第0節 真っ白な少女

第0-6話 馬鹿馬鹿しい

 赤瞳に白髪の女は、魔族に災いをもたらす。そのため、魔王の血筋で白髪の女が生まれた場合、直ちに処刑しなくてはならない。


 昔なら、本気にする者もいただろうが、この時代に、そんな戯れ言を信じる愚か者が、一体、どこにいるというのか。


「魔王様? どうかなさいましたか?」


 青髪の側近の声で、つい、考えごとに耽っていたことを思い知らされる。あまり腑抜けた顔をしていては魔王としての威厳をなくす。


「──いや、何でも。それで? 余の娘が忌ま忌ましい白髪だと、そう聞こえたが?」

「はい。事実にございます。ご自身の目でご確認なさいますか?」

「くっくっくっ……良かろう」


 側近が白髪の女の赤子と、ついでに、ローウェルたち幹部を連れてきた。赤子は、まだ目が開いていないほどに、小さい。


 白髪など、見間違えるはずがない。見た瞬間に分かる。疑いようもない、真っ白な白髪だ。どうにかして、他の色──薄い黄色や銀に見えはしないかと、目を細めるが、言い逃れなどできそうにないほど、完璧な白髪だった。


 すると、側近がこう申した。


「いつ、処刑なさいますか?」


 驚きを、なんとか内心で食い止める。処刑するかどうかではなく、それがいつであるのか、と側近は尋ねたのだ。他の幹部たちの顔を見れば、誰もその言葉に違和感を抱いていないことはすぐに分かった。


 ──殺すつもりはない。


 などと言えば、どう思われるだろうか。


 魔王は代々、悪逆非道を貫いてきた。オレ自身、魔族に仇をなす人間は、積極的に処刑している。何人、何千人では足りないほどに、殺してきた。


 だが、何の罪も犯していない者には手を出さない。それが、オレの中のルールだ。


 殺しを躊躇う気持ちなど、とうの昔に消え失せたと、そう思っていたのだが。


「魔王様? どうかなさったんっすか? あ、もしかして、本当は処刑したくないとか──」

「魔王様」


 ローウェルの言葉にすがろうとしたそのとき、側近がその言葉を遮り、こう言った。


「まさか、処刑なさらないなどと、仰るつもりではありませんよね? ──これは失礼。このルジ、さすがに冗談が過ぎました。そんなことをなされば、歴代の魔王様方が千年かけて作り上げた、魔族の歴史が崩壊し、権威の失墜は免れません。そうなれば、後継の魔王が信頼を取り戻すのがいかに大変か、当然、魔王様は分かっておいでのはずです。何より、国民は、魔王様が何かに取り憑かれたのではないかと、不安を覚えるでしょう。──あ。いえいえ、我々は存じておりますよ。ご学友の命をも奪われるご決断をなさった魔王様が、決して、そこに私情など、挟むはずもありません。我々はこの世界の秩序を守る存在である魔王様を、何より、心の底から信じております。──長々と、失礼いたしました」


 そう言い終えた側近は、恭しく頭を下げ、


「いつ、処刑なさいますか? 当然、正妻の子ですから、国民の前で処刑すべきかとは存じますが」


 そう尋ねる。彼の言ったことが、国民や幹部たちが抱く、魔王──つまり、オレへの印象だ。魔族の繁栄のためには手段を選ばず、魔族へ危害を加えるものを取り除き、魔族の未来のために、自らの子さえも処刑する。


 ──馬鹿馬鹿しい。どうして皆、そんな王についていく気になるのか。自分たちが殺されなければ、他はどうなっても構わないと、本気でそう思っているのか。そんなはずはない、魔族も人間も、等しく人であり、共存するべきだ。


 この世界は狂っている。何が楽しくて、人など殺さねばなるまい。魔族に害をなした人間に対して、その罪の重さに関わらず、国民たちはオレに「殺せ」と命じることを求める。魔族たちも、人間は殺してもいい存在だと、そう考えている。


