第6-23話 確かめたい

 洞窟を出ると、目の前に多数の動物の群れがいた。


 その一番先頭にいるクマの目が欠けていて、私はすぐに、あのときのクマだと気がついた。手にすり寄ってきたクマの首の辺りを、私は撫でる。


「チアリターナに会いに来たのね」


 いつか全焼したはずの山は、知らないうちに、元通りになっていた。チアリターナの力もあるだろうが、それ以上に、ハニーナの力が大きいだろう。


 彼女は魔法植物の成長を促す役目を果たしている。蜂歌祭でマナの歌声から取り出した蜜を使って。


「この山の守り神みたいな存在だったんだね」

「そうね。人々に恐れられていたのも、きっと、ここを守るためだったのよ」


 チアリタンが誰でも登れると言われる、その最たる理由は、危険なモンスターがいないからだった。


 それも、昔からこの山で暮らしていた動物たちを守るために、チアリターナという強大な存在が住み着くことにより、モンスターたちを遠ざけていたのだろう。


 だが、チアリターナの加護がなくなった今。いずれ、この山にもモンスターが棲みつく。そうすれば、元からいた動物たちは、弱肉強食の世界で勝ち残っていけない。ギルドにモンスター討伐の依頼が出たとしても、被害をゼロにすることはできないだろう。


「ごめんなさい。こんなことになってしまって」


 クマは私の手を舐めた。そして、私の元を離れると、前足で地面を蹴り──あかりに突進した。


「ごぶぇえっ!!」

「え、そっち!?」


 すると、動物たちがこぞってあかりの方に飛びかかっていく。クマにのしかかられ、ウサギに耳をかじられ、リスに頭を叩かれ、クモの巣だらけにされ、蛇に締め上げられる。


「あ、あかり、大丈夫?」

「死ぬ! さすがに死ぬ!」


 あかりは短距離の瞬間移動で群れから逃げ出すと、私の手を掴み、麓に向けて走り始めた。


「何、あんた、恨まれるようなことでもしたの?」

「いやあ、どうだったかなあ」

「その言い方は、心当たりがありそうね」

「とりあえず、いてっ! 麓に、あだっつ! 降りっ、べふう!」


 木の実を投げつけられたり、背中に頭突きされたり、土をかけられたり、散々な様子だった。


 そうして、気づけば、動物たちに囲まれていた。逃走ではなく、並走している。


 ──そういえば、あかりは足が遅いのだった。なんだったか、確か、五十メートルを十三秒かかって走るとかなんとか。しかも、それでも訓練した成果だとか。まあ、向き不向きがあるので仕方ない。


 そうして、ある程度のところまで降りると、動物たちは追ってこなくなった。あかりに引っ張られて走らされていた私は、やっと呼吸を整えて、それから歩いて麓まで降りた。


***


「それで? さっきのは、なんだったのよ」

「ああ、僕、動物から嫌われる体質でさ」

「嘘ね」

「やっぱり、バレた? ま、嘘ではないんだけどね。本当でもない」


 モンスターの多い平原のど真ん中を歩きながら、私たちは話していた。町や都市には指名手配がされているだろうから、避けることにした。


 名目上、マナは友人をかばって亡くなったことになっている。それでは、なぜ、私は追われているのか。


 決まっている。トイスが即位したからだ。女王の即位は二日かかるというのに、王の即位は半日もかからないらしい。


 そして、私はトイスにものすごく嫌われている。私がマナを殺したと考えることは、命をかけたマナに対する冒涜でしかない。それでも、どうしても、私を許せないのだろう。


 そもそも、誰があんなに強いマナを殺せたというのだ。あの子は死んでも死なない。死ぬはずがない。──本気で、そう思っていたのだけれど。


 ユタのことも、同じだ。歴代最強の魔王として、爪痕を残すに違いないと思っていた。


 それが、こんなにもあっさり。


 生きることが強さなのだとしたら、二人は、すごく、弱かった。だから、強いことと、生きていけることは別なのだと、思い知らされた。


 この世は決して、弱肉強食なんかじゃない。本当にそうだとしたら、二人は死なずに済んだはずなのだ。


 むしろ、その逆だ。私が──世界で最も弱い私が、最強二人の命を食べたのだ。


 弱いって、なんだろうか。


「まなちゃん、目がどっかいってるよ?」

「──ええ。気をつけるわ」


 平原を歩けば、絶えずモンスターが襲いかかってくる。しかし、あかりが魔法で作った障壁で覆われているため、内側に入ってくることはない。私がうっかり、障壁に触れさえしなければ、大丈夫だ。


「追いかけられてた理由なんだけどさ、まなちゃん、あのクマに懐かれてたじゃん?」

「──それなら、少しだけ思い当たることがあるわ。あたし、そのことについて、あんたにずっと聞きたかったことがあるの」


 どうやら、今がそのときらしい。


「じゃあ、まなちゃんから話していいよ」

「分かったわ。あんた、『えのしたあかね』って子、知ってるわよね?」

「……なんでまなちゃんが知ってるの?」


 明らかに、あかりと無関係とは思えない名前だ。その名前を口にすると、あかりは珍しく、驚きを隠そうともせず、不快感を露にした。


「あのクマの片目には、元々、義眼がはめ込まれていたわ。くりぬいてみたら、裏に魔法陣が書いてあったの。魔法陣を解体してみたら、あら不思議。えのしたあかね、なんて名前が浮かび上がってきたわけ」


 あれから解体を続けて、一年。ようやく、たどり着いた。学園から逃げ出さずに、ティカ先生に聞いていれば、もっと早くにたどり着けていたのだろうが。


「魔法陣にはね、その人の個人情報が刻まれてるのよ。身長、体重、性別、生年月日、家族構成、血液型、学歴から得意なこととか性格まで、なんでも分かるの。恐ろしいわよね」

「へえ──」

「ちなみに、あかねは男。粘土でフィギュアを作るのが趣味だそうよ」

「はは。……そんなことまで分かるんだ」


 私はさらに続ける。


「えのしたあかねには、妹がいたの。おかしいでしょ? 仮に、あかねって子が、あんたの兄だったとしても、あんたは妹にはなり得ないのよ。異世界からの召喚者であるあんたに、他の家族がいるとも思えないし」


 手違いで巻き込まれることがあったとしても、せいぜい、一人までだ。


 さらにもう一つ、私は知っていることがあった。


「──榎下朱里は、もう、死んでるのね」


 いつか時計塔で見た、榎下朱里死去の文字が、脳裏にくっきりと浮かぶ。


 そして、これらの事実を組み合わせれば、一つの真実が見えてくる。


 何より、マナが死ぬ間際に言ったのだ。微かな声だったが、私の耳には、確かに届いた。──「あかね」と。

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