第5-15話 正しい方を選びたい

 その後、私たち三人は、エトスと女王とモノカに、二時間ほど、みっちりと叱られた。なぜ私まで怒られるのだろうかと思わずにはいられなかったが、エトスいわく、「お前なら、マナを止められただろう」とのことらしい。とんだ言いがかりだ。マナを止めろなんて、無茶なことを言う。


 仕方ないので、私は、「れなに唆されました」と、告げ口しておいた。すぐに、呼び出されたれなは、私たちと交代で玉座の間へと向かった。叱られるれなの姿を想像して、私は溜飲を下げた。


 その後、マナは美容室で髪を整えてもらった。さすがに、剣で切られた髪のままというわけにもいかなかったからだ。


 慣れてくると、短いのも、これはこれでアリかもしれないと思い始めた。切った張本人であるトイスは、とても怒られていたけれど。


 そうして私たちは、空を飛んで駅へと向かっていた。すると、もぞもぞと、リュックの中から顔が出てくる。


「んーっ、よく寝たー!」

「そりゃ、よく寝たでしょうね」

「あれ、まな、なんか疲れてる?」

「そりゃ、疲れたわよ」

「へー。あ、マナちゃん、髪切ったんだ! 似合うねー!」

「そりゃ、似合うでしょ。マナだし」


 マナにはまゆの声は聞こえていないので、返事はない。ただ、私の声は聞こえているからか、うっすらと、笑みを浮かべていた。まあ、すぐに忘れるだろうけど。


「やっぱり、ショートも似合うわね。……あかりがなんて言うか、知らないけど」

「ああ、すっかり失念していました。連絡した方がいいでしょうか?」

「……してあげたら? 今さらだけど」


 結局、すっかり日が暮れてしまった。あかりは心配しているだろうか。きっと、そうに違いない。もしかしたら、寂しさで死んでいるかもしれない。


「そういえば、お見合いの話ってどうなったの?」

「ああ、なんでも、病にかかったそうで、先方からお断りされたとお聞きしています」

「へえ、大丈夫そうなの?」

「確認はしていませんが、単なる口実だと思いますよ。今までにも、何度となく、こういうことはありましたから」

「あ、そういうことね」


 要は、逃げたらしい。仮に、事実だったとしても、肝心なときに体調を崩すということは、マナに相応しくなかったということなのだろう。


「まなー、トンビアイス買ってー」

「お姉ちゃん、最近トンビアイスしか言わないわね」

「わたしのぶーむなの! まいぶーむってやつなの!」


 私は財布の中を見て、ため息をつく。


「……あぁぁ、お金がない」

「元気を出してくだ──」

「まーなーちゃー!」


 そのとき、後ろから声が聞こえて、マナが宙で止まる。振り返ると、フードを被ったれなが、ほうきに乗って向かって来ていた。


「何?」

「あのね、あの、えっとね! まなちゃ、だから、その……」

「落ち着きなさいよ」

「うん。……こんな、どうしようもない、れなだけど。今回の件も、何もできなかったし、大賢者なんて呼ばれてるけど、本当に、全然、ダメダメだけど──」


 れなは、私の手を取った。


「あたしは、まなちゃのお姉ちゃんだから。だから、何かあったらあぁーー……!!」


 そして、落ちていった。


 私に触れれば魔法が使えないのは当然のことだが、あれは、空飛ぶほうきではなく、ただのほうきだったらしい。ほうきに座って、魔法で空を飛んでいたということだろうか。わざわざほうきを掴む意味があるのだろうか。


 そして、れなは元の高さまで戻ってきた。


「──れなを頼ってねっ! 頼ってって言うわりに、助けてあげられたことなんて一回もないし、頼りがいがないのも知ってるし、お姉ちゃんらしいこと、全然してあげられてないけど……でもっ!」

「まな」


 れなの言葉に耳を傾けていると、リュックの中からまゆが呼んだ。その一言に、私は意識を引き寄せられる。


「わたし、すごく、痛かったの。苦しかったの。辛かったの。痛くて痛くて、死にたいくらい、痛くて。髪の毛もこんな色になっちゃったし、背も小さいままだし、誰にも覚えてもらえないし、誰にも見えないし、誰とも話せないし、何も感じないし。……ねえ、まな。わたしのこと、忘れちゃうの? あの人たちを許すの? わたしより、あの人たちを選ぶの? ──まなも、わたしを捨てるんだ?」


 まゆの苦しみがどれほどのものかなんて、私には分からない。どれだけ考えても、理解しようとしても、分からない。だから、分かる努力を続けなければならない。そして、まゆが望むのなら、私は──、


