第0-10話 緑髪の少女

 その日は、お休みをもらっていた。


 私たち魔王幹部の主な業務の一つに、人間たちの処刑がある。ただ、私はまだ幼いからと免除されていた。その分、休みが多い。


 タマゴのときに魔王様に預けられてからずっと、私は魔王様の元で育った。さたたんという種族には、孵化した後、初めに見た人を真似る習性があり、私は最初、魔王様を見たそうだ。


 それ以来、この城で、戦力となることを期待されて、ルジに育てられてきた。親の顔は知らない。


 つまり、私の思考や癖はある程度、魔王様に似通ったものだと言える。魔法が強いのも、その影響がまったくないとは言い切れない。


 だが、最近、魔王様を見て思う。──本当に、私は魔王様を最初に見たのだろうかと。


 女、子どもに関わらず無慈悲な殺戮を繰り返し、実子さえも監禁し、道具として利用せんとする魔王様だ。私はあそこまで、非情になれるとは思えない。


「ドウカシマシタカー?」

「ううん、ちょっと考え事」

「ア、魔王様ノコトデスネ!」

「……なんで分かったの?」

「アタシ、賢イデス!」


 そんなわざとらしい裏声でカタコトな言葉を話すのは、緑髪の少女。彼女も幹部の一人で、私より二歳ほど歳下だ。今日は二人で休みを合わせた。ちょっとした買い物だ。


「あ、これ、めっちゃ可愛くない!?」


 いきなり素が出ているが、それには言及せず、私は彼女の興味の矛先を見る。


 そこには、水色の便箋があった。確かに、可愛いかもしれない。だが、


「今どき手紙?」

「そう、手紙」

「手紙、好きなの?」

「うん。手紙なら、いつまでもそこに残るから」

「重くない?」

「いいの。妹にあげるから、重いくらいでちょうどいいの」

「へえ、妹がいるんだ……」

「うん、とっても可愛い妹がね──」


 自分の言葉にはっとした様子で、彼女はあわあわと両手を振る。


「チ、違イマスヨ。アタシ、怪シクナイデスヨ!」


 カタコトではなく、もはや、ただの敬語だ。しかし、問い詰めたりはしない。元々、彼女は秘密主義で、何も言いたがらないのだ。


 便箋を一つ手に取り、裏の表示を見ると、


「魔法便箋?」

「ハイ! 知ッテル、デスカ?」

「一応。書いた後から簡単に内容が変えられるんだよね」


 内容を頭で考えて魔力を込めるだけで、中身が書き換えられる。筆跡と魔力を便箋に覚えさせるため、最初に一度、手書きする必要はあるが、便利なのには違いない。


「それで、その便箋、買うの?」

「うん! じゃなくて、ハイ、デス!」

「もっと見てからじゃなくていいの?」

「んー……いいや──デス!」

「なんか、わりと適当だね?」

「そんなことないもん! れ──あ、アタシガイイト思ッタモノ、一番、イイデス!」

「ふーん、そうなんだ」


 センスは悪くないと思う。ただ、種類があるため、見なくてもいいのだろうかと思っただけで。まあ、あまり口出しすることでもないのかもしれないが。


「ウーチャンハ、何カ欲シイモノ、ナイデスカ?」

「私は……その、髪留め、とか……」

「……恋、デスネ!」

「だから、違うってばっ!」


 ただ、ルジに良く思われたいというだけだ。そこに慕う気持ちこそあれど、そこいらの乙女のような、浮わついた感情は少しもない。


 そもそも、ルジには昔から世話になっているのだ。どちらかというと、父親に近い。


「へぇー、ついに、ウーチャンもそういうのに興味持つようになったんだー」

「べ、別に変じゃないでしょ。私ももう十四だし」

「うん、すっごくいいことだと思う! じゃー、あたしが選んでしんぜよう!」


 それから、目が回るほど、色んな店を回った。彼女は目についたものを、片っ端から私に合わせてみて、あーでもない、こーでもないと、悩んでいた。服も買うと言い出して、着せ替え人形のように色んな服を着せられた。


 そうして、あっという間に、空が桃色に染まり始めた。


「はー、楽しかった!」

「元気だね……」

「うん! こういう、歳の近い女の子とショッピングって、ウーチャン以外としないからさー」

「そうなの?」

「うん。もっと友だちいるかと思ってた?」


 確かに、そういう印象を抱いていたのは事実だ。私は予定のない日に誘われるだけだとばかり思っていたから。


「だって、あたし、賢者だから」

「賢者、って──あ」


 この世界で、賢者という言葉が指すのは、たった一人。──大賢者、レナ・クレイア以外にいない。そして、それが意味するところは、もう一つある。


 彼女は、魔王様の正妻の息女──つまり、まな様の姉なのだ。


「賢者は、一番、たくさんの人が幸せになるようにしないといけないの。だからね、あたしは妹を──マナを、一番に考えちゃいけないんだ」


 そう語る彼女の頬を夕焼けが濡らす。夕立前の風が彼女の緑の髪をさらう。このまま、一瞬でも目をそらしたら、風とともに消えてしまうのではないか。そんな切ない景色だった。


