第6-32話 彼を想ってくれる人

 あかりには、身内と呼べるものがいなかった。あかりのことを、勇者としてではなく、個人として覚えている人も、城の関係者以外では、高校のときに関わった人たちくらいだと、あかりから聞かされていた。


 一方、レックス・マッドスタは、ドラゴンすべての命と引き換えに、息絶えた。ドラゴン同士の命の削り合いが起き、最後に残った瀕死のドラゴンと、相討ちになった。


 私が行けと命じたのだ。これは、私の責任だ。最初から、そうなることが分かっていて、命令したのだから。


 だから、息子であるギルデルドにも、事実を話しはしたが、謝りはしなかった。


 ギルデルドも別に、謝ってほしいとは言わなかったし、私を責めることもしなかった。監禁までしていたのにも関わらず。


「あかりが死んだとは、本当なのかい?」

「ええ。中にいるわ。入っていいわよ」


 私はギルデについて、中に入った。


 そこには、あかりの死体が横たえられている。静かな部屋で、顔には白い布が被せられていた。随分、空気が冷たく感じられた。ギルデはその布を外し、顔を確認する。


 ――すると、何を思ったか、ギルデはあかりの顔面を、思いっきり殴った。


「ちょっと!?」

「どうやら、本当に死んでいるようだね」

「生きてたらこんなところにいないわよ馬鹿」

「ふぅ、一発じゃ全然、足りないけれど、とりあえず、殴れてスッキリしたよ」

「冷や汗が出たわ……」


 ギルデは、あかりよりも頭がおかしいことがある。ただ、そのいつもと変わらない様子に、私は少しだけ安堵した。


「まったく、お前は……。マナ様を泣かせて、まなさんを泣かせて。マナ様のファンの方々を泣かせて。ある意味、すごいじゃないか。それだけ大勢の人を悲しませられるなら、同じだけの人を幸せにもできたと、そうは思わないかい?」


 まったく、その通りだ。あかりには、人の目を惹く才能があった。それに、何より、マナが選んだのだから。マナと同じで、もっと、たくさんの人を幸せにできたはずなのだ。


 ──悲しいことに、マナが亡くなったという報せを受けた、世界中の人々が自殺を試みた。何人もの人が亡くなった。


 それを止めたのが、ギルデだった。


「本当に、馬鹿だな、君は。その上、馬鹿なのに病気で死ぬなんて、本当に……本当に、馬鹿だ」


 ギルデは必死に涙を堪えていた。それでも、一滴くらいは溢れていたと思う。


「ああ、君のために流す涙がもったいない。だから、僕はもう、君なんかのために泣いたりしない。君を思い出すのは今日限りだよ。思い出す度に、殴りたくて仕方なくなるからね」


 むしろ、私の方が泣いていた。ギルデが余裕たっぷりに、ハンカチなんて差し出すので、ムカついて、思いっきり鼻を噛んでやった。


***


 すべてが一段落して、やっと時間に余裕のできた私は、ギルデとともに、ル爺の狭い家に上がり込んでいた。ル爺に預けていた子どもたち二人は、公園で遊ばせておいた。ギルデの妻が見ていてくれるらしい。


 布団が二つ並んでおけるかどうかという広さだ。窓も押し入れもトイレも何もない、簡素な空間だった。


「ル爺。聞きたいことがあるの。正直に答えて」

「はい、なんでございましょうか」

「あかりはね、記憶力はなかったけど、魔法は天才的だった。だから、一度、覚えるって決めたら、その人の魔力を忘れることはなかったそうよ」

「……ほほう、それはすごい」

「だから、蜂歌祭のときに戦った相手が誰か、すぐに気づいたって言ってたわ」

「左様にございますか」

「あたしは、まだ何も知らないふりができる。だから、お願い」


 敵は、背が低く、子どものようだった。しかし、フードで顔は見えなかった。鳥に姿を変えたことから、モンスターだと考えられる。


 そして、強い魔力を持ち、マナの命や時計塔の記述を狙い、大勢の人を巻き込む爆発事件を起こした。


 すっかり、姿を消してはいたが、やはり、そのままにしておくわけにはいかない。


「まな様、お願いいたします」


 私の口から言えということらしい。ならば、言うしかない。


「あんたが、蜂歌祭をめちゃくちゃにして、トイスの目に傷をつけて、大勢の人を爆発に巻き込んで殺したのね。ル爺」


 ル爺は重い口を開いて、


「その通りでございます」


 と答えた。


「一体、どういうことだ……説明してくれ、ル爺!」


 ギルデが立ち上がり、戦闘態勢を取る。対するル爺は降参と言った様子で手を挙げ、ひらひらとさせていた。戦う気はないらしい。


「全部、説明してやる。……場所を変える。表へ出ろ」


 低く、唸るような声でそう言われて、私とギルデは、背後のル爺を警戒しながらも、部屋を出る。──すると、すぐ扉が閉められ、鍵がされた。


「ちょっと!?」

「ル爺、無駄な抵抗はやめるんだ!」


 ギルデは、扉に体当たりでぶつかる。鍵を開けるのは、高度な魔法なので、ギルデには使えない。


 そのとき、中で何か、液体や柔らかいものをぶちまけるような音がした。


「仕方ない。まなさん、下がってて。……はあっ!」


 ギルデの魔法で扉を吹き飛ばし、私たちは慌てて中に入る。


 ──部屋中に血と骨と肉片が飛び散っていた。肉片が時に、痙攣し、それぞれが、まだ血を流していた。


 ル爺の姿は、跡形もなく消え去っていた。


 赤く染まった部屋。そして、足下に、黒い羽根だったと思われるものが散らばっている。


 その床に、手紙のようなものが置かれていた。ギルデはそれを拾い上げ、鞄にしまう。


「……まなさん、一旦、外に出ようか」

「──」


 声も上げられないまま、ギルデに押されるようにして私は部屋を出る。


 脳裏には、ル爺が四散したと思われるあの部屋が、いつまでもこびりついていた。私は口元を手で押さえて、吐き気を堪えてうずくまる。


 それから、別の場所で手紙を読んできたギルデが戻ってきた。


「──手紙、なんて書いてあった?」

「読まない方がいいと思う」

「いいえ。読ませて。何が書いてあっても、あたしは逃げるわけにはいかないから」


 私は肉片も血もついていない白い手紙を受け取り、開く。

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