第6-26話 二人の道を歩きたい

「それで、ずいぶんと平気そうな顔をしているな、魔王?」


 式の終わりとともに、そうトイスに声をかけられた。母のときは、辛そうな顔をしていたらしいが、今回は平気そうな顔をしているらしい。まあ、元々大して表情が変わらない自覚はあるので、前者がマナの嘘だった可能性は否めない。


 そうして、号泣するあかりとともに、トイスに案内された部屋で席に着く。


「魔王になって、心が凍りついたか?」

「いっそ、心なんてなければ良かったのだけれど」


 こんな思いをするくらいなら。何も感じない方が良かった。逃げ続けていれば良かった。


 それでも、私は生きている間に、マナに力をもらってしまったから。向き合うしかなかった。自分を責め続けて、立ち止まることができなかった。


 だから、進むしかなかった。それでも、足は止まりそうになったし、思考は楽な方へと逃げた。


 きっと、マナの言葉がなければ、私はマナの死を受け入れられず、幻の数を増やすことになっていただろう。


「涙の量と悲しみの深さは関係ないってのが、あたしの持論ね。涙には人それぞれ、タイミングがあるのよ」

「だが、お前は悲しんですらいないだろ」

「……は? そんなわけないでしょ。あたしのせいでマナは死んだのよ? 目の前で、命を落としたの。そうでなくても、あたしはマナがすごく、好きだったんだから」

「姉さんを殺しておいて、姉さんの死を悼む権利があると思ってるのか」


 凍えそうに冷たい声だった。それは、事実だった。その通りだった。私さえいなければ、マナはきっと、今もどこかで生きていただろう。


「ええ、そうね。でも、だからこそよ。あたしはマナを忘れないわ」


 ──彼女の欠点は、自分より他人を優先してしまうところだ。仮にも、ルスファの女王なのだから、そこらの魔族の王女など、助けるべきではなかったのに。


 でも、それは、彼女の美点だ。


「トイス、まなちゃんを責めるのは違うでしょ。何もまなちゃんは、ほんとにマナを殺したわけじゃないんだからさ」

「じゃああかりさんは、一度も恨んだことがないのか?」

「ないね。彼女ほど、マナに愛されてた人なんていないんだから、むしろ、命をかけて守るべきだと思ってる」


 その答えには、わずかだが、確かに、間があった。それに、トイスは眼光を鋭くする。


「姉さんがどう思っていたかなんて、関係ない。たとえ、どれだけ姉さんに愛されていようと、人を殺せば殺人者だ。確かに、直接殺してはいないのかもしれない。……だが、それがどうした? 何が違う? 原因がお前で、結果、姉さんが死んだ。それに変わりはない。なんで、お前なんかのために、姉さんが死ななければならない。──多数決なら絶対に、お前が死んでた。何を基準に比べたとしても、絶対に、お前が、死んでた。姉さんは何も悪くないのに。お前はいくつ、罪を重ねた?」

「え? いや、多数決とか、わけ分かんないんだけど。トイス、おかしくなったの? それに、勝つ数と負ける数は一緒なんだよ? 身長で比べるなら、高いのと低いのとあるんだからさ──」

「あかり。そんなことしか言えないなら、黙ってなさい」


 あかりの空気の読めなさは、今に始まったことではない。だが、今のは、トイスに対する八つ当たりにしか見えなかった。


 自分の方が辛いのに、トイスが、自分の方が不幸だ、みたいな顔をしているのが、腹立たしい、といったところか。


「いいや、黙らない。マナが命をかけて守ったから、僕は君を守るって決めたんだ」

「綺麗事だ。姉さんの意思なんて関係ない。もう、死んだんだ。俺は、姉さんの仇を取る」

「それってさ、ユタくんが自殺しちゃったからじゃないの? ユタくんが生きてたら、ユタくんを恨んでたんじゃないの? それって、自分の感情を、どこかにぶつけたいだけじゃん。本当は、誰でもいいんでしょ?」

