第5-19話 海で泳ぎたい

 その日は、朝から海に向かっていた。着替えた服を渡すように言われて、私はあかりにワンピースを預け、昨日とは違う水着を着用した。


 私は、肩が紐になっていて、ワンピースのように上から下まで繋がっているオレンジの水着だった。


 一方、マナはと言えば、真っ白な、三角形のビキニだった。まあ、昨日と対して変わらない。


 クラゲベスは昨日に引き続き、砂浜に押し寄せていた。刺されると、内側から破裂するような痛みに襲われるらしい。どんな痛みなのだろうか。


「クラゲベスさん、少しだけでいいですから、海を明け渡してはいただけないでしょうか?」


 マナが懸命に説得していたが、そもそも、クラゲベスにはほとんど脳がなく、意思疏通はできない。こちらの存在に気がついていない可能性すらある。水の流れで獲物を判断し、流れに従って動いているだけであり、視力はないからだ。


「クラゲベスさんの中にも、会話できる個体がいるんですよね?」

「──言われてみればそうね。もしかしたら、この中にいるかもしれないわ」

「……よく考えたらさ、まなちゃんはクラクラゲ? だかなんだかの毒、効かないんじゃない?」

「クラゲベスね」


 そう、クラゲベスはモンスターだ。その触手から放出されるのは、魔法の毒なので、私には効かない。以前に、同じような状況があったからか、あかりでも気がついたらしい。


「まあ、そうね。でも、あの中に飛び込む勇気はさすがに──」


 大量の白くて透明なクラゲのようなモンスターが、うようよと漂っている。海がクラゲで多い尽くされている。この中に、どうやって入れというのか。


 ふと、マナが私を肩に担いだ。


「ちょっと、マナ?」

「まなさん、探してきてください」

「え、なんで?」

「水のかけ合いがしたいんです。押し寄せる波に打たれるまなさんが見たいんです。まなさんと海で泳ぎたいんです!!」

「だからって、あたしを殺す気!?」

「毒は効かないと、そう仰ったじゃないですか」

「い、嫌。絶対嫌。無理!」

「必要な犠牲です。交渉してきてください。お願いします」


 マナは、いつかの、ケロガーのときのように、私を海に向かって投げた。海に落ちる寸前に見た、マナの顔は黒い笑顔で満ちていた。直後、私はばしゃんと音を立てて、海に落ちた。痛くないように投げてくれたらしい。


「……ぷはっ!」


 水面に上がって、砂浜の方を見ると、マナははやくも、ビーチパラソルの下で、近くのトンビニで買ったトロピカルジュースを飲んでいた。マナにしては珍しい行動だが、そもそも、今朝の時点から、みんなテンションがおかしかった。


「マナめ……って、うわあああっ!?」


 クラゲベスが私の周りに集まり始めた。勢いよく飛び込んだので、居場所がバレてしまったらしい。


「……ふわふわしてて、意外と気持ちいいわね」


 私は近くにいたクラゲベスの頭を優しくつつく。思っていたほど、怖くなくて、拍子抜けした。


 そして、辺りを見渡してみる。全部同じように見えるのだが、果たして、この中に、クラゲベスたちの長はいるのだろうか。


「まあ、探してみるしかないわね」


 私は水面付近を漂うクラゲベスから離れるために、一度水中に潜った。泳ぎは下手ではないつもりだ。


 水中から空を見上げると、クラゲベスを透過した太陽の光が、優しく水中を照らしていた。海底には、光の円がいくつも浮かび上がり、ゆらゆらと揺れていた。


 私はクラゲベスを注意深く観察しながら、何か違いがないか確かめる。しかし、見つからないまま、私はもう何度目かの息継ぎのために、水面に上がった。


「いないみたいだけどー?」


 マナとあかりに向かって叫ぶ。


「クラゲベスの長は、エリザクラと言われていて、人々を海の底に引きずり込むそうです」

「詳しいわねー?」

「ネットで調べました」


 今どきの子らしい。私がスマホを持ち歩く時代は、果たして来るのだろうか。


 ──そのとき、足を何かに掴まれて、私は海へと引きずり込まれた。


「おるっ!?」


 足の方を見ると、海底が割れて、その隙間から、私の胴体と、同じくらいの太さの白い触手が延びており、私の体に巻きついているのが分かった。引き剥がそうとしてみるが、力が強くてびくともしない。


 そのまま、割れた隙間の下へと連れていかれる。どんどん水面が遠のいていく。息ができない。


「んーんー!!」


 暴れるほど、早く、酸素がなくなっていく。しかし、何もしなくても結果は同じだ。


 叩いても、柔らかい感触が返ってくるだけ。掴もうとしても、ぬるぬるとしていて、うまく掴めない。これでよく、私を逃さず掴んでいられるものだ。


「──ば」


 いよいよ、息を止めるのも苦しくなり、空気が口から漏れだした。──ヤバい、本気でヤバい。血液が必死に酸素を回そうとしているのが分かる。苦しい。口から空気が漏れていく。視界が失われて、体が麻痺したように動かなくなっていく。


 意識がなくなる前に、まゆのことを願っておくべきだろうか。──いや、きっと、二人が助けてくれる。だから、今はまだ、死ねない。願うこともできない。


 首が落ちる。明滅する視線の先、一面に、視界では捉えきれないほど大きく、白い、透明な何かが見えたような気がした。


***


 ──まなが意識を失ってもなお、白い触手は、まなを海底へと引きずり込んでいった。宿主の危険を察知した尻尾が、自らの意思で姿を現す。


 そして、先端で、触手を突いた。


 触手の柔らかい表面に穴が開き、痛みに驚いて、まなを拘束から解き放つ。その隙に尻尾は、なんとか、水面まで引き上げようと体をうねらせて、無我夢中で泳ぐ。


 が、質量が違いすぎる。ゆっくりしか引き上げられない。ずいぶん、されるがままに深いところまで引きずり込まれた後だ。このペースで進んでいては、水面まで上がるより先に、まなに死が訪れるだろう。


 そして、もっと悪いことに、まなが引きずり込まれた、海底の割れ目が閉じていた。あれを突き破り、まなが通れるほどの隙間を開けるだけの力を、尻尾は持っていない。


 先端で掘り進むのは、時間がかかりすぎる。辺りは、日の射さない、暗い海の底だ。となれば、今できることは一つ。


 ──海底から尻尾を突き出して、助けが来るのを待つしかないだろう。

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