第6-18話 指輪を返したい

 目が覚めて、まばたきをしながら、私は考えた。


 なぜ、生きているのだろうと。


 気がつけば、腹部どころか、腕の傷もなくなっていた。私の怪我を治せるのは、チアリターナしかいない。──厳密には、ドラゴンの力でしか、治せない。


「まな……まな……」


 遠くの方で声が聞こえる。私は、その声を必死にかき集める。そして、


「マナ! 死なないでっ!」


 はっきりと、あかりの声が聞こえた。急に体勢を起こすと、目眩を覚え、血が下がる感覚がしたが、床に手をついて、なんとか堪える。


 見ると、なぜかそこにはマナがいて、腕が血だらけになっていた。傷は塞がっているようだったが、これがすべて、マナの流した血だとすれば、もう死んでいてもおかしくはない。


「……よかった」


 マナは私の手を握っていた。私はその手を振り払う。


「……早く、魔法で治してよ」


 離したその手を、マナは力なく、再び、握ってきた。


「あかり、瞬間移動で早く病院に──」

「ダメなんだ……。念話で、伝わってきて……っ、まなちゃんと、一緒にいたいからって……。どうせ、助からないからって! ねえ、助けてよ! マナを、助けて……っ」


 一目で分かった。絶対に助からないと。今、意識があること自体、奇跡に近いのだと。


 目を離したら、次の瞬間には亡くなっているかもしれない。だから、私はマナに全神経を傾けた。


 マナの口がかすかに動く。私とあかりは、耳を近づけて、なんとか声を拾う。


「まなさん……ゆ、び……ゎ……」


 私を握る手には、ピンクの指輪がはめられていた。返すと言っていたから、私はそれを外して、自分の親指につけた。


「ええ、確かに受け取ったわよ」

「まな、さ……」

「何?」

「ぁ……ぃして……ま、す」

「知ってるわよ、そんなことっ!!」


 他に、もっと、最期に何か、言うことはないのだろうか。マナはとても苦しそうで、見ていられないほどだった。でも、目はそらさない。


「あか……ぇ……」

「マナ……」

「ぁ、ぃ、し……て……ぅ」

「僕もだよ、マナ。愛してる」

「ぁ……ぃ、し……」

「愛してる、ずっと。だから……死なないでよ、マナ。マナがいないと、僕は、ダメなんだ……っ」

「ゎたし、を……ぇら……んで……」

「マナさえいてくればいい。他のものなんて、もうどうでもいいから。だから、生きてよ……!」

「ま……ぁ、あ、か……」

「マナ──」

「マナっ!」

「ぁ…………い……」


 色を失った唇が、言葉の続きを紡ごうとして、動かなくなっていく。


 握っている手が、冷たくなっていく。


 目が光を失っていく。


「マナ、マナっ! ──マナ……うぁ、う、ぁ、ぁああああ!!」


 あかりは喉が潰れそうなくらいに泣いていた。亡骸に覆い被さり、すべてを失ったように、泣いていた。いや。きっと、本当に、すべてを失ったのだろう。


「あたしのせいで──あたしの、ためにっ。……いや……いやだあぁぁ…………」


 マナは、安らかな顔で眠りについた。


***


 私は使命感に突き動かされるように、ル爺を探して、事情を説明したと思う。よく覚えていない。


 それから、ふらふらと、マナとユタのところに戻ってきて、ユタの転がっている頭を拾って、ル爺に引き渡した。


 あかりは、いつまでもマナから離れようとしなかった。私はどんな思いでか、それをただ、ぼんやりと眺めていた。


 それから、どれほどか経って、あかりが呟いた。


「マナを、生き返らせて」


 この場の感情だけで、何かを望んではいけないと思った。


 それに、どんな理由があっても、生き返らせてはならないと、マナは言った。


 こんなときでも、冷静な自分に嫌気が差す。


「……できないわ。それに、あんた、他に望みがあるって、ずっと言ってたじゃない」

「そんなの、もう、どうだっていいんだよ。マナが死んでたら、全部同じだ」

「生き返らせて、どうするのよ」

「一生、マナだけを、大切にする」


 それは、素敵なようでいて、危うい。


 きっと、彼が大切にしたいものの中に、彼自身や、他の大切にするべきものは含まれていないのだ。


「あれだけ、マナを泣かせておいて、よくそんなことが言えたわね」

「マナは、まなちゃんを助けたせいで死んじゃん」


 そうして、口から漏れたのは、お互いを責める言葉だけだった。


 以前、私の血液でマナの治療をしたとき、私の傷が治ったことがあった。経緯は知らないが、おそらく、マナの血液にはドラゴンの成分が含まれていたのだ。


 しかし、必要な血液の量に対して、治る私の傷は小さかったのだろう。腕の傷まで治っているところを見るに、恐らく、怪我そのものを治すというよりは、治りを速くするのだと考えられる。


 そして、私の傷を速く治すために、マナは血と魔力を使い果たした。心音は弱く、いつ亡くなってもおかしくない中、それでも、最期に意識があったのは、奇跡だった。


 きっと、私が目覚めるまで、待っていてくれたのだろう。


「そうよ。あたしのせいよ。あたしが、ユタに会おうとしなければ──いいえ。そもそも、宿舎から逃げたのが間違いだったわ。とにかく、あたしのせいでマナは死んだんでしょうね。でも、生きてる間に一番マナを傷つけたのは、間違いなく、あんたよ」

「ははっ、開き直り? ……分かってるさ。死に方だけが、人生じゃないから」


 自分を責めるようで、やっぱり、お互いに傷つけ合った。


 あかりはマナの髪を撫で、頬をなぞり、首筋に手を添える。こうしていると、まるで、眠っているみたいだ。


「眠ってるみたいね」

「うん。──でも、すごく、冷たい。温めても、温めても、温かくならないんだ……」

「……ええ、そうね」


 私は、マナの手を握る。死んだ人間の体というのは、どこまでも冷たいものだと。そう感じるのは、初めてのことだった。


「マナ、待っててくれなかったのね」

「──僕が悪い。僕、ずっと、まなちゃんを探してたんだ。それで、今日ここに来るって知ったから、ずっと、探してた」

「それで、刺されてるあたしと、首のないユタを見つけたのね」

「すぐに、なんとかしなきゃって、それで、マナに念話したんだ。そしたら、こんなことになっちゃってさ。……僕は、馬鹿だ」

「あたしも同じ馬鹿だったわよ」


 扉が開かれて、外から死体を回収に来た人たちが入ってくる。その中にいた、紫髪にオレンジの瞳の青年が呟いた。


「……姉さん」


 私は立ち上がろうとして、よろける。そして、自分も刺されていたことを思い出す。


 あかりを立ち上がらせて、マナから離して、あかりの肩を借りて、なんとか、歩く。

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