第6-13話 大好きって言いたい

 それから、腕のスタンプを見れば、まゆのことはすぐに思い出せるようになった。


「お姉ちゃん!」

「……」

「お姉ちゃん?」

「──ああ、ごめんごめん。何かな?」

「あのね──」


 そのとき、口を塞がれて、私は建物の影に隠れる。


「ワサビ……厄介なところに厄介なものを置いておくんだから、青髪さんは」


 私は瞬時に状況を理解した。そして、息を殺す。すごく怖いけれど、きっと、まゆが助けてくれる。


「まな。そこのお店に入ってて。迎えにいくまで、出てきちゃダメだよ。それから、静かに行くこと。いい?」


 私はうなずいて、そのお店に入った。それから、しばらくして、まゆは戻ってきたが、酷くやつれているようだった。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「──ねえ、まな」

「何?」

「……んーん。呼んだだけ」

「お姉ちゃん面倒くさいわねっ」

「なんだってー?」


 そうして、まゆはいつも通りに笑った。だから、私も気にしなかった。


 でも、私が手を握ろうとすると、まゆは少し、嫌がる素振りを見せた。


「お姉ちゃん、私のこと、嫌いなの……?」

「──さあねー?」

「うえぇぇ……?」

「ほら、もうちょっとだから、頑張るよ」


 そうして、まゆは私の手を取った。私はまゆに微笑みかけた。


 まゆは私のことをどう思っているのだろう。


***


「やっと着いた……」

「可愛いー!」

「うん、そうだね。さ、行こうか」


 可愛い建物がたくさん並んでいた。私はそれらに気を取られつつ、飴を舐めながら歩いていた。甘くて美味しい飴。


 まゆは少し待つようにと言っては、食べ物をくれた。そうして私はそれを食べる。きっと、食べ物の木がある場所でも知っているに違いない。


「ここ、どこ?」

「さあ、どこでしょう?」

「うーん。もうだいぶ南に来たから──ヘントセレナ?」

「そう正解。まなは賢いね」


 そう言って、まゆは私の頭に手を置き、ゆっくり撫でた。


「あたしって、賢いの?」

「うん、賢いよ。だから、もっと、広い世界を見て、色んなことを学んでほしい」

「広い世界?」

「そう。自分の目で見て、よく観察して、自分の頭で考えるんだよ」

「ふーん……」

「んー、子どものまなにはちょっと難しかったかなー?」

「お姉ちゃんだって、まだ子どもでしょっ」

「そうだね。でも、まなよりは大人だよ?」

「むむむ……」

「ほら、シワ寄ってる」


 よく、眉間のシワを伸ばされる。もっと伸ばしてもらおうと、さらに寄せると、まゆは少し笑った。


「お姉ちゃん、今いーい?」

「うん。いいよ。何?」

「あたしね、お姉ちゃんのこと、大好き! ──やっと言えた!」


 そう言って、思いっきり抱きついた。そこには、何もないような感じで、どれだけ力を入れても、まゆに触れているという感じがしなかった。


「……わたしも、大好きだよ」


 私の頭を撫でるその手だけが、少し温かくて、まゆは幽霊ではないのだと、証明していた。私はその手を掴んで、頬に寄せた。


「にへーっ……」

「相変わらず変な笑い方だねー」

「お姉ちゃんの真似だよ?」

「わたし、そんな変な笑い方しない」

「してるもん」

「してない」


 手を繋ぎ、目的地までの道を急ぐ。あともう少し。


***


 目の前には、たくさんの水があった。見渡す限り水で、あれが地平線なのだと分かった。


「海だ!」

「んーん。これはね、湖。すっごく大きな湖だよ」

「大きい! すごーい!」

「うん、そうだね。えーっと、大砲、大砲……」


 まゆに手を引かれるまま歩いていると、大きな黒い筒が視界に入った。


「あれ、何?」

「ん? あ、あった。あれが大砲だよ」

「大砲……」

「怖い?」

「うん、ちょっとだけね。本当に、ちょっとだけ」


 大砲とは、兵器だ。あの筒から大きな弾を飛ばして、色んなものを壊すのだ。


「大丈夫。あの大砲は飛ばないから」

「なんで?」

「大きすぎて飛ばないんだって」

「ふーん。じゃあ、何のために作ったの?」

「大きいと、なんか強そうでしょ?」


 なるほど。確かに近くで見ると大きい。あの筒の中に落ちたら、出てこられないかもしれない。


「まな、この大砲、ちょっとノックしてみて」

「うん?」


 私は言われた通りに大砲をこつこつと叩く。あまりいい音が鳴らなかった。意外と難しい。私は何度も繰り返し叩き──やっと、いい音が鳴ったと思ったそのとき。


「るっせエなア……! ──あン? ガキじゃねえか」

「うわっ、なんか出た!」


 私は咄嗟にまゆの陰に隠れる。中から出てきたのは、声の低い金髪の人だった。


 しかし、前髪をかきあげると、そこには美人な顔が現れる。


「うわー、美人さんだよ! お姉ちゃん!」

「そうだねー。美人が台無しだねー」

「白髪……ああ、例のガキか。なんだ、おめエ、一人で来たのか?」

「一人? あたし、お姉ちゃんと一緒に来たの。ほら、お姉ちゃん」


