第0-9話 盗み聞き

 閉めた扉の前で、しばし気配を消して待つ。


「何もここまでしなくてもいいだろう……」

「どう考えても、あなたが悪いでしょ、クロスタ」

「私は飲み物を溢しただけだ。それもわざとではない。むしろ、お前たちのせいだ」

「そういうところっすよ、クロスタくん。ああいうときは、とりあえず、潔く謝るのがいいんっす。手土産でも持っていくと、なお良しっす」

「機嫌を取ろうって、魂胆が見え見えなのよねー」

「分かりやすくていいですねぇー」

「オレ、渋々許されてるってことっすか!?」

「優しい奥様で良かったわね」

「ですですー」

「ひぃー……。女って、怖いっすねー。でも、謝れば許してもらえるっすよ、クロスタくん」

「……だいたい、あの女はいつもやり過ぎなんだ。その上、感情の振れ幅が大きい。あんなことでは、いざというとき、魔王様に貢献できない」

「それは困りましたねぇー」

「あの子、確かまだ、十四だったわよね」

「めちゃくちゃ強いっすよね! 確か、さたたん、っていう、戦闘狂の種族で!」

「モンスターだ。そこからして、私たちと一緒にするのは間違っている」

「モンスターでも、ウーラさんは人と変わらないじゃないっすか。オレだってモンスターっすけど、皆さんとたいして変わらないでしょう?」

「お前はいい。だが、あの女は、モンスターだから、こうやって人を襲うんだ」

「そんなこと──」

「でも、確かに、そういう面もあるのかもしれないわね。だから強いわけだし」

「ヒストリアさんまで……」

「モンスターも、背徳的でいいですよねぇー。あはぁ……!」

「そんな言い方──!」


 種族名、さたたん。魔族の中でも、人と呼ばれる人魔族ではなく、モンスターに分類される。ただし、私のようにある程度の力を持っていれば、意思疎通は問題なくできる。


 モンスターは遥か昔、魔王様に生み出された存在で、魔族と人間に関わらず、人を襲う習性があるものが多い。ギルドに討伐の依頼が出されることも、時にはある。


 だが、悪いモンスターばかりではないのだ。決して。


「うっ、ううっ……」

「泣くくらいなら、聞かなければいいものを」


 はっとして、顔を上げると、そこには青髪の男──ルジ・ウーベルデンがいた。彼は魔王様の側近であり、幹部たちの中で最も強いとされる。四天王よりも上に位置しており、噂では、あの魔王様さえ凌ぐ実力を持っているとか。


 すると、ルジの手により、扉が開け放たれた。思わぬ形で盗み聞きが露見し、私は慌てて、ルジの後ろに隠れる。


「お前たち、会議は終わったのか」

「見ての通りっす」

「……魔王様に報告させてもらう」

「なっ……! おやめください、ルジ様! 私は他とは違います! 魔王様のため、真面目に──」

「私もぉー、魔王様、大好きですぅー」

「こんなことで始末書を書かされたら、たまったものじゃないわね……」

「こういうときは、潔くっす! 謝ればきっと許してくれるっす!」

「魔王様に限ってそれはないだろうな……」

「クロスタくんは魔王様を誤解してるだけっす! あれで意外と優しいところもあるんすよ?」

「ローウェルくん、本気ですかぁー? 魔王様は、あの、容赦のないところが素敵なんですよぅ」

「ティナがおかしいってことだけは、よく分かるわね」

「──お前たち、いい加減にしろ!」


 ルジの怒声に、縛られたままの四人の背筋が、ピンと伸びる。


「ウーラ」

「は、はい!」


 私は目元を拭い、返事をする。


「お前はどう思う」


 それは、魔王様に報告すべきかということなのか、まな様に味覚を教えるかということなのか。


 おそらく、後者だろう。


「私は、まな様に味覚を教えるべきではないかと。特に、塩と砂糖はやめるべきです。普通の食事を与えないと決まっている以上、美味しい、というのを覚えさせてはダメだと思います」

「クロスタ。お前はどうだ?」


 どうやら、当たっていたらしい。


「はい。そのようなもの、与える必要はありません。彼女はあくまで願いのために生かされているだけであり、食事は最低限のものを与えておけば良いのです。ただでさえ、今の国は人間に領土を侵食されているのですから、あのような娘にかける食費と献立を考える時間は無駄です」

「ちょっと、クロスタくん! いくらなんでも酷すぎるっす! オレはまな様には色んなものを食べさせるべきだと思うっす! あんなマズイ完全食だけじゃ可哀想っす! お願いするっす!」


 それから、ルジはちらと、今はいない四天王の空席を見つめ、口を開く。


「──緑茶、ワサビ、梅干しのみ、与えることとする。明日、水曜日から与えるように。担当は、ティナ、ヒストリア、クロスタだ」

「あげていいんですかぁー? やったぁー!」

「ワサビね。うふふっ」

「……無駄なことを」

「え、塩は!? 塩、子ども大好きじゃないっすか! うちの──」

「ローウェル。これは決定事項だ。破った場合は罰を与える」

「……はいっす」


 四人が大人しくなったのを見て、ルジは、それから──と言葉を紡ぎ、


「俺もモンスターだ。種族までは教えてやらないがな」


 四人は、ルジが何を言うのかと、意識を集中させ、聞き終えた後でしばし、放心する。


「貸りるぞ」


 それからルジは、私が持っていた書類を取り上げ──コーヒーを溢す前の状態に戻した。


「今後は、書類の近くに飲み物を置かないように。それから、お前は四天王の一人であり、他の奴等と対等な存在なのだから、雑務を一人でこなす必要はない」

「は、はい! ありがとうございました!」


 私は深々と頭を下げ、去りゆく、ルジの広い背中を見送る。彼はクロスタたちと同じ過激派だが、こういう優しいところもある。モンスターだというのが事実かどうか、常に閉じられた瞳からは分からないが、庇ってくれたのは本当だ。


「──恋ね」

「恋ですねぇー」

「恋っすね!」

「腑抜けた顔だ」

「ち、違いますっ! もう、ふざけてないで、早く手伝ってくださいっ」


 縄と魔封じの腕輪を外し、私は仕事に取りかかった。もちろん、みんなの手を借りて。

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