 それが、我々の常識なのだ。


 自ら手を下したことも何度かあるが、部下たちに手を汚させた数はそれ以上だ。


 そんなオレが、今さら日和見なことを言うわけにはいかない。魔族たちは今まで、こうして繁栄してきたのだから、こうあるべきなのだ。


 絶対主義。一度でも失敗を演じれば、それまでの功績に関わらず、等しく罰を与える。謀反どころか、口答え一つであっても、許されない。


 そんな魔王を、幹部たちは畏怖している。オレはそんなに無慈悲ではないが、そう思われるのも仕方のないことだろう。


 つまり、偶像なのだ。オレという存在に魔王という理想を当てはめて、それを恐れ、奉る。千年に渡る魔族の歴史など、所詮、その程度なのだ。心底、馬鹿馬鹿しい。


「……はあ」


 思わずため息をつくと、幹部たちがそろって肩を震わせるのが分かった。唯一、平然としているのは、オレを昔から知っている側近のルジだけだ。


「いつ、処刑するのか、と聞いたな、ルジ」

「はい」


 ──明日の魔族祭の日に。


 おおかた、そういう答えを期待しているのだろう。だが。


「……誠に、殺さねばならぬのか」


 オレと彼女の子どもだ。どうしても、殺したくない。指一本でも殺せそうなその赤子を見た瞬間から、オレの中に、赤子を殺すという選択肢はなくなっていた。


 だが、求心力を失えば、遠からずこの赤子にも危害が及ぶ。ただ助けるということは、絶対に許されない。


「──申し訳ございません。なんと仰ったのか、よく、聞き取れませんでした」


 自分は、本当に気の小さい男だと思う。側近であるルジの一言で、気概が削がれる。乾く口を、玉座の肘掛けに置かれた茶で潤す。


 だが、決意は揺るがない。


 この子を殺すことはできない。


「──殺さぬ、と言ったのだ。聞こえないというのであれば、もう一度言ってやろうか?」

「……いえいえ、よく聞こえました。しかし、何かお考えあってのことと思います。まさか、自分の子どもだから殺さぬと、そんな甘いことは仰いますまい?」

「くっくっくっ……」


 高揚に、思わず笑みが漏れる。変な笑い方は、不気味さを醸し出すための演技をしているうちに、直らなくなってしまった癖だ。ちなみに、側近に仕込まれたものでもある。


 こうしていると、よく分かる。側近が──国民が、オレに、どうしてほしいか。


 だが、オレは魔王である前に、父親だ。そして、夫でもある。歴代魔王の中で、初めて、人間を妻──正妻に迎えたのが、オレだ。


 だから、期待を裏切ることには慣れている。


「ああ、その通りだ。余の子孫だ。だから、殺さない」


 一同が、驚愕に包まれるのが分かる。──実に、愉快だ。


「くっくっくっ……。そう驚くでない。余を笑い死にさせる気か?」

「──そのような身勝手、理由なくしては、我々はついていくことができません。場合によっては、今この場で、私と幹部たちであなたを抹殺し、新たな王を立てることも厭いません。どうぞ、ご賢明な判断をなさるよう、お願いいたします」

「ほう……余を殺すと、そう申したように聞こえたが? 聞き間違えか?」

「いえいえ、魔王様が聞き間違えなど、なさるはずがございません」

「くっくっくっ、だろうな──」


 理由理由と、うるさいやつだ。不粋なことを聞くなと、一蹴してやりたいところだが、生憎、戦うとなれば、オレに勝ち目はない。幹部たちの協力があれば、あるいは、ということもあるかもしれないが。


 ──一般的に、魔族は歳を取るほど、魔力が高まり、強くなる。


 しっかりとした体つきに、好青年風の笑顔の、まさに青年と違わぬ見た目のルジだが、オレを小さい頃から知っており、オレの母親が幼い頃からこの見た目らしい。歳の分からない魔族ほど恐ろしいものはない。かといって、信用していないわけではないが。


 とにかく、ルジを言いくるめる理由が必要だ。そして、その建前についても、すでに思考は及んでいる。


「──八歳だ。八歳になれば、願いの魔法が使えるようになる。その願いを以て、前線を押し上げる」


***


今日から番外編、スタートです。

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