「本当は、いつまでも一緒にいてあげたい。どんなときでも頼れるよう、側にいてあげたい。──でも、それはできないの」


 尋ねるまでもなく、その理由は分かった。


 彼女は賢者であり、世界中から必要とされる、唯一無二の存在だ。生きている限り、彼女はずっと、大勢の誰かのために動き続けなければならない。


 私やそこいらの存在とは、住む世界が違う。


「あーあ。れなも、恋の一つや二つや……百個くらいしてみたら、その人以外はどーでもいー! なんて、言えるようになるのかなあー。チラッ」

「私はそんな風には思ってないっ」

「あはは、知ってるー。……あ、占いしてあげよっか?」

「占い?」

「うん! 賢者の占いだから、すっごく当たるよー?」


 賢者とは、世界のすべてを見通す存在のこと。つまり、彼女の予言は未来そのものなのだ。気にならないはずがない。


「何占ってほしー? ──おっけー、恋愛にしよ」

「何も言ってないんだけど」

「あー、残念。初恋は実らないって」

「……怒るよ?」

「ごめんごめん、あはは」


 夕立に降られて、傘も差さずに走って城へと帰る。雨に濡れることさえも楽しい。そんな、一日だった。


 翌日、私は不在の間にあった出来事を知る。


 まな様が外に出たがったこと。


 それを、ルジが暴力を駆使して止めたこと。


 ──そして、それを、誰も止めなかったことを。


***


 あれ以来、まな様はすっかり、元気をなくしてしまった。扉が開く音に怯え、外の光に怯え、あんなに大好きだった本すら読まなくなったまな様を見て、心が痛まないはずはない。


 今日は、私が当番の日だ。いつものように、できるだけ静かに扉を開けると、まな様は窓に背を向けて小さくなり、震えていた。


 ただ、なんと声をかけたら良いのか、想像もつかなかった。下手に話しかけて、怯えさせてしまうのも怖かった。


 だから、私も、何もしなかった。――同罪だ。


 魔王様には、おそらく、れなが伝えているだろう。ちなみに、れなは、自分の正体を他の幹部には隠してほしいと言っていた。知られると面倒なことになるらしい。


 ともかく、まな様には下手に優しさを見せるのもいいとは思えない。私が彼女を外に出してやれるわけではないのだから。


「まな様、お食事のお時間です」

「ああ……ありがとう」


 淡々とした調子を装ってそう言うと、まな様は目も合わせずに、ただ、言葉だけで感謝を述べ、ゆっくり起き上がった。


 少し前までは元気すぎるくらいで、今日は何月何日だとか、何曜日だとか、明日はとか、そんなことを聞いてきたり、本を音読していたり、壁に向かって話しかけていたこともあった。


 私はしばらく、まな様の元気な声を聞いていない。


 そうして、いつも通り、日に一度の食事を与える。なんでも、ローウェルがルールを破り、塩を与えたらしい。それ以来、まな様は食事をするのが辛そうに見えた。


 まな様が食べているものを飲んだことがあるが、変な甘さがあり、ドロドロしていて、美味しくない。これを毎日飲みきるなんて、普通はできない。


「──あんたの言う通りだったわ。味覚なんて、知ろうとしなければよかった。そうすれば、あの人たちを信じたりしなかったのに」


 不意に、まな様がそう言った。久しぶりに話しかけられたが、声は硬く、目は虚ろで、話し方までもが、鎧に覆われていた。


「あんたたちにとっては、どうか知らないけれど、あたしには、外の世界が、すごく、輝いて見えるのよ。私の知らないことがたくさんあって、すごく、魅力的だった。でも、もう、諦めることにしたわ」


 彼女は、ただ、独り言を言っているようにも見えた。その目に宿っていた、うるさいくらいの輝きは、失われていた。


 髪が白いという理不尽な理由で外に出ることを許されず、暴力を振るわれて、誰にも助けてもらえなかった。


 きっと、彼女の心には、外の世界に対する恐怖と、他人に対する不信感が渦巻いていることだろう。


 なんと返せばよいのか、分からない。何もしてやれない。無力な自分が、情けない。


 まな様は、静かな部屋で、回数を数えながら、しっかりと噛んでいた。


 ──でも、ここで何も言わないのは、ダメだ。


「諦めてしまうんですか?」

「ええ。どうせ、外の世界に出ても、裏切られるだけだわ。誰も助けてくれないし、きっと、今よりも辛いことだって、あるんでしょうね。──だから、物語は、諦めなければ叶うのね。現実では叶わないから。そうなんでしょ?」


 まだ、彼女は四歳ではなかったか。たった四歳の子が、一体、どうしたら、こんなことを言うようになるのか。


 私も、大人ではない。諦めないこと、真面目であること、優しくすること。そんなものが大事だと、本気で信じて、平穏を当たり前だと勘違いして、どこかで期待していたのだ。他でもない、この魔王城で。


 それらがすべて、理想にすぎないことを、目の前の少女の姿に、嫌というほど思い知らされた。ここは決して、綺麗なところではない。和気あいあいとして見えても、きっと彼らは、次の瞬間には殺し合いができる。


「その通りです」


 だから、そう答えるしかなかった。諦めるしかないことがあるのだと。諦めなければならないことばかりなのだと。ありもしない理想を教えて、また、裏切られて傷つく彼女を見るのが、怖かったから。


 そして、気がつくと、私はこう呟いていた。


「明日の火曜日の担当に、同じ話をしてみてください」

「火曜日? ……ああ、あのカタコトの若い女ね。でも、なんで?」

「──三十回、噛んでください」


 私の言葉に気をとられて、思わず飲み込んだまな様を、私は注意する。そして、まな様が噛んでいる間に、なぜそんなことを言ったのかと考えてみた。


 ──ああ、れなは私の、たった一つの光であり、希望なのだ。


 きっと彼女なら、まな様を救ってくれる。


 そんな予感があったのだ。


***


第0話の裏ストーリーになります。(誰ももとの話なんて覚えてない。)

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