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 異世界から帰ってきたあたしたちは、聖堂の床に倒れていた。聖堂はまったく焼けておらず、あたりまえにお通夜が明けた朝でしかなかった。あたしたちはそのまま、滞りなくババアの葬式を終えた。初七日は予定通り恵子が済ませてくれた。予定とは違い、智子も参加してくれたそうだ。あたしは残念ながら大事なテレビ出演と重なっていたので行けなかった。今日は四十九日で、納骨を済ませる手筈となっていた。

 墓場までのおよそ一時間の道中、あたしたちはババアの話をした。恵子が尋ねてくれたことによると、やはりあの聖堂のシスターの名前はカンジヨンで、ババアの妹らしかった。言いたくなかったようで、訊かれるまでは恵子にも隠していたらしい。そのうえ、韓国に帰ったあとはババアとの連絡を絶ってしまったため、それからのババアのことは知らない、と、悪びれない口調で言ったそうだ。とにかく、あの世界で体験したことと、この世界の出来事は繋がっていると、それだけは確かだった。恵子はあれからユダにあるババアの旧居に引っ越した。百年来の家屋なので相当痛んでるらしく、水が出ないとかガスが出ないとか電気が止まるとか、文句たらたらだったが、それでも小説だけは充実するようになった、と、うれしそうに語った。

「恵子の新作、いまベストセラーになってて、映画化もするんでしょ? すごいよね」

 あたしがそう尋ねると、恵子はぐねぐねした林道にあわせ片手でハンドルをさばきながら、軽い調子で答えた。

「新作いうか、デビュー作の書き直しやけどな。タイトルは変えたけど。まあ、体験したことを書くだけやから、楽やったわ。やっぱりうちはこんな書き方しかできひんみたいや」

 その作品は恵子の今までの作品とは違い、あたしが主人公なわけではなかったが、ありがたいことに校正をさせてもらえた。珍しく細かいところまで口を出した。「タイトルを変えたほうがいい」と提案したのはあたしだ。ちなみに智子も校正に参加したらしく、智子からの指摘はもっと陰険だった、と、恵子と電話したとき苦笑まじりで話していた。

「ああ、恵子ちゃんの映画、うちの会社が作るんだよ。ていうかメールで報告したじゃん。やっぱ美子、話聴いてないよね」

 智子がそう教えてくれた。

「え、失礼だけど智子の会社って、単館上映系の、ちっちゃな映画しか作ってないんじゃなかったの?」

 あたしが尋ねると、智子はすこし得意気にこう答えた。

「そうだよ。全国で上映する映画を作るのはこれが初めて。やばいよ、今までより桁がふたつ違う予算組んでるもん。コケたら終わりだね。わたしが舞台監督なんだけど、内々で美子にオファー出すよう話を進めてるから、そっちに通ったらよろしくね」

 あたしはびっくりして、声を弾ませる。

「まじで? まじで? あたしの役は何? 主演?」

 智子はドアにゆったりと身体を預けて腕を組んだまま、意地悪い笑みを浮かべて言った。

「どうでしょう。まあ聴いてのお楽しみ。主演じゃないけど、たぶん、美子がいちばんやりたい役だよ」

 興奮のあまり、ポカリスエットを飲むとへんなところに入ってしまい、せき込んだ。智子と恵子がわらう。呼吸が落ち着いたあと、あたしは声を整えて言った。

「ハイスペックシスターズが久しぶりに舞台で集うわけだ」

 智子と恵子がまたわらい、声をそろえて言った。

「なつかしいな。その名前」

 智子はババアの葬式のあとすぐに会社を辞め、京都にあるババアの家に引っ越した。転職活動の合間をぬって、たびたびユダを訪れ、恵子の家に泊りこみ、ババアの過去を探っていたのだという。

「やっぱりあの頃のことを知ってる人間はもうほとんど残ってなかったんだよね。あのへんは花街で、主に韓国人が暮らしてたらしいことは確かみたいなんだけど。昭和三十三年の赤線規制を前後して、やっぱほとんどの人間はあの花街を離れちゃったみたい。だからあの頃ババアがどういう風に暮らしてたのか、あの世界に転移してあたしたちが体験したことは確かだったのか、今となっては分からないんだ」

 智子が淡々とした、しかししんみりとした口調で教えてくれた。恵子がアクセルの踏み込みを緩め、そのぶんだけ車内は静かになった。

「平成になってからのババアを知ってるひとは残ってたんだよね。五十歳になっても風俗をしてる女としてユダでは有名で、みんなからも『ババア』って呼ばれてたんだって」

 そのことを聴くと、恵子が、

「うちら以外は、ババアをババアって呼んでほしくないなあ」

 と、珍しく怒気を含んだ口調で言った。頷かなかったけれど、あたしもそう思った。

「平成三年にね、聖堂が燃え落ちるんだけど、ババアはそのことにすごくショックを受けてたんだって。半狂乱で火の点いた聖堂に飛び込もうとしてたって、この姿を覚えてるひとは何人かいた。そして、そのあとすぐにババアは風俗を止め、ユダから姿を消した。わたしが調べることができたのはここまで」

 智子がこれ以上はもう話すことがないというように、話したくないというように、あっさりした口調で強く言い切った。あたしも、恵子も何も言わなかった。

 あたしたちが転移したのも平成三年だった。ババアはあの時代に思い残しがあったのだろうか。聖堂に未練があったのだろうか。ババアは、神を信じていたのだろうか。聖堂が燃え落ちてすぐ、ババアはあたしたち三姉妹を引き取ったことになる。そのことにどんな意味があったのだろうか。たったひとつだけ、分かっていることがある。あたしたちは――。

「あたしたちは、ババアの子だよね」

 あえて冗談めかして言ってみた。

「ババアは、処女のままあたしたちを産んだ!」

 そう言ったあと、あたしたちはげらげらわらった。そしてキリスト教の冒涜として有名なポップス「マリア」をみんなで熱唱した。

 あたしも聖堂のことは調べてみた。でも、燃える前の聖堂のことは、不思議なぐらい資料に残されていなかった。分からないことはある。知らないことはたくさんある。だからあたしたちは、信じるんだと思う。そして信じるとは、智子にとっては作るということで、恵子にとっては書くということで、あたしにとっては演じるということだ。

 映画「鬼神おとこの葬式」は、あたしたちにとっての宗教になるだろうと思う。

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