第5-21話 診察を受けたい

 その後、マナの目が覚めるのを待ってから、三人そろって近くの診療所に行った。マナとあかりは、これくらい大丈夫、だのと、わけの分からないことを言っていたが、無理やり引きずって連れていった。マナは全身刺されているし、あかりは手を噛まれている。私が一番、軽傷なくらいだ。


「クラゲベスの繁殖期のこの時期に、海に飛び込んだ!? ──アハハハハ! そりゃもう、笑うしかないですね! 生きて帰ってこれて、良かったじゃないですか!」

「先生、笑い事じゃないです」


 と私。


「本当に死ぬかと思いました」


 とマナ。


「せんせー、見て見て、これ、めっちゃ色変わってるけど、大丈夫? 死んだりしない?」


 とあかり。


「ん、どれどれ? ……はっ、これは」

「え、何その反応、ヤバイやつじゃん、絶対ヤバイやつじゃん!」

「うーん、実にきれいな歯形ですね!」

「なんだそれーっ!」


 あかりのツッコミが決まった。


「ありがとうございます」

「ああ、王女様の歯形でしたか。どうりで」


 なんやかんやで診察を終え、部屋から出ると、そこには、保護者代理のモノカが立っていた。


「どうでしたか?」

「いや、僕はなんか消毒して、なんか治療してもらって、なんか終わった」

「あたしは、元気そうだし、帰っていいって言われました」

「私も同じようなものでした」

「そうですか。……三人とも、無事で良かったです」


 ちらと見ると、マナに取り込ませるためにつけた、私の指先の傷は治っていた。たいした怪我でもなかったが、それがすぐに治るのは、どう考えても異常だ。


 ──ちなみに、診察室に呼ばれるまでの間、私たちはモノカに、くどくどと叱られていた。エトスと女王が多忙により動けないため、モノカが来たのだろう。それでも、決して暇ではないだろうに、申し訳ない。


 あの海で泳ぐなんて、私も血迷った。羽目を外すというのは、こういうことを言うのだろう。


「マナに護衛がついてるかと思ってたんですけど、誰も来ませんでしたね?」

「……支払いは臣下にさせておきます。場所を変えますね」


 そして、私たちは旅館へと移動した。旅館の方々には出払ってもらった。


「見ての通り、エトスは心配性なので、当然、マナには護衛をつけていました。この間、三人に減らされたのを、今日から三日だけと言って、およそ、百人全員を呼び戻して、警備させていたとか。ルナとセレーネにも協力させて。あ、私もですよ?」

「続けてください」

「はい。──護衛は、一人残らず、昏倒させられていました」

「えっ! あの二人を!?」


 あかりの驚嘆に、モノカは黙ってうなずく。ルナとセレーネといえば、あかりでも苦戦する二人組だ。つまり、敵は現役の勇者である、あかりより強いということだろうか──、


「不意討ちですね」

「その通りです。そのため、全員、顔は見ていないとか」


 不意討ちだとしても、


「だとしても、気づかれないなんて、できるんですか? 寄せ集めの護衛とは言え、訓練も受けてますよね?」

「その通りです。よっぽど、隠密行動に慣れているのでしょうね」


 となると、このまま、旅館に泊まり続けるのは危険だ。護衛が全員やられたということは、今度は私たちがやられる番。


「仕方ないですね。帰るしか……」

「えー、もっと遊びたいーっ。まなー、なんとかしてー」


 まゆが駄々をこねた。朝の機嫌が直ったばかりで、もう帰るとなると──自業自得ではあるが──可哀想にもなる。


「──あっ! ねえ、荷物って誰か見てる!?」


 あかりが思い出したように声を上げた。あそこに置いてあったものといえば、私のリュックと、飲みかけのトロピカルジュース、それから──、


「あかり、あの服どうしたの? あたしに貸してくれてたやつ」

「そう、ほんとそれ」


 部屋には、旅館の人が持ってきてくれたと思われる、私のリュックはあった。診療所には、水着のまま行った。もちろん、タオルにくるまってはいたけれど。そのため、着替えはロッカーに入れたままだ。


 ──しかし、私が着ていた服だけは、あかりに渡しておいたのだ。ロッカーに入れるなと言われたから。


「え、ちょっと待って、確か、畳んで膝の上に置いてて、それで、マナがまなちゃんを海に投げて、結構経ってから、まなちゃん、海に吸い込まれて、それで、助けを呼んでくるよう言われて…………パラソルの下のイスに置いてきちゃった……」


 あかりの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「どうしよう!? ねえどうしよう! え、ヤバいヤバい、ほんとにヤバい、どうしよう!? ねえどうしよう!?」

