第6-19話 彼を救いたい

 城の外まで出て、芝生に座り込む。ふと、城に目をやると、懐かしい窓が目に入った。あそこは、私が脱走した部屋だ。


「あそこ、まなちゃんが監禁されてた部屋?」

「ええ。一度目は、あの窓を通って脱走したの。今見ると、意外と、入り口に近い部屋だったのね」

「ふーん……」


 初めて石の床以外に足をつけた。そのときの芝生は、よく覚えている。


 本でしか知らなかった世界が、一気に現実のものになった。感触、色、匂い、形。あそこから逃げ出したときから、私の人生は始まった。


 そして、辛いことばかりがやってくる。


「それにしても、意外ね」

「何が?」

「あかりのことだから、もっと、あたしを責めるかと思ってたわ。死んで償え、くらいのことは、言われる覚悟、してたんだけど」


 あかりは、失笑して、それから、私の首に両手をかけた。私はその瞳に宿る、ナイフのように鋭く、綺麗な光に、吸い込まれる。


「そりゃあ、ユタくんのことは、死んでも殺したいと思ってるし、君のことも、同じくらいに恨んでるよ。君さえいなければ、なんて思ったことは、今じゃなくても、何回もあるし。今も思ってるけど。正直、今すぐにでも殺してやりたい」


 それからあかりは、両手に力を込めようとして、両腕の力を抜き、だらんと下げた。


「あかり──」

「マナが、命をかけて守ったんだ。……そんなのっ……どうやって殺せって言うんだよ」


 あかりは芝生に寝そべって、まだ明るい空を見上げた。ユタはもう死んでいるから、復讐することはできない。


 そして、私のことは、殺したくても、マナのことが浮かぶから、殺せない。どこにも、怒りをぶつけられない。


「いいなあ、まなちゃんは。こんなにも愛されて」

「あんただって、十分、愛されてたわよ」

「全然足りなかった。全然、十分じゃなかった。もっと、愛してほしかった。──もっと、もっと、愛してあげたかった。僕を本気で愛してくれたのは、マナだけだった。僕には、マナしかいなかったんだ。──でも、今さら気づいたって、もう、何もできない」


 空を見上げるあかりの瞳から、涙が溢れる。流れ星のように流れていく。星たちよ、どうか、願いを叶えてほしい。


 ──それでも、願いを使うことは、しなかった。まゆみを生き返らせるなと言ったマナの言葉を、無下にはできなかった。


「これから、どうするの?」

「──さあ? どうするんだろうねえ?」


 あかりはいつもの笑みを浮かべた。しかし、その虚ろな瞳には、何も映っていなかった。


 そうすることが染みついているから、無意識だと、彼は却って笑みを浮かべるのかもしれなかった。それが、酷く、痛々しかった。


「君は?」

「あたしは、どうしたって、魔王になるから。詳しいことは全然分かんないけど、なんとか、戦争を終わらせてみようと思ってる」

「──そっか。いいね、それ」


 すごく、空虚な言葉だけだった。聞いているだけで虚しくなった。


 なんとも思っていないのが分かった。きっと、何も考えていなかったのだろう。何も、考えられなかったのだろう。聞こえていたかどうかも微妙だ。


 ──このままではきっと、私は、また失う。ここで何かを変えなければ、また、同じ過ちを繰り返す。そんな予感がした。


 私の周りには、いつだって、何も残らないから。何もしなければ、きっと、消えていくだけだ。


「あかり」

「ん?」


 その後に、なんと続けたら良いのか、分からなかった。ただ、気がついたら、咄嗟に名前を呼んでいた。


「あかり」

「どうしたの?」


 なんと言えばいいのか。どうしたら変えられるのか。私に何ができるのか。何もできない私に、できることは。


「あかり」

「──うん」


 そうか、今のあかりには、生きる意味がないのだ。何の目的もないのだ。だから、危うく見えるのだ。


「あかり」

「何?」


 ──そうだ。あかりは、私を殺せないと言ったのだ。


「──あたしを、守ってくれない?」


 わずかに、あかりが反応を見せた。私は続ける。


「魔王になったら、きっと、あたしの命を狙う魔族も増えるわ。──せっかく、マナに助けてもらったこの命を、無駄にしたくないの。お願い」


 あかりは、ずいぶんと、長い間、悩んでいた。そして、


「僕は、マナ一人すら、守れなかった」

「それでも、いないよりは、ましだわ」

「ははっ。これでも僕、人類最強の魔法使いなんだけどなあ……」

「ユタよりは弱かったじゃない」

「人類って言ったじゃん。しかも、あれはチートだって」

「それで? 守ってくれるの? くれないの?」

「……いいよ、守るよ。絶対に、何があっても」


 あかりは、私が何も言わなかったら、本当はどうするつもりだったのだろうか。今となっては分からないけれど。


 そのとき、足音が近づいてくる気配がして、私たちは振り返った。


「──事情を聞く。城まで来い」


 すっかり成長したトイスが、温度のないオレンジの瞳で、私たちを静かに見下ろしていた。


 まだ、あかりに聞きたいことがあったのだが、それは後回しになりそうだ。

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