第5-29話 今日の話がしたい

 ──そうして、マナの部屋を出てすぐ、私は一階に向かった。


「なんばっちつーぷる?」

「ル爺。ちょっと、話があるんだけど」

「……ちばっちば」


 私たちはハイガルの部屋を借りて、椅子に座って向かい合う。ル爺は背が低く、机越しだとお互いの顔が見えなかったので、椅子を少し、移動させた。


「あたし、この寮を出ようと思うの」

「みっと、急な話だむゆ」

「今年の残りの家賃と解約金はちゃんと払うわ。明日には出ていくから、そのつもりでよろしく。急で悪いけれど」

「……ハイガルのことは、まなさんは悪くない」

「──そう言ってもらえて、少しだけ、気が楽になったわ。ありがとう」


 しかし、誰がなんと言おうと、私のせいだ。全部、私の選択で、私の責任だ。あかりの服のことも、私がつまらない意地を張らずに、服を買っておけばよかった。ハイガルのことも、もっと早い段階で、父に相談しておけばよかった。母と最期までもっと、ずっと、一緒にいてあげればよかった。まゆのことだって、ああなってしまったのは、全部、私が悪い。私のせいだ。生まれたときからずっと、私は周りを不幸にし続けている。


 楽になろうなんて、そんなの、許されるはずがない。自分を責め続けることしか、私にはできないのだから。


「それじゃあ、荷造りとか、色々あるから。退学届も書かないといけないし。夜明け前には出ていくから。あとで、残ってるものがないか確認してくれる?」

「まなさん──」

「あたし、魔法が使えないから、人より時間がかかるの。悪いけど、話してる暇はないわ」


 そうして、部屋のものをすべて片付けた。少し前までは食材を買い溜めしていたけれど、最近は、その日の分だけ買うようにしていたから、無駄にならなくて良かった。


 物は少なかった。教科書はもったいないけれど、重いので、途中で捨てるしかないだろう。ここに持ち込んだ本は、リュックにつめる。


 それから、箱だ。マナからもらった指輪や、海岸の砂を詰めた小ビン、王都からの帰り道、ぽつんとやっていたカタヌキを三人でやって、私とマナがもらった、流通量の少ない貴重な硬貨。この箱には、様々な思い出がつまっている。


「……こんなにたくさん、入ってたかしら」


 まゆとの思い出が少なく感じるのは、それだけ、中身が増えたからだろう。私は箱に入っている指輪をそっとなぞる。それから、箱を閉め、鍵をかけてリュックにしまった。


「肩掛け鞄と薬がない分、少し、荷物が少ないわね」

「学校の鞄は置いていくの? 本棚の本、それに詰めて持ってきたでしょ?」

「そうね……。でも、大きい鞄二つは、持ち運ぶにしては多いわね。本は重いし──。とりあえず、本も他のものも、全部学校の鞄に詰めておいて、売るしかないわね。お金も足りないだろうし。まあ、なんの足しにもならないでしょうけど。売れないものは、引き取ってもらわないといけないから、むしろ、マイナスね。……適当にその辺に捨てた方がいいかもしれないわ」

「かいやくきんって、どのくらいかかるの?」

「ちょうど、貯金してる分全部ね」

「そのために貯めてたの?」

「さあね。どうかしら」

「急に、体力をつけるためにって散歩を始めたり。お金がかかる薬と鞄を、ずっと買おうとしなかったり。学校がもうすぐ始まるのに、教科書だって、一回も開こうとしなかったし──」

「お姉ちゃんって、本当に、変なところばかり気がつくわよね」

「いつから、出て行こうと思ってたの?」

「さあ? ……だから、生活費の仕送りも、頼みたくなかったのよね。まあ、その分、貯金ができたと思うことにしましょう」

「夜って、お金、下ろせるの?」


 私は、洋服棚のタンスから、封筒を取り出す。こんなこともあろうかと、銀行から下ろしておいたのだ。扉の意味はないに等しいが、そもそも、宿舎自体が、誰からも見えないのだ。その上、住民たちは、全員、顔が割れている。お金に困っている人はいないし、大丈夫だろうという確信があった。マナとあかりの監視を掻い潜るのが少し、大変だったが、夜、寝たふりをしておけば、監視の目が緩くなるのを、私は知っていた。


 そして、最後に、マナに託された白い装丁の本を入れる。


 一階に向かうと、ル爺はちゃんと待っていてくれた。


「これ、部屋の鍵。書類は用意してくれた?」


 ル爺は定位置の椅子から、ロビーの机を指差した。そこには、一枚の紙が置かれていた。


「はい、解約金と、九月から三月の分の家賃。数えておいて。それから、部屋の確認もよろしく。その間に書いておくから」


 お金は、魔法による隠蔽ができないよう、魔法防止の加工がされている。そのため、私と同じで、魔法が効かない。機械でもない限り、手で数えるしかない。


「足りてた?」

「……いえそ。きっかり、入っちば」

「そ。はい、書けたわよ」


 印鑑を押して、私は入り口横にいるル爺に紙を差し出し、その頭に手を乗せる。


「ぴぽるん」

「あかりを呼ぼうとしてるでしょ。早く、受け取って」


 魔法を封じると、ル爺は、渋々、受け取ってくれた。前に、母が倒れたとき、あまりにもタイミング良く現れたので、もしかしてと思ったのだ。あかりは魔王と手を組んでいるから、宿舎に入る前から側近であるル爺のことは、知っていただろう。


「部屋、何か残ってた?」


 ル爺は大きな頭を横に振った。


「……ゆっぽり、こっつお金さ、返すんば」

「いいえ。せめてもの、罪滅ぼしだと思って受け取っておいて。──今まで、お世話になりました。それじゃあ」


 入るときは、もう少し手続きが面倒だったような気がしたのだが、出るときは意外とあっさり出られた。

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