第5-26話 約束を大切にしたい

 私はさたたんをマナに任せ、隣の扉をノックする。扉は静かに開いて、中から老女が姿を表した。


「まなさん、こんな夜更けにどうされましたか?」

「ボーリャさん、絶対に、お父さんには内緒にしてくれる?」

「はい、なんでしょう?」


 そうして、事情を説明し、私は祖母であるボーリャに、世話を任せることにした。ただ、さたたんを育てるときには、最初の一週間が大事らしく、その半分の三日間がタイムリミットだと言われた。


「この子は、まなさんの顔を最初に見たんですねえ」

「なんで分かるの?」

「さたたんは、最初に見た人を真似ようとするんですよ。ほら、眉間のシワがそっくり。うふふ」


 さたたんの眉間には、くっきりとシワが浮かんでいた。私はそれを、指で伸ばす。


「──あんまり長くいると、情が移りそうだから、後は頼んだわよ」

「はい。お任せを」


 それから三日経っても、ハイガルは帰ってこなかった。約束なので、私はボーリャと一緒に魔王の元へと赴き、さたたんを魔王に引き渡した。


「どこで拾った?」

「言わないわ。そういう約束だから」

「──ボーリャ。事の深刻さが分かっているのか?」

「分かっていますとも。ですが、お教えするわけにはいきません。それに、かっちゃんには犯人が分かっていらっしゃるのでしょう?」

「……単なる憶測だ。証拠はない。こうして、さたたんと、殻まで丁寧に持ってこられては、少しの痕跡も残っていないだろうな」


 以前、魔王が苛立っていたのは、これが原因だったのだろう。いわく、さたたんのタマゴは、奪われたものだったらしい。しかし、ハイガルはなぜ盗んだのか──。


「その子を育ててどうするの?」

「八年後。戦争が起こる。そのときに、戦力として投入する予定だ」

「でも、三年も経てば、あんた、あかりに勝てるでしょ? 戦力を追加する必要なんて──」

「子どもが口出しをするな。これは、戦争の話だ。貴様には何も分かるまい」


 そう言い切られてしまい、私は口をつぐむ。あのさたたんを戦力として使うというのが、どうにも、嫌だった。道具としてしか見ていないというか、私と同じような目に遭うような気がするというか、とにかく不安だった。きっと、ハイガルも、同じ気持ちだったのだろう。


 だが、今まで、何かしてきたわけでもない私に、何かを変えることはできない。


「一つ、悪い知らせを持っていくがよい」

「何? 教えてくれないからって、嫌がらせ?」

「そうではない。──ハイガル・ウーベルデンを知っているな?」

「……ええ。同じ宿舎よ」

「やつには、ある容疑がかかっていてな。三日間、監禁していた」


 さたたん一人のために、そこまでするのかと思わずにはいられなかったが、何も言わずに先を促す。あくまで、冷静に。


「そして、つい先刻、逃走した」

「は? 護衛つけておかなかったの?」

「やつは目が見えぬ。だから、魔力を封じる腕輪をつけていた。だが、見えぬまま、音と感覚だけを頼りに、ルナンティアを呼び寄せて飛んで行った。どうやら、海外への逃走を目論んでいるらしい」

「──誰か、追っ手がついてるってこと?」

「ルジ・ウーベルデンが追っているところだ。目も見えておらぬのだから、すぐに捕まるかと思ったが、意外としぶといやつだな」

「……やめなさいよ。逃走した以外に、なにも悪いことしてないでしょ」

「しているが、証拠が消されたの間違いではないか? くっくっく……まあ、いずれにせよ、さたたんはこうして、余の元へと戻ってきた。それゆえに。──寛大な心で許してやってもよいぞ? お前次第だがな」


 その言い方には、明らかに含みがあった。つまり、ハイガルが犯人だと告発すれば、ハイガルを許すと言っているのだ。ただ、それを信用してもいいかどうかは分からない。しかし、このままでは、ハイガルは逃げ続けなくてはならない。追われ続けるというのが、いかに辛いか。逃げてばかりの私は、よく知っている。