「……あかりさんは、なんでそんなに冷静でいられるんだ? あかりさんが、一番、姉さんを愛してたじゃないのか? 分からない、俺には、あなたが理解できない……頭がおかしいのは、そっちだろ……?」


 そりゃそうだ。私もあかりも、とっくに頭はおかしくなっている。なにせ、マナが死んで、まだ二日しか経っていないのだ。しかも、殺されたようなものなのだ。それを、恨むなという方が、明らかにおかしい。狂っている。


「いや、頭おかしいのは元からだけどさ。そうじゃないんだよ、トイス。僕は全然、冷静なんかじゃない。狂ってるんだよ。まなちゃんだって、そう思うでしょ?」

「ええ、当然よ。おかしいのは、あたしたちの方だわ」

「はあ……?」


 トイスが無理解を顔に示す。きっと、今のトイスには、理解できない。すると、あかりが突然、語り始めた。


「マナが……亡くなってさ。ほんと。悲しくて。辛くて。苦しくて。怖くて。死にたくて。吐きそうで。たまらなくて。切なくて。寂しくて。悔しくて。憎くて。許せなくて。どうしようもなくて。否定したくて。逃げ出したくて。拒絶したくて。目を背けたくて。後悔した。恨んだ。怒りが湧いてきて、全身が張り裂けそうで。砕けそうで。色んな感情が、一波に押し寄せてきてさ。──ぷつん。って、何かが切れて。何もする気が起きなくなって。何も考えられなくなって。何も感じなくなって。何もかもどうでもよくなって。……なんにもできなくなる。何も分からなくなる。自分なんて、どうにかなればいいのにって。そればっかり、毎日毎日、考えてさ。息して、食べて、寝る。それで、一日一回は、死んでみようとするんだけどさ。簡単に死ねないから。痛い思いなんてしたくないから。どうすることもできなくて。そうやって、何もしないでいるうちに、みんな死ねばいいのに、とか。ああ、楽になりたいな、とか。そんなことばっかり、考えるようになって。


 街中でナイフ振り回したり、魔法で誰かを傷つけたりしてさ。それがさ、──はははっ、すごく、楽しいんだよね。悲鳴とか、泣き声とか、怯える顔とか、そういうの見てると、もう、すごく、楽しくて。もっと、もっと、もっと、って危険な方に進んでいって。そんなことしてるとさ、そのうち、一番、簡単に楽になれる方法がさ、目の前に、ふっと現れるんだよ。……あはは」


 語り狂うあかりの目には狂気の色が宿り、天を仰いで、全身の力を抜いて、取り憑かれたように、笑う。きっと、途中から、マナの話ではなかった。


 私には以前から、あかりが、そういう感情を乗り越えているように見えていた。そうでなくては、こんなに早く、立ち直れるはずがない。きっと、最初から、必要な言葉を持っていたのだろうと。


「越えちゃいけない線を越えそうになったとき。一瞬でも、誰かに愛されてたって、思っちゃったらさ。愛してた気持ちを、思い出しちゃったらさ──越えられなくなるんだよ。だから、僕の心にマナがいる限り、僕は、誰も殺せない。マナが僕を愛してくれたから、どれだけ死にたくても、死のうとは思わない。立ち上がれなくなっても、何度でも立ち上がる。そして、マナが愛したまなちゃんのことは、絶対に、守ってみせる。狂いそうなくらい、心はぐちゃぐちゃだけど、マナとの思い出さえあれば、僕は、いつだって、前を向ける」


 それが、私を守ると言ったあかりの言葉の、全部だった。なぜ、あかりがこんなに強いのか、少し、分かったような気がした。


「何の話だ……? 分からない。俺には、少しも、理解できない」

「分からなくていいよ。たとえ、マナが忘れても、誰にも理解されなくても、僕だけが分かっていれば、それでいい。誰がどう思っていようと、僕はまなちゃんを守るだけだから」


