第6話 手作りカレー

 マンションにたどり着くと、


「終わりだ! 放せ!」

「ううぅぅ」


 約束通り、小指を放す。俺の部屋に行き着くまでには誰とも会わなかった。そのことだけは幸いだった。

 玄関を開け、女を招き入れる。好きでしていることではないが。


「じゃあ、早速作るね。総ちゃんは座って待ってて」

「ああ。そんなにこだわらなくても良いからな?」

「まあ、見てて。私の花嫁修業の成果!」

「あぁ……」


 俺はベッドに座り、暇を持て余していた。作りかけた女がすぐに声を掛けてくる。


「ねえ、エプロン無いかな?」

「エプロン? そんなもんあったかなぁ……。そうだ、お袋が持ってけって言ってたのがあったな。けど、少し小さめなんだがなぁ」

「なんでも良いよ」


 押し入れからエプロンを探す。そんなに多くのものをしまっているわけではないので、すぐに見つけられた。


「コレだ!」

「わあ! 黄色でかわいいね」

「そうか?」


 自炊ができない俺は使ったことが無いのだが。女がエプロンを付けている。付けるやいなや、


「ちょ、ちょっと……」

「どうした?」

「胸が苦しいかな?」

「やっぱ小さいか――ッ!」


 見ると、あまりの胸の大きさに、パツパツになるエプロン。見てるだけで恥ずかしくなる。


「おいっ、脱げ。つらいだろ?」

「大丈夫だよ。じゃあ、作るね」

「……」


 ――こっちが大丈夫じゃねえんだよ!


 料理を作る女を見ていると、結婚した者が見る世界を体感しているようだ。誰かと過ごすとはこういうことなのだろうか。

 女は器用にも作りながら声をかけてくる。


「ねえ」

「なんだ?」

「一応、カップルごっこなんだから名前で呼んで欲しいな?」

「えっ!? ム、ムリだ!」

「良いから。葵って呼んでみて」

「……あ……やっぱムリだ! そうだ! 苗字で良いだろ?」

「えーーーー。……じゃあ、それで」

「よしっ! ひめ……」


 苗字なら、と思ったのだが、この女、苗字まで呼びにくい響きをしている。もっと呼びやすい苗字なら良かったのだが。


「どうしたの?」

「い、言うから! ちょっと待て!」

「わくわく、わくわく」

「心の声を出すな!」

「わくわく、わくわく」

「姫川!」

「――ッ! はいっ! アナタ!」

「おま、アナタって!」

「ゴ、ゴメン。つい……」

「ったくよぉ。じゃあ、今日から姫川って呼んでやるよ」

「ありがと、総ちゃん」


 仕方なく姫川と呼ぶことになってしまった。だが、不公平な感じがして、


「なあ、総ちゃんってのはやめろ」

「ムリだよぉ。総ちゃんは総ちゃんだよ!」

「新田って呼べよ!」

「……ホントに?」

「なんだよ?」

「ホントにそれで良いの?」


 近づいて来て目をうるうるさせて訴えてくる。


「チッ! 分かったよっ、そのままで良い!」

「ありがと、総ちゃん!」


 ――なぜだ! なぜ、コイツに歯向かえない。最強のこの俺が……。


 それから暫く経ち、


「出来たよぉーー」


 出来あがったカレーを皿によそい、テーブルに運んできた。


「おう」


 見た目と匂いは店で出てくる程の出来栄え。こんな料理を家で食べるのは何年振りだろうか。


「それじゃあ、あーーーん」

「い、要らねえよっ! 自分で食う!」

「えーーー。一回だけ、ね?」

「ダメだ!」

「しゅん……」


 用意されたスプーンを手に取り、一言。


「じゃあ、いただきます!」

「どうぞ」

「むぐっ――ッ!」


 口に入れた瞬間、美味しさがすぐに伝わった。姫川の料理の上手さは尋常ではなかった。


「どう?」

「旨い!」

「ホント?」

「ああ! マジで旨い! お前、すげえな!」

「へへん! どう? 見直した? 結婚したくなったでしょ?」

「……」


 俺は返事をしなかったが、少し揺らいでいた。この美味しい手料理を毎日。それに、姫川からは女特有のいやな感じを受けない。そんなことを考えていると、


「こっちも美味しいよ? はい、あーーーん」

「あんっ、んっ、旨いな! はっ!」

「やったぁ、はじめてのあーーーんだぁ。きゃ」

「お、お前っ」


 考えごとをしていた時に、不意にスプーンでポテトサラダを差し出され、思わず食べてしまった。


「はぁ……。なんてこった」

「ねえ、ポテトサラダどうだった?」

「……旨かったよ」

「よかったぁ」


 満面の笑顔でこちらを向く姫川を見ていると、胸がざわざわする。そんな自分を不思議に感じていた。

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