「ちょっと、落ち着──」

「落ち着けって!? いや、無理! ほんとにどうしよう、どうしようどうしようどうしよう……。あーどうしよう! わーどうしよう!!」


 よっぽど、大事なものだったのか、あかりは立ち上がって部屋をぐるぐると回り始めた。それなのに、私に貸してくれると言ったのか。


「パラソルの下にあるんじゃないの?」

「さっき見てきたけどなかった! さっきって、今ね!」


 私が気づかないうちに、一瞬で見て帰ってきたらしい。砂浜には誰も近づかないだろうし、盗まれたとは考えにくいが──、


「旅館の人が保管してるのかも」

「聞いてくる! ……いや、そもそも、見てないってさ。……はあ……ああぁ……」


 聞いてきたらしい。やることが早い。時でも操っているのだろう。


「あたしが言うのもなんだけど、なんでそんなに大事なものを貸してくれたわけ?」

「だって、まなちゃん、困ってるみたいだったし、まなちゃんなら大事にしてくれるかなって。……ほんと、僕、やっちゃった……」


 あかりがこんなに落ち込んでいるところも、久しぶりに見た。マナがお見合いをすると言ったとき以来だろうか。


 テストで赤点を取っても、体育でミスしても、マナに本気で怒られても、へらへらしているあかりが、珍しく、本気で落ち込んでいた。取り繕う余裕もないらしい。


「お姉様、わざわざ足をお運びいただき、ありがとうございました。今後は十分、警戒いたしますから、帰っていただいて大丈夫ですよ」

「そう言わずに、私も混ぜてくださいません? 三人とも楽しそうで、羨ましくて」

「いえ、お断りいたします」

「そんなに遠慮なさらなくても──」

「お断りいたします。早く公務にお戻りください」

「……釣れないですね」


 マナはモノカを帰らせようとしていた。ふと、まゆを探すと、離れたところから私たちを観察していた。


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「……別に」


 まゆは露骨に私から目をそらした。


「あれ、何か悪いことでもしたの?」

「なーんにも。いい子にしてたもん」

「本当にー?」

「ほんとだもん。わたし、いい子だもん」

「……何か、隠してる?」

「隠してなーいっ。わたし、何にも持てないでしょっ!」

「それもそうね」


 気のせいかと、私はまゆから離れて、あかりたちの方へと戻る。


「あかり、探しに行きましょう。風で飛ばされたのかもしれないし」

「……いや、やっぱいいや」

「は? なんで? あたしに迷惑かけるとか思ってるなら、別に気にしなくていいわよ」

「んー、そういうわけじゃないんだけどさ」


 先ほどまでのどうしよう、がなくなり、今度は静かになった。また、いつもの笑みを浮かべるあかりが、なんだか、心を閉ざしてしまったような気がした。


「それでは、私はこれで。くれぐれも、体調には気をつけてくださいね。それから、羽目を外しすぎないように」


 そう言い残し、モノカは大量の荷物を抱えて去った。本当に泊まる気だったのだろうか。


「あかりさん、本当に探さなくていいんですか?」

「んー……どうしようねえ」


 マナの問いかけに、あかりの視線が、一瞬、私に向いたのが分かった。私がいると、都合が悪いらしい。


 まあいいけれど。私にも、二人に言ってないことがあるのだから。


「あたし、ちょっと、探してくるわ。お姉ちゃん、行きましょう──」


 そうして、まゆを連れて部屋を去ろうとすると、あかりに腕を掴んで引き留められた。そちらは、傷のある右手の方だ。


「うっ……」

「あ、ごめん」

「いいえ。自業自得だから。それで、なんだった?」

「えーっと……探さなくて、いいよ」

「それは、探してほしいのかほしくないのかどっち?」

「だから、探さなくていいって」

「とても、言葉通りとは思えないんだけど。本当はどっちなのよ」

「……分かんない、から、捜さなくていい」


 普通のワンピースだ。見たところ、特別な要素など、何もなかった。私にぴったりのサイズだったけれど、ただそれだけだ。


 となれば、何かそれなりに、思い出のあるものなのだろう。彼にとって、それが、すごく大事なものであるということだけは、分かった。


「そう。それなら探しましょう」

「いや、ほんとにいいんだって──」

「捨てたり、壊したり、無くしたりするのはいつでもできるわ。でも、ずっと大事にするのは、すごく難しいのよ。見つかる可能性があるうちに、あたしは、捜すわ」


 私はまゆの手を掴み、二人を置き去りにして部屋を出る。


「えー、わたしも捜すのー?」

「お姉ちゃん、色んなところ飛んだり、走ったりできるでしょ。水中とかも見てきてよ」

「仕方ないなー」

「お願い」


 海は旅館からも見える。すぐそこだ。私は水着のまま、パラソルの付近を探す。すっかり日も沈み、海風が冷たかったので、上着の前を閉めた。


「まなさん、手伝います」

「あんた、本当にもう治ったの?」

「はい。元気ですよ」


 あれだけのことがあって、よくもまあ、少しも疲れを見せないものだ。


「あかりさんは、捜さないそうです」

「そう。まあ、あたしが勝手にやってるだけだから」

「──そうですね。私も勝手にします」

「わたしもー!」


 マナが来ると、海風の冷たさが和らいだ。今までも、こうして風や日光を防いでいてくれたのだ。忘れそうになってしまうけれど。


 それから、二時間ほど探したが、砂の中にも、海の底にも、近くの民家にも、あかりの服は、どこにもなかった。

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