 それだけの思いだとは、知らなかった。──本当にあかりは、マナを愛していたのだろう。


「殺す、絶対に殺す……殺してやる……!」


 今のトイスにはきっと、誰の言葉も届かない。愛していたものを、彼は失いすぎた。失う度に、膨れ上がっていた世界への恨みは大きく、それが、マナという最後の歯止めを失ったことで、爆発したのだろう。


「ねえ、トイス。一つ、聞かせてくれる? ──マナの血液型って、何?」


 その質問の真意に、すぐ気がついたのだろう。トイスは顔をさらに歪めた。


「本当にお前はっ……何も、何一つも、少しも、知らない! ルスファの女王となるものは、血液にその印が刻まれ、他の血を一切、受けつけなくなる──輸血なんて、できるはずがないだろ!!」


 ──やはり。最初から分かっていて、マナは、病院に行くのを断ったのだ。


 もっとも、なぜ、女王に輸血ができないことを認知しておいて、何年も放置しているのかという疑問は残るけれど。


「そう──やっぱり、あたしって、すごく愛されてたのね」

「……っ! 死ね! マナ・クレイアアアア!!」


 気がつくと、あかりが氷の剣で、トイスの斬撃を受け止めていた。速すぎて見えなかった、というやつだ。遅れて、背筋を冷や汗が伝う。直後、目の前で剣戟が繰り広げられる。


 私はそれを放心して眺めていたが、やがて、トイスが攻撃の手を止め、こう言った。


「戦争だ……。戦争に勝利し、お前と魔族全員を葬る……!」

「いやいや、もう少し平和的な解決をさ──」

「とっくにその段階は過ぎてるんだ、榎下朱里──いや、榎下朱音、だったな」

「ちょっと名前が違うだけじゃん? たいして変わんないって」

「いいや。勇者の名前は榎下朱里だ。つまり、お前は勇者ではないということだ。それが何を意味するか、分かるか?」

「……難しいことは分かんないなあ」

「これまで、十年以上も、お前は国を欺いてきたことになる。それとも、最初から、そちら側の人間だったのか?」

「いや、そんなわけ──」

「果たして、一体、何人がお前の言葉を信じるだろうな」


 先の発言に見逃せないものがあって、私は口を開く。


「──ちょっと待ちなさい。さっき、とっくにその段階はすぎてるって、言ったわよね? どういう意味?」


 すると、トイスは口角をにぃっと上げた。


「魔王城っていうのは、ずいぶんと物が少ないんだな。おかげで、隠し場所を探すのが大変だったらしい」

「え? 何の話?」

「──爆弾、でしょ?」

「察しがいいな、マナ・クレイア。まあ、もうすでに手遅れだがな……はは、ははははは、ふはははは──」

「あかり、一度、城を出るわよ! どんな方法でもいいわ!」

「おっけえ!」


 すると、あかりは城の天井を落下させ、トイスにその対応を強いる。その隙に、城の壁を溶かして、脱出した。


 それから、走って壁まで駆け抜ける。魔王なので、裁かれはしないが、開戦を宣言された以上、殺される可能性はある。


「ねえ、さっきのって、魔王城が爆発したってこと!?」

「ええ、そうね」

「──あれ? なんか、やけに落ち着いてるような……」

「とりあえず、レックスのところに向かいなさい。人間の側につかないなら、だけど」

「はははっ。言ったじゃん、君を守るって。──それに、人間の側につくなんて無理でしょ。僕、ほんとは勇者じゃないんだからさ」

「それもそうね。……ありがとう」

「お礼を言うのはこっちの方だよ」


 私は足りない頭を回して、なんとか考える。昨日、ご飯は食べたので、頭の巡りもいい気がする。


 王様が戦争を起こすと宣言したのだ。戦いは避けられない。


 なんとしてでも、私は、生きなければならない。この命を無駄に散らすわけにはいかない。どんな手段を使ってでも。


「それから、聞きたいことがあるんだけど──」

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