第6-22話 チアリターナに会いたい
洞窟の前で、足が止まった。あまりの恐怖に体がすくんで、一歩も前に進めなかった。
「まなちゃん? どうかしたの?」
「……あんたは、なんで平気なの?」
私は喉の辺りまでの、浅い呼吸でなんとか言った。
「何の話? まあ、怖いなら、押してってあげるから。行こう?」
「……そうね」
とびきり熱いお湯でもかけられたかのように、全身が痺れた。呼吸もろくにできなかったが、私はあかりに文字通り、背中を押してもらって、なんとか進む。
白銀の鱗、翼、角。──チアリターナが、変わらない様子でそこにはいた。
「ぁぅ……」
ろくに声も出せない。極度のプレッシャーに、吐き気までしてきた。体がうまく、動かない。
「やあ、久しぶり、チアリターナ。元気してた──」
瞬間、視界が激しく上下した。
チアリターナが振った尾を、あかりが私を抱えて避けたのだと分かった。しかし、胃が揺れる感覚に、私の吐き気は限界だった。
「うぇぇ……っ」
「ちょっと、あんまり、まなちゃんをいじめないでよお」
あかりに背をさすられて、私は残りもすべて吐き出した。吐くものなど、もう残っていないはずだが、それでも、何かが戻ってきた。あかりはそれを魔法できれいに取り去り、どこかへと処理した。
「その様子だと、もう知ってるみたいだね。ユタくんのこと」
「……見ておったからな」
白銀のドラゴンは、目を伏せた。彼女にも、私はユタを任せられていた。
その上、全部守るなんて啖呵まで切っておいて、我ながら、よくもまあ、のこのこと顔を出せたものだ。
「貴様の言葉はもう信じぬ。何の意味も持たぬと、よく分かった。──立ち去れ」
「ごめ……っ、ん、なさ……」
「謝って、どうなる? 生きていてごめんなさい。お詫びに殺してください。とでも言うつもりか? ……貴様の命ごときで、償えると思うな!」
「く、ぁ……っ」
息が苦しい。苦しい。死にそうだ。何もされていないのに、首を絞められているようだ。水に沈められているようだ。顔に布でも貼りつけられているようだ。
それでも、殺されないだけましと思うべきかもしれない。──とてもそうは思えそうにないけれど。
「でもさ、チアリターナ。僕、思うんだけど──」「貴様の話など聞いておらぬ」
「いや、聞いてよ。まなちゃんは、そんなに悪くないでしょ? 確かに、八年も放っておいたのは事実だけどさ。だからって、なんでまなちゃんに、全部押しつけるのさ? おかしいでしょ」
「そやつが申したのだ。自分に任せろと。必ず守ると」
「だとしても。大勢の人を殺したのも、そうすることを選んだのも、全部、ユタくんじゃん。それに、まなちゃんがユタくんを殺したわけじゃない。ユタくんは、まなちゃんを利用して、自殺したんだよ。誰にも自分を殺せないって、分かってたから」
「──ユタが悪いと、そちは申すのじゃな?」
「ユタくんだけじゃない。周りにいた人、全員が悪いよ。僕も君も含めて全員、責任を追うべきだと思う。ユタくんのお母さん以外は」
その言葉に、私は少しだけ、救われたような気がした。それと同時に、また、自分は守られているのだと、強く自覚した。
「──ユタくんは十六歳だった。その頃の僕たちは、戦争のことなんてそんなに深く考えてなかっただろうし、同じように決断を迫られても、自分たちが負けるために、身内を全員殺すなんて選択は、多分、できなかった。まして、その責任のすべてを背負って、あの世に持っていくなんて、ユタくん以外の誰にもできないことだよ。ま、ユタくんが最初に人を殺したのが何歳かは知らないけどさ」
「──魔王が崩御した年。わずか、齢十一のときじゃった。ユタは、血にまみれて、死体を持って、余に会いに来た。そして、ただ一言、自分が殺したと申した。何があったのかと、余が尋ねると、理由があれば殺人は許されるのか、と、それだけ残して去っていった」
たった、十一歳の子どもに、そんなことを言わせてしまうなんて、私は、どれだけ、馬鹿だったのだろうか。
チアリターナだけじゃない。母にも、父にも、ユタを頼まれていたのに。ユタを思うすべてを、私は、踏みにじった。
──一番悪いのは、私だ。
「──あのとき止めてやれなかった妾が、一番悪いのじゃ」
あかりも、どこか、思うところがあるらしかった。
いつしか、息のつまるような圧迫感はなくなっており、私はただ、チアリターナを見上げていた。
「なぜ、人というのは、こうも容易く命を落とす。短い生涯の中で、なぜ、これほどまでに辛い思いをせねばならぬ。……誠、儚い生き物よのう」
チアリターナは片目から一筋、涙を流す。
「取れ」
あかりがどこからか小ビンを取りだし、その涙を入れた。
「これ、何?」
「──」
「……チアリターナ?」
深い悲しみに包まれて、白銀のドラゴンは静かに息絶えていた。
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