第5-27話 昨日の話がしたい

「あたしって、本当に何も買わないのね」

「まなは必要な物以外、買わないからねー」

「必要なものだけあればいいでしょ」

「えー。それじゃあ楽しくないよー」

「そう? あたしはそうは思わないけど」

「わたしが楽しくないのー!」

「はいはい、それは一大事ね」

「でしょー? ねー、リュックくんもそう思うよねー?」

「このリュックサック、わりと大きいし、使い勝手がいいわよね。お姉ちゃんも入るし」

「まさに、わたしを入れるためにあるかのようなリュックくんだよね!」

「それは知らないけど」

「えー? もともとそのために買ったんでしょー?」

「そうだっけ?」

「そーだよー!」


「よし、後は──」

「あ、冷蔵庫にトンビアイスってあったっけ?」

「いいえ、ないわ」

「えー! しょぼん……」

「後で買ってあげるわよ」

「わーい!」

「炊飯器、冷蔵庫、棚、洗濯機、電子レンジ──こうしてみると、本当に何でもあるわね」

「ねー。でも、この宿舎って、普通の人には見えないんだよね?」

「ええ。魔王か国王に近しい人にしか見えないって話だったわね。 まあ、あたしに魔法は効かないから、関係ないけど」

「ふーん」

「お姉ちゃん、準備できてる? 大丈夫?」

「うん! トンビアイスがあれば!」

「はいはい、買いに行きましょう」


 私は膨らんだリュックを背負って、靴の踵を鳴らす。外は、まだ日が昇る手前で、しんとしていた。


「じゃあ、行くわよ」

「はーい!」


 髪の毛一本、塵一つ残さず。私物をリュックにすべて詰め込み。最後に、机の上の紙を一瞥して、私は宿舎の鍵を閉めた。


***


 ──遡ること一日前。つまり、昨日の話だ。


 私たちは、ル爺に召集をかけられ、ロビーの椅子に集まっていた。普段、ここでは空調を使わないが、今は入れてもいいことになっている。掃除されているかどうかは微妙なところだ。


「ル爺が急に呼び出すなんて、珍しいこともあるんだね」

「ギルデは、ル爺のことよく知ってるの?」

「ああ、僕が一番長くこの宿舎にいるからね。保育園からだから──十七年くらいかな」

「十七年!? え、僕、もしかして産まれてない?」

「そうですね。あかりさんはまだ、地上に産み落とされていませんね」

「産み落とされる!?」


 マナの独特の表現に、あかりがつっこむ。私はそれをいつものことだと聞き流した。ギルデは、マナが話すときだけ表情が融解し、あかりが話すときにはガンを飛ばしていた。ここまで明確に人に対する態度を変える人を、私は初めて見た。


「でも、人を集めておいて待たせるなんて、いかにも、ル爺らしいじゃないか?」

「何か準備に手間取ってるのかもね」

「いやあ……それは、どうかなあ」

「また三日ほど徹夜して、眠っているのかもしれませんね」

「ル爺のことだから、理由を考えても仕方がない。あの人の行動は予測不能だからね」

「ル爺に対する信用のなさがすごいわね……」


 そうして、適当に話していると、宿舎の扉が外から開かれて、涼しい空気が抜けていったのを感じた。そこには、ル爺が立っていた。


「全員、そろってるな」


 普通の話し方をするル爺はかなり珍しい。真剣な話なのだろうと思い、私は姿勢を正す。


「普通に話してる!?」

「あかりさん、今は、そういうときではありません」

「あー……。ごめん、僕、黙ってるね」


 あかりが静かになると、小さなル爺の放つ雰囲気が、やけに、重苦しく感じられた。


「それで、話というのは? 見たところ、ハイガルはいないみたいだね?」

「そうだ。ハイガルに関してだ」

「何かあったの?」


 私はル爺が、ハイガルを追いかけていたのを知っている。だから、今、この場にいるということは、捕まって──、


「心して聞け。──ハイガルが、殺された」


 思考が停止する。そして、聴覚へと届いた言葉が、時間差で脳にその情報を伝える。


 ハイガルが、殺された、殺された、殺された──。


「もう一度言う。ハイガルは、殺された。海外への逃亡を謀り、海上を通過中、逃走に使ったルナンティアとともに海に墜落した。乗っていたルナンティアが何者かに撃ち落とされ、目も見えず、魔法も使えないハイガルは対応できなかった。遺体も発見された」

「なんだそれは……。なんの冗談だい?」

「わそは、つまらん冗談は言わん」

「それならせめて、死体に会わせてくれないか」

「会うことは可能だが、酷い状態だ。やめておけ。一生、記憶に残るぞ」

「──会わせてくれ」


 食い下がろうとしないギルデに、ル爺は長いため息をついた。そして、私たちの方へと視線を向ける。


「お前さんらはどうする」


 誰も、何も言おうとしなかった。私はどちらにするか、決められなかった。二人が何を考えていたのかは、よく分からなかった。


「ハイガルと関わりがあったとはいえ、短い付き合いだ。さっぱり忘れて生きた方がいいと思うがな」


 それを、ル爺に言わせてしまったことが、悔しかった。ル爺だって、ハイガルのことを覚えていてほしいと思っているはずだ。私が誰かにまゆのことを知ってほしいと思うのと同じように。


「……ごめんなさい」

「その選択に、後悔はないか?」

「きっと、後悔しか残らないでしょうね。……それでも、あたしには、会う資格がないわ」

「──そうか。そっちの二人はどうする?」

「僕もやめとく。まだ、そんなに仲良くなかったし」

「私もご遠慮させていただきます」

「そうか。ギルデ、ついてこい」


 そうして、ギルデだけが、ル爺とともに、ハイガルの元へと向かった。


「大丈夫ですか?」

「……それは、あたしに聞いてるの? だとしたら、聞く相手を間違えてるわよ」


 死んだのはハイガルで、失ったのはル爺とギルデだ。私は違う。私は、約束を優先して、タマゴを盗んだのがハイガルであることを、言わなかったのだ。だから、ハイガルは視力のないまま、ルークを信じて、逃げ続けなければならなかった。


 そして、ルークが撃たれて死んだ。きっと、何が起こったのか分からないまま、大海に放り出され、体もろくに動かせないまま、波に飲まれて、苦しみながら死んでいったのだろう。



「ん……っ、はあっ……!」


 私は風呂に入りながら、頭まで湯に浸かって、息を止めてみた。一分と持たなかった。涙が溢れてきたから、また頭まで湯に浸かって、私は大声で泣いた。どれだけ泣いても、心のもやもやは少しも晴れそうになかった。泣いても泣いても、泣き足りなかった。

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