がするようになった。

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