第5-23話 暇潰しをしたい

 ──目が覚めると、朝の八時だった。私は、隣でぐっすり眠るまゆに目を細め、硬い床で寝て、痛む体をさする。タマゴがちゃんと、入っているのを確認して、私はリュックからトンビニで買ってきたサンドイッチを取り出す。


 前から狙っていた、ホイサバだ。人気がないらしく、仕入れる数が少ないため、貴重な品なのだ。いつ、販売停止になってもおかしくないくらいには、人気がないらしい。


「いただきます」


 封を開けると、サバの水煮の香りが漂ってきた。それを追うようにして、後から甘いクリームの香りが漂ってくる。


 一口食べる。サバの塩味とクリームの甘味が絶妙なバランスで組み合わさっている。サバに食べ応えがあり、食感も飽きない。その上、途中、クリームで味が変わる。これは、


「美味しい……!」


 人気がなさそうな味であることは、なんとなく分かるが、私にとっては、美味しい。トンビアイスを超える美味しさだ。そうして、二つあったサンドイッチの一つを残し、ラップにかけて、冷蔵庫に入れる。


「……何時に帰ってくるか、聞き忘れたわね」


 魔法陣の解体はしているが、それだけで一日過ごすのも、なんとなく味気ない。もちろん、まゆの治療法は探さなければならないのだが、八年かけて調べた結果、願いに頼るしかないと結論は出ている。だから、どう願うかを考えていた。そもそも、まゆの今の状態がよく分からないことには、治しようがない。


 姿が見えるようにと願えば、姿は見えるが、何も感じないままかもしれない。


 みんなに覚えてもらえるようにと願えば、覚えてはいられても、認識はできないかもしれない。


 食事ができるようにと願えば、怪奇現象みたいになるかもしれない。


 今のところ、私に何かがあって、死ぬ間際に願おうと思っているのは、「まゆが幸せになりますように」だ。とはいえ、まゆという省略した名前でも願いは通じるのか、甚だ疑問だが、咄嗟のときにまゆの名前を思い出せない可能性は高い。今でさえ、考えればまゆという単語を思い出すことはできても、名前を呼ぶとなると、スムーズにはいかないことが多いのだし。


「そもそもの願いは、『死にたい』だったわよね」


 口にしてみて、その言葉の重みに、改めて、押し潰されそうになる。口にするのは簡単だが、本気でそう思って願うことなど、決してあってはならないことだ。


「海で、マナも舌を噛みきろうとしてたっけ……」


 あかりの手に阻まれたわけだが、できればもう二度と、あの方法は使いたくない。あかりはおどけた様子だったが、手を差し込むあの瞬間だけは、真剣な様子だった。何が彼女をそうさせたのかは分からないが、マナでも耐えられなかったような苦痛だ。他の人に使えば、本当に命を危険にさらしかねない。それこそ、その苦痛だけで精神が砕かれる可能性もある。


「はあ、軽率だったわ……」


 後から思い出しては、後悔して、落ち込む。いつものことだ。悪い癖だとは思っているのだが、私も別に、記憶の中から後悔を探しているわけではない。ただ、唐突にやってくるのだ。あのとき、マナにかけた言葉は、果たして、正しかったのだろうかとか、他に治療法があったのではないかとか、すぐに海から上がれば良かったとか。後悔なんて、後からどれだけでも湧いてくる。


「……悩んでるだけ、時間の無駄ね。切り替えましょう。──そろそろ、新しい薬も仕入れたいところだけど」


 手に入れたい薬のリストを見て、金額の高さにため息をつく。そしてまた、魔法陣を解体し、まゆのことも考える。とはいえ、同時にできるほど器用ではないので、まゆのことを考える割合が多い。気になり始めると、それがずっと続くので、魔法陣の解体は途中でやめた。


 そして、私は部屋に持ち込んだ一冊の本を開く。背表紙には、願いの代償と書かれている。


「願いは基本的に、自動で魔法に変換されます。しかし、例外もあります。ここに、歴史上、実際に起こった魔法以外の願いを集めてあります。大きな願いには代償が伴うため、そちらも、分かる範囲で記載してあります。願いの詳細は後ろのページに記載してあります」


 本を音読してしまうのは、昔からの癖だ。静寂が嫌で、紛らわせようと声を出していた記憶がある。


「結構、面白いのよね、これ。──愛されたい。代償、誰も愛せなくなる」


 ──いい人になりたい。代償、人に恵まれなくなる。


 ──生まれ変わりたい。代償、平穏な生。


「──永遠に生きたい。代償、なし。……へえ」


 それからも読み進めていく。


「──大きくなりたい。代償、なし。使用者、マイケル・ブラウン。怪獣のように巨大化。建造物を破壊、死者数名。人々に氷漬けにされた後、細かく切断、焼却された。……身長もほどほどでいいわね」


 そうして読んでいて、気になる記述には線を引いてある。例えば、「透明人間になりたい」。代償は、他の人間が見えなくなる。


「自身に関する記憶を消したい。代償、記憶を失う。──お姉ちゃんとは、ちょっと違うわよね」


 まゆは記憶を失ってはいない。忘れられつつあるのは、確かだが。


「体重を無くしたい。代償、なし。飲食なしで生きていける体にしてほしい。代償、体温」


 死にたいなんて望みは、どこにもない。だからきっと、別の望みが叶えられたのではないだろうか。だって、


「お姉ちゃんは死んでないしね。次は、死者蘇生。代償は──」

「本当にそう思ってるの?」


 私は、その声に驚いて振り向く。──まただ。また、まゆに似た少女が、そこには立っていた。

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