 どうやら、金髪はまゆのことが見えていないようだった。まゆは、金髪にそっと手を伸ばして、その手に触れる。すると、金髪は驚いたようにまゆを視界に入れた。


「……おいおい、面倒くせエことになってンなア」

「いいの。そのおかげで、まなをここまで連れて来られたから」


 まゆは髪の毛を一本抜くと、その金髪に渡す。


「えっと、バサイさん、でいいんだよね? もう何年も経ったから自信なくて」

「……あア、オレがバサイだ。だが、さん付けはやめろ。ぞわってする」


 私はまゆの手を掴んで、バサイの赤い瞳をじっと見つめる。


「お姉ちゃんの知り合い?」

「うん、そうだよ。怖くないよ。ほら、バサイ、笑って笑ってー」

「──ギヒッ」

「……あははっ、変な顔ー!」

「変な顔ってオイ……」

「まあまあ、怖がられるよりマシでしょ?」


 白目とギザギザの歯と、片方だけ上がった口角と、眉間のシワがツボにどストライクだった。


***


 それから、赤い屋根の可愛い家に移動した。私とまゆは奥の部屋で座って待つように指示された。しばらくして、隣の部屋からバサイは戻ってきた。


「事情は把握した。オレがしてやれンのは、ここから人間の国へ渡してやることだけだ」

「人間の国……」


 つまり、人間がたくさんいるところだ。そこでは角と尻尾を隠さなくてはならない。魔族と人間という本に書いてあった。


「だが、角と尻尾をしまえるようにならねエ限り、向こう側には渡せねエ。オレもあっちがどうなってるか知らねエんだ」

「ねえ、バッサイ」

「バッサイじゃねえ、バサイだ」

「バッサイもあっちに行ったことないわけ?」

「あるわけねエだろ、人間の国なんて。死んでも行きたかねエよ」


 バサイはひらひらと手を振った。バッサイと呼ぶ方が面白いので、バッサイと呼ぶことにした。


「バッサイは、どうやって角と尻尾をしまえるようになったわけ?」

「あア? 角は二本とも折れた。尻尾はちぎった」

「尻尾と喧嘩でもしたの?」

「いや。仲はそれなりにいいつもりだったンだが、人間の兵士に掴まれてなア、ヤバそうだったからちぎった」

「ふーん。あんたも辛かったわね。泣いてもいいわよ」


 そう言うと、バサイは少し、面食らった顔をして、


「──ガハハッ! まさか、こんなロリに慰められる日が来るとはなア!」


 なんて、一人で楽しそうに笑った。


「ろり? お姉ちゃん、ろりって何?」

「さあ……?」


 私とまゆは、顔を見合わせた。すると、急に笑い声が止まった。


「おめエら、歳いくつだ?」

「あたしはこの間、九歳になったわ。あともう一つで十歳よっ」

「次で十一だよー」

「そうか。……小せエなア」

「ちっちゃくないわよ!」

「まなは十分、小さいよ」

「ちっちゃくない!」


 バサイは目を細めて、私たちを見つめていたが、やがて、私のところにやってきて、角を掴んで体ごと持ち上げる。


「ひゃあっ! 高ーい!」

「よし、生えてるな」

「……何の確認?」

「いンや。掴みたかっただけだ」


 そうして、すぐに私は降ろされた。それから、バサイは私の尻尾を掴むと、


「いッてエッ!?」


 尻尾にぷすっと刺されていた。


「こら、尻尾! 人を刺しちゃダメでしょ?」


 尻尾はバサイを威嚇しているようだった。バサイは刺された手を痛そうにさする。


「凶暴な尻尾だな……。さて、どうしたもンか」


 バサイの説明によると、どうやら、尻尾をしまうと自動的に角も引っ込む仕組みになっているらしい。


「──体が痛てエとか、重い感じがするとか、目眩がするとか、そういうのはねエか?」

「ええ、ない、と思うけど……」

「まだ若エからなア。──まア、ここで匿ってやれンのは、せいぜい、一週間ってとこだ。それを過ぎたら、容赦なく追い出す」

「一週間かー。この子、だいぶ強情だからねー。そんなにすぐには、しまえないかも」


 まゆは私の尻尾を撫でる。まゆだけは刺したことがない。尻尾もまゆのことが好きらしい。


「お姉ちゃんからお願いしてくれたら、引っ込んでくれるかもしれないわね」

「そう? 尻尾ちゃん、少し、引っ込んでみて?」


 すると、尻尾は体をくるっと丸めて、疑問符の形になった。どうやら、引っ込み方が分からないらしい。


「引っ込んでくれないと、すごく困るの。だから、お願い?」


 私が頼むとそっぽを向かれた。嫌われている。


「まあ、一週間あるから。頑張ってー」

「うえぇぇ……? 手伝ってくれないの?」

「まななら大丈夫。諦めなければ、絶対、なんとかなるから。ね?」


 そう言って、まゆは私の頭に手を置いた。


 ──諦めずに頑張ろう。私はもっと、外の世界を見ていたいのだから。


「うん、頑張る!」

「よしよし、いい子」


 それから、息を止めたり、全身に力を入れたり、押したりしてみたが、簡単にはいきそうになかった。


 そうして私は、いつの間にか眠ってしまった。ここまで歩いてきたから、きっと、疲れていたのだろう。


「た、すけ……」


 そんな声が、遠くの方で聞こえたような気がした。

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