 今はどういうわけか、魔王が私を見逃してくれているが、本来なら、私は願いの魔法を使って魔族の勝利を願うことを強要され、拷問を受けているはずなのだ。こんなところで優雅に暮らしている暇など、あるはずがない。私にとって、今の生活は、十分すぎるくらいに恵まれたものなのだ。


 だから、魔王である彼からの要求には、答えなくてはならない。そうなれば、ハイガルが追われ続けているのを、見逃すわけにはいかない。



 ──だが、それ以上に、彼との約束が、私に真実を紡ぐことを許さなかった。



「許すって言うなら、犯人が誰であろうと関係ないでしょ」

「それならば、追わねばなるまいなあ。やつには、最上位悪魔である、さたたんを誘拐した容疑がかかっているからなあ。くっくっくっ……」

「何がそんなに気に入らないの? その誰かは、さたたんを道具として利用させたくないから連れていったんでしょ。それの何が悪いわけ?」


 そう言うと、魔王は面白くなさそうに、鼻で笑った。


「これは、ルジへの罰でもある。前回の戦争に投下する予定だったキュランを、これまでずっと、隠し続け、戦力を削った。そして、我ら魔族は敗戦し、最後の砦まで追い詰められることになった。その責任は貴様が考えるよりもはるかに、重い」


 確か、キュランであるハイガルは、五十年ほどタマゴから孵らなかったと言っていた。──ル爺が何かした可能性は、十分にある。


「貴様が言わぬことが、誰かの命を奪うことになるかもしれぬのだぞ。……本当に、いいのか」

「──ええ。あたしにとっては、約束の方が大切だから」


 マナにはバレてしまったので、後でハイガルに謝らなければならない。まゆのことは、数に入れなくていいだろう。


「ボーリャ」

「かっちゃんも、昔から、たくさん隠し事をなさっているではありませんか。挙げ句の果てに、私も含めた魔族全員の反対を押しきって、人間であるマリーゼさんと秘密裏に結婚まで──」

「もうよい。……下がれ」

「──あたし、その話、詳しく聞きたいわ」

「おほほ。後でお話させていただきます」

「ボーリャ。……やめてくれ」




 私は、何も言わなかった。




 ──翌日。朝の散歩にでも行こうかと思っていると、帰ってきたあかりとすれ違った。どこか、様子がおかしい気がした。汗だくで、なんとなく、元気がないような。


「今、朝の六時だけど、どこ行ってたの?」

「……まあ、ちょっとね」


 歯切れの悪いあかりに、私は深く問い詰めないようにする。彼は言いたくないことばかりだ。


「最近、忙しそうね。宿題は終わったの?」

「うん、一応やってる。夏休みの宿題は、明後日には終わりそう」


 補習までは、やはり手が回らなかったらしい。しかし、本当に、彼なりによく頑張っていると思う。


「まなちゃんは、一人で散歩?」

「ええ。もうすぐ学校が始まるから、体力を取り戻しておかないと」

「……そっか。じゃ、僕は寝よっかなあ」


 私は思わず、あかりの手を掴んでいた。振り払われるかと思ったが、何の反応もないことに、安堵する。


「どうしたの、まなちゃん。今日はやけに積極的だねえ?」

「あんた、あの服、捜しに行ってたんじゃないの?」

「……よく分かったね」


 私はあかりから手を離して、尋ねる。


「見つかりそうなの?」

「ぜんっぜん? 手がかりすらないからねえ」

「そう……」

「あ、まなちゃんは気にしないで。なんて言うか、単に捜してるだけだから。見つかっても見つかんなくてもいいっていうか──」

「……あたしのせいね。あたしが、服の一着くらい、買いに行っていれば良かったのよ」


 そう。最初から、借りなければ良かったのだ。私が行かないかもしれないからと、あかりは貸してくれたのだ。とても、大切なものだったのに。私のせいだ。


「──まなちゃん、何かあった?」

「いいえ。何もないわ、いつも通りね。それじゃあ、もう行くから」

「あ、うん……」


 あかりを置き去りにして、私は宿舎を出、静かな朝の空気の中を一人で歩いた。

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