「まな」


 同じ声が、横から聞こえたような気がして、私は顔を上げる。──そこには、綺麗な空色の瞳をした、まゆによく似た少女が立っていた。その表情のない顔を見ていると、息が苦しくなってくる。気分が悪い。まるで、まゆが死んでしまったかのように思えるから。


「まなちゃ」

「まなさん」

「まな」

「まな」


 名前が呼ばれる。何度も何度も何度も。呼ばれる。どちらを向けばいいのか、誰を信じればいいのか、どの声にすがればいいのか。


 決まっている。まゆを信じていればいい。まゆさえいればいい。まゆが私のすべてで、まゆに生かしてもらった命で、まゆのために、私の人生がある。


「……お姉ちゃん」

「うん、そう。わたしが、まなのお姉ちゃん。わたしだけが、まなの家族だよ」


 リュックの中のまゆが答えた。隣にいるまゆは──ただ、冷たい瞳で、私をじっと見ていた。もの言わぬその瞳に、胸の内をかき回されているようで、体の奥から、何か、熱いものが込み上げてくるのを感じた。


「あのね、まなちゃ。れなのこと、恨むのは当然だし、許してとも言わない。信じてほしいけど、信じてくれなくてもいい。れなは、まなちゃのこと、大好きだから。まなちゃがどう思ってても、まなちゃが何をしても、れなは、絶対に、まなちゃの味方だから。──でも、一つだけ、聞いてほしいの。まなちゃが、誰かに助けてほしいときとか、一人じゃどうにもできないとき、最初に、れなのことを思い出してほしい。そして、どんな形でもいいから、れなを、一番に頼ってほしい。すごく、自分勝手だって分かってるけど──」


「まな。この人は、すごく頭がいいんだよ。だから、耳を貸しちゃダメ。実の姉なのに、肝心なときに、助けてくれなかった。それが事実でしょ?」


「まなちゃ、お願い。──約束してくれないかな」


「まな、お願いだから。──どこにも行かないで」


 隣の少女は、何も言わない。すがる視線を向けても、何も言ってくれない。眼差しも、笑顔も、声も、そこには、一欠片の優しさもない。


 ──それが、すごく、懐かしく感じられた。


 でも、それを認めることで、何かが変わってしまう気がした。世界が大きく変わってしまうような、そんな予感があった。


 私には、勇気が、なかった。


「マナ。このまま、駅に向かって」

「──はい」


 マナは余計な口出しをせずに、私を駅まで運んでくれる。


「まなちゃ……っ!」


 背後から聞こえる悲痛な叫びと、何も言わない、まゆに似た少女の亡霊。そして、


「ありがとー、まな。わたしを選んでくれて」

「……ええ」


 リュックの中から、私を覗く、空色の瞳。その瞳が、なんとなく、くすんで見えたから、私は目を擦って、空を見上げた。


「きれいな夕焼けですね、まなさん」

「本当に、きれいね──」


 沈みゆく夕日に向かって、私は手を伸ばす。決して、手を届かせることができないからこそ、きっと、夕日は美しい。だとしたら、それは、思い出も同じなのかもしれない。


 だから、このリュックの中の少女が、とびきり輝いて見えるのは、もしかしたら。


「まなさん」

「何?」

「愛しています」

「──本当に?」

「はい。まなさんのためなら、私は、この命を捧げることを躊躇いません。国を捨てることもできます。何を失ったとしても、それがまなさんのためになるのなら、構いません。──私は、あなたを愛しています」


 マナはそう答えた。彼女は出会ったときから、ずっと、こうだった。


 出会ったとき。──そういえば、ノラニャーの一件は、あかりによって仕組まれたものだった。そして、それがきっかけとなって、私は二人と仲良くなったのだ。あれがなければ、今、こうしていただろうか。


「どうして?」

「人を愛するのに、理由が必要ですか?」

「いらないけれど……一つの理由もないなんて、ありえないわ。知らないものは愛せないのよ」

「私はまなさんを知っています」

「──でも、出会ったときから、マナはあたしを好きだったでしょ?」

「そんなことはありませんよ」


 マナの表情は、夕日の影になっていて、よく見えなかった。声はいつも通りの調子で、短くなった髪が風になびいていた。


「まなは、わたしを信じてくれれば、それでいいんだよ。まな、わたしのこと、一番好きでしょ?」

「ええ。もちろん、それは変わらないけれど──」

「だったら、それでいーんだよ。難しく考えなくても、ね?」

「──そうね」


 考えるのをやめにして、私は近づいてきた駅の方向を見つめる。カラスが鳴いていた。

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