第5-20話 救助したい

 髪を切っておいて良かったと、私は思った。髪が短いおかげで、以前より、幾分か泳ぎやすい。


 クラゲを水流で遠ざけながら、私は海底まで潜る。泳げないあかりには、旅館まで、助けを呼びに行かせた。


 まなの様子は、何かに引きずり込まれたようだったし、おそらく、自力では上がってこれない状態にあるのだろう。しかし、海底を探してみても、少女の姿はどこにもない。水中を漂っている様子もない。引きずり込まれてからすぐに飛び込んだので、そんなに、遠くへ流されてはいないはずだが。


 魔法で作った空気の球で呼吸をしながら、私は海底に足を下ろす。すると、ちくっと、踵を何かに刺されたような感覚があった。まさか、クラゲベスだろうかと思い、一瞬焦るが、白いふわふわとしたものは、どこにも見当たらない。


「──?」


 海底をよく見ると、黒い破片のようなものが落ちており、それが、わずかに揺れ動いていた。拾い上げようとすると、想像以上に深く埋まっているようで、なかなか動かなかった。


 しかし、何かの手がかりかもしれないと思い、私は力を込めて、思いきり引っ張った。


「──!?」


 すると、まなが釣れた。脈がないのを確認した後で、私は酸素の球が消えていることに気がつく。それは、クラゲベスを抑止する力がなくなったことも意味していた。ひとまず、私の酸素を、まなの肺へと送り込む。


 そして、海底に向かって泳いでくるクラゲベスから逃げるようにして、水面に上がれるところがないか探した。


 ──そんなところ、あるはずがない。海は一面、クラゲベスで覆い尽くされているのだから。


 私はまなを連れて、砂浜付近まで海底付近を泳ぎ、底を蹴って、クラゲベスの群れへと突っ込む。そして、まなの顔を水面から出し、波に乗せて、あかりの方へと押し流した。


「い……っ!」


 全身を刺された。空気をパンパンになるまで入れられているかのように、皮膚が内側からの圧力で裂けて、ちぎれそうな痛みがあった。


 痛みと麻痺で、手足に力が入らない。肺までもが麻痺しているようだ。それでも、あかりに人命救助の知識がない以上、私が動くしかない。


「マナ、大丈夫!?」


 それに答える力もなく、私はあかりの力を借りて、まなの元へと向かう。そして、痛みを無視して、心肺蘇生法を実施する。


「おぅ……」


 何かに驚いている様子のあかりを無視して続けていると、


「……けほっ! ごほっ、ごほっ! ……寒っ」


 奇跡的に、まなの意識が戻った。いつも死にかけているだけあって、さすが生命力が強い。私は旅館から持ってきてもらったタオルでまなを温める。


「あかりさん、まなさんを温めておいてください」

「……あたしはいいわ。それよりも、マナから毒を抜く方を優先するわよ」


 先ほど意識が戻ったばかりだというのに、さすが、状況判断が早い。正直、意識を保っているだけでも限界に近かった。


「ど、どうやって?」

「あたしの鞄、持ってきて」

「うんっ」


 まなは鞄からピンセットを取り出し、あかりに手伝わせて、触手を抜いていく。まなはどうせ効かないからと、素手で抜いているようだ。それから、海水を汲んできて、流したりしていた。


「うわ、すっごい腫れてるよ、これ大丈夫なの?」

「温めるか冷やすかしておいて」

「どっち!?」

「得意な方でいいわ」


 どちらとも言えないあかりに、私はとりあえず温めるように言う。ちらと見ると、足が二倍くらいに赤く腫れ上がっていた。手も腹も背中も首筋も顔も刺された。布地面積の少ない水着のまま、咄嗟に飛び込んでしまったのだ。


 突如、目眩がするほどの頭痛が襲ってきた。肺が痙攣しているかのように、息が吸えない。意識が飛びそうなところを、呼吸に集中して、なんとか保つ。アナフィラキシーショックというやつか。理性だけでどうにかできるとも思えないが、気力でどうにかしていた。


「あかり、マナに呼びかけ続けて!」

「マナ、マナ!」

「──少し耐えてねっ!」


 直後、まながナイフで指先を切り、その血液を私の傷口に塗ったのが見えた。


 ──血液が巡るとともに、血管が内側から、直火で炙られているような熱に襲われる。


「ああああっ!!」

「あかり、押さえて!」

「これ、大丈夫なの!?」

「少なくとも、毒は治ってる!」

「ほんとだ! 腫れが引いてる!」


 しかし、熱よりも、痛みよりも、もっと、耐え難い感覚があった。


 それは、例えるなら、歌うために産まれてきた生命が、声を奪われたかのような。チーターのような動物が、足を失ったかのような。


 人として産まれたのに、イナゴの足をつけられ、カエルの目を与えられ、ハシビロコウのくちばしを植えつけられ、胴体をゴキブリにされるような。


 存在そのものが上書きされるような、耐え難い感覚だった。魂そのものが、否定される。穢される。冒される。


「ああっ、ああああ!!」

「まなちゃん、その薬、効きすぎるみたい!」

「いわゆる、拒否反応ってやつね! そのうち収まると思うから!」

「どのくらいで!?」

「それは……知らない! けど、多分、ちょっと! だから、マナ、耐えて!」


 辛い、耐えられない、これならまだ、足が破裂した方がましだ。いっそ、死んだ方がましだ。


「──いったっ!!」

「ううー! うー!!」


 舌を噛み切ろうとすると、口の中に手が差し込まれた。指ごと噛みちぎる勢いで、力を込める。


「痛い、痛いって、アイちゃん! 甘噛みにしても強すぎるって! 指がもげる! 洒落になんないってば!」


 魔法が使えない上に、手足が砂とともに氷で固められていて、身動きが取れない。それでも、なんとかして、思わず、振り切ってしまいそうだった。ただ、耳はしっかりと、二人の声を捉えていた。


 ──ここで、死んではいけない。


 やっと、理性が効くようになって、私は暴れそうになる全身を抑えつける。止めどなく、涙が溢れてくる。


「はあ……は……ぁ……っ」


 肺がひゅーひゅーと音を立てる。少しずつ、落ち着いてくる。息をするのが辛い。空の眩しさが辛い。自分の心音が、お前は生きているのだと、知らせてくるのが辛い。


「マナ、もう少しで、落ち着くと思うから」


 最愛の声が聞こえた。その声に救いを求めて、顔を動かす。口に手が差し込まれたままで、上手く動かせない。


「大丈夫、大丈夫だから」


 そう言って、まなが頭を撫でてくれた。その存在にだけ意識を向ける。内から沸き上がってくる、自己否定の感情と、外から向けられる優しさに、押し潰されそうになる。それでも、心は少しだけ、優しさの方に傾いていた。


「ねえ、まなちゃん、手、そろそろいいかな。めちゃくちゃ痛いんだけど」

「ダメ。もう少し我慢しなさい」

「ほんと、マジで、痛い……。治しちゃダメ?」

「感染症の危険があるから、ダメ。そんなに死にたいの? それとも、あんたの傷口にも、あたしの血液、塗ってあげてもいいのよ? 今なら出血大サービス」

「笑えないから!」


 そんな、いつも通りの姿を見ているうちに、私はまどろみの中へと落ちていった。

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