第5-13話 トラウマを乗り越えさせたい

 ──翌日。私は王都から離れて、とある小屋を訪れていた。小屋と言っても、宿舎よりかなり大きい。城の宝物庫の一つらしい。


「龍神クレセリアの像ね……本物?」

「もちろん。クレセリアの魂はこの中に封印されていますよ」

「へえ……」


 クレセリアといえば、有名なドラゴンだ。その昔、人間と魔族の戦争を終わらせるため、自らが双方共通の敵となったと言われている。


 とはいえ、人間にも魔族にも、多大なる被害が出たため、封印されたと言われている。


「あかりさんが三回ほど破壊したそうですよ」

「は?」

「トイスには壊せないでしょうから、安心してください」


 何かさらっと言われたような気がする。世界の敵となったドラゴンを壊すとは、さすがあかりとしか言えない。


「本当にここしかないの? 闘技場は?」

「トイスが本気を出したら、闘技場くらい吹っ飛びます」

「色々、さらっと言わないでくれる?」


 隣には、緊張した面持ちのトイスがいた。腰にはモンスター用の剣をぶら下げており、動きやすい格好をしている。そして、先ほどから、一言も発していない。


「あんた、緊張しすぎじゃない?」

「姉さんと戦うなんて、十年ぶりだ。緊張しないわけがない」

「そんなに小さい頃から戦ってたの? とんだ英才教育ね」


 その頃はマナは六歳、トイスは──四歳か。そんな頃の話なら、トラウマになってもおかしくないかもしれない。


 小屋には、壁で覆われた、広い庭があった。草原と見粉うほどの広さだ。


「昔、私はここで、よく、あかりさんを打ち負かしていたそうです」

「ここであかりは、五百回くらい負けたわけね……」

「そんなにですか?」

「ああ。加えて、姉さんが木刀を持つまでに、一年かかった。その前は素手だったな」

「そうなんですか」

「──そういえば、あんた、あかりのこと覚えてないのよね」

「そうでしたね。私も、覚えていないことを忘れていました」


 庭の真ん中辺りまで歩いて、私たちは立ち止まる。そして、私はまゆの入った軽いリュックを、前に抱えた。


「本当に姉さんと戦うのか? 勝負にもならないと思うが……」

「勝負、というよりも、お願いを聞いてほしいのですが──」


 マナは草地に座り、髪を後ろ手で一度、ひとまとめにして、すべて背中に流す。


「トイス。私の髪を、切ってください」


 マナの言葉を聞いて、トイスは動きを止める。


「は……?」

「早くしてください。私はここから動きませんから、大丈夫ですよ」

「いや、でも──」

「さあ、早く」

「む、無理だっ!」


 小屋の方へと逃げるトイスの背中を、マナは容赦なく蹴り飛ばした。吹っ飛ばされる最中、バランスを取り、壁にぶつかる寸前で、トイスは地に足をつけ、踏みとどまる。そして、血を吐いた。


「うえぇぇえ……!? 容赦ないわね……」

「トイス。あなたが、学業の傍ら、公務にも真剣に取り組んでいて、大変忙しいのは知っています。ですが、その上で、申し上げます。──これから、私の髪を切るまで、返しません。チャンスは一度、差し上げましたよね?」

「鬼と悪魔よりも恐ろしいわね……」


 一昨日、重症を負って、昨日まで病院で寝ていたトイスに、容赦ない。


「それから、私が先日、敵に罪を償わせると言ったとき、俺が倒す、と言いかけていましたよね? ──倒せもしないくせに、そんなこと言わないでくれますか?」

「直球……」


 トイスとマナの距離は相当開いているが、マナの声はよく響く。肺活量がすごい。


「このままでは、他の兵士たちの見舞いにも行けませんよ」


 そのとき、遠方から飛来した鋭い風の刃を、マナは同じく、風の刃で相殺した。まったく同じだけの力をぶつけたのだ。


「──弱い」


 直後、無数の刃が向けられるが、それをマナは余すことなく相殺する。


「ずいぶんと、お利口な風ですね。本当の風はそんなに規則正しく吹いたりしませんよ」


 すると、トイスの頬をマナの風が切り裂いた。


「同じ軌道で一つ余分に風を送ったのね」

「さすがまなさん、ご慧眼です」

「慧眼ってほどではないと思うけれど……」


 風の後ろに風を隠して、二つ発射したのだろう。言葉で言うほど簡単ではないだろうけど。すると、トイスからの攻撃が止まった。


「病み上がりで魔力も体力も回復しきっていないんですから、数ばかり打っていては、すぐに力尽きます。気づいたのはいいことですが、判断が遅いですね」

「あんた、すっごく厳しいわね……」

「私の優しさは、まなさんにしか与えられません」

「あっそう……。まあ、ありがたく受け取っておくわ」

「はい」


 それから、トイスは猛スピードで加速した。壁の手前から、私たちがいる庭の中心まで、一気に距離を詰めようと──突然、地面から現れた眼前の土壁に、風圧で穴を開け、速度を落とすことなく突き進む。


 数枚の土壁が打ち破られて、今度は、土の人形が現れた。私にすごく似ている気がするが、見なかったことにしておく。


 すると、トイスの足がぴたっと止まった。


「人ではありません。ただの、意思を持たない人形です」

「で、でも──」


 躊躇うトイスの左頬が、土人形に吹き飛ばされた。左側は視力がなく、死角から打ち込まれた打撃を、回避もできずもろに食らった。さすがのトイスも、それにはよろけて、動きを止める。


 しかし、土人形は容赦なく、次いでボディーブローをみぞおちに入れる。


「かっ……」


 息の抜ける音とともに、トイスは再び口から血を溢す。魔法ですぐに治せるとはいえ、見ているだけで、痛くなってくる。


 体勢を崩したトイスの顔面めがけて放たれたパンチは──トイスの手で受け止められた。人形はそれに動揺することもなく、掴まれた腕を自切すると同時に、足を蹴り上げる。


 その視界の端からの蹴りを最小限の動きでかわすと、トイスは敵の足を払って転ばせ、そのままの勢いで、回し蹴りを放った。


 胴体に蹴りを食らった人形は、そこから真っ二つに割れ、地面に倒れると、動かなくなった。


「うおおっ……」


 それを見たトイスが、狼狽して全身を震え上がらせる。


「足が止まっていますよ」


 すると、マナはトイスのズボンに火をつけた。


「あっつっ!? あちっ、あちちっ!」


 走って火から離れつつも、水で消火し、足も止めない。消してから動けばいいのに。まあ、慌てているから、判断力に欠けるのだろう。


「よそ見とは、感心しませんね」

「うおっ!?」


 トイスの眼前に現れたのは、今度は風では吹き飛ばせそうにない、分厚い氷の壁だった。それに、トイスは顔面から直撃しそうになり、すんでのところでかわす。


 かわした先にも壁が現れると、今度は、風を利用して、壁よりも高く飛び上がろうとした。


 しかし、トイスが飛ぶのに合わせて、壁は高く成長していく。そして、トイスは空を諦めて、地上に戻った。


 今度は巨大な氷の槌を顕現させ、ハンマー投げの要領で、回転の勢いを利用し、壁を砕いて素早く前進した。


 足元を砕かれた壁は、通った後に落下して地響きを起こす。そうして、トイスは、私たちの数歩手前で立ち止まった。

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