第6-21話 いつかは笑いたい

 私が行こうとすると、あかりは私を引き留めた。


 そして、氷の剣を手中に顕現させると──長いポニーテールを、根本からバッサリ切った。


「うわーーっ!? 何してんの!?」

「ヘアドネーションでもしようかと思って」

「ああ、なるほどね。髪の毛は魔法で伸ばせないから、そういう活動は大事よね──って、そういうこと聞いてるんじゃないわよっ!」


 あかりは切り取った髪の毛を束ねて、時空の歪みにしまった。そして、風の魔法で器用に髪型を整え、水で化粧を落とす。──素顔を見るのは、初めてかもしれない。


「失恋したから……じゃ、ダメ?」

「失恋してないでしょ。今でも恋してるじゃない。それに、マナと違って振られてもないし」

「あ、なんか、刺が……まあ、ぶっちゃけ、伸ばしておく必要がなくなったんだよね」


 ただ、可愛いから伸ばしているのだと思っていた。そこに理由があったとは、驚きだ。


「それって、ずっと言ってた、目的ってやつと関係ある?」

「あ、そっか。それも、言ってなかったっけ」

「何一つあんたの口からは聞いてないわよ」

「そうだっけ?」


 語るつもりはないのだろうか。まあい……くはない。けれど、知る術もないので、ひとまず、置いておくことにする。


「……ところで、あたしのリュック、置いてきたのよね」

「もしかして、あの中に大事なものとか入ってた?」

「それ以外にどこにしまっておくのよ?」


 あかりのように空間に歪みが作れるわけでもない。物を持ち運ぶには、当然、鞄が必要なのだ。


 そして、私が懸念しているのは、本の存在だ。八年間、その意識はなくとも、ずっと保管し続けていたのに、あっさり取られてしまった。困ったことになった。


「他に何か、ないと困るものとか入ってた感じ?」

「ないと困るわけじゃないけど、杖とか、宝物箱とか、なけなしのお金が入った財布もあったわね」

「そっかあ……。僕って、やっぱり、肝心なところでダメだなあ……」

「自分を責めても仕方ないわよ。それに、元はと言えば、あたしが悪いんだから。あたしが、マナを死なせて、トイスに恨まれた結果、投獄されたんだから。あんたは悪くないわ」

「……まなちゃんだって、自分、責めてるじゃん」


 そう言われて、私は、はっと気がついた。自分を責めることに慣れているからか、自分では気づかないことが多い。このままじゃダメだ。いや、ダメだという時点で責めているのか。難しい。


 人に言っている以上、自分もなんとかしなければ。私のために、マナは死んだのだから。マナに追いつくのは無理だとしても、そのための努力をしなくては。


「……なんでマナはあたしを助けたのかしら」

「いやいや、喧嘩売ってるの? まなちゃんが好きだからに決まってるじゃん」

「そこまでして、あたしに何の価値があるっていうのよ。──やっぱり、分からないわ。マナ以上の存在なんて、この世にいるはずがないし、あたしが一生をかけたって、マナ以上にはなれない」


 少しは平気になったかと思っていたが、やっぱり、まだ、立ち直れそうにない。マナと約束したから、こうしているけれど。


 本当は、今すぐにでも逃げ出して、すべて忘れて、死にたかった。


 向き合うことで、目を背けていた大切な人たちの死が、次々、重みをもってやってきて、それらに押し潰されそうだ。私はまだ、そのほとんどを、乗り越えられていないのだ。


「あんたは、意外と強いわよね」

「それって、僕の話? え、どこが?」

「一生、立ち直らないって、決めてるところかしら」

「……いやー、さすがまなちゃん、よく見てるねえ」


 あかりは、きっと、永遠にマナを思い続けるのだろう。ずっと、後悔しながら。マナ以外の誰も受け入れず。ただ、マナだけを思うのだろう。他の幸せがある可能性など、少しも目を向けずに。


 そこまで割りきれたとしたら、マナも、私が逃げることを許してくれたかもしれない。


「マナがどこにもいないなんて、あたしには、もう、無理よ。あかり、一緒に死にましょう」

「嫌だよ。まなちゃん、一人で死んでよ。死なせないけど」

「あんただって、死にたがってたじゃない」

「……そんなことないよ。ねえ、この話、やめよう」

「……そうね。やめましょう」


 やっぱり、私たちは弱かった。マナのことを、話したくない。でも、話さないと、忘れてしまいそうで怖い。


 昔は母のことを思い出さない日はなかったが、最近は、思い出すことの方が減っている。母を連想させるものは手紙くらいしかないが、そもそも、リュックはほとんど開けない。


 きっと、死んだ人のことは、時とともに少しずつ、思い出さなくなっていくのだろう。忘れるのとは違うけれど。


「大丈夫だよ。多分、いつか、笑って話せるようになるよ」

「……そうは思えないけれど」

「だって、楽しい思い出がたくさんあるからさ。辛い思い出もたくさんあるけど……主に僕のせいで。──それでも、やっぱり、いつかは、楽しい方が勝つと、僕は思うよ。それに、マナも、僕たちが笑っててくれる方が嬉しいだろうし」


 そんな風に誰かを思える人が、この世に一体、どれだけいるのだろうか。少なくとも、私には、そんな風には思えない。


 私のせいで、マナは死んだ。


 そう思わずにはいられないから。どれほどマナを想っていたとしても、あかりほどは想えない。


「あんた、すごいわ。──いいえ。きっと、あんたにそう思わせるマナがすごいのね」

「そりゃそうだよ。……だって、マナだもん?」


 声が震えていた。見ると、あかりは目に涙を浮かべていた。


「でも、やっぱり、死んでほしくなかった……っ!」


 あかりは、再び泣き出した。涙はもう枯れたのかと思っていたが、どうやら、まったくそんなことはなかったらしい。


「あんなところで、死んでいい人じゃなかった……」

「あたしのせい──」

「まなちゃんのせいじゃない。……まなちゃんは悪くないよ。マナが、自分よりも、まなちゃんが助かる方を選んだんだから。だから、自分のせいだなんて、言わないでよ……っ!」

「──ごめんなさい」


 まったく、その通りだ。マナに私を責めることができたとしても、私が私を責めるのは、マナの思いを踏みにじることになる。


 だからと言って、すぐに変われるわけではないが、私はきっと、自分を責める回数より、マナに感謝する回数を増やしていくべきなのだろう。


「あんた、まだ全然笑えそうにないじゃない?」

「いいんだよ、泣きながら笑うからっ! げほっ、ごほっ!」


 あかりは勢い余ってむせた。私は思わず苦笑する。


「はいはい。じゃあ、そこに歩くも加えなさい。あと、あんた、お金持ってる?」

「めちゃくちゃ、持ってる、ズズッ」

「うわ、汚い……。鼻かみなさい。それから、あんたのお金、借りるわよ。あたし、所持金ほとんどない上に、リュックに財布入ったままだから」

「トンビアイス何個分?」

「一舐めくらいかしら」

「ははっ、実質、ゼロじゃん……」


 すごく涙声だったが、あかりは強がっているようだったので、私は笑った。

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