第4-24話 じっくり考えたい

 私たちはチアリタンの洞窟に足を踏み入れ、白銀の鱗を視界に入れる。


「──来たか」


 可愛らしい声が頭上から振ってくる。


「それで、あたしに用って?」


 しかし、二人とも、何も言わない。


「焦れったいわね。さっさと言いなさいよ」

「魔王よ、とく申さぬか」

「元はと言えば、貴様のせいだろう。貴様が許可も得ず、傷を治したりするから──」

「む、妾のせいにするでない。なんでもかんでも、他人のせいにするのは、そちの良くない癖じゃぞ?」

「傷──? 何の話?」


 私は無意識に、右腕を掴む。その感触に、どこか違和感を感じた。


「最近、何か違和感を感じてはおらぬか?」

「何そのふわっとした質問」

「思い出したくないというのなら、無理に思い出す必要もあるまい。じゃから、正直に答えよ」


 私は、何か、忘れてしまったのだろうか。


 違和感といえば、大きな違和感があった。何より、宿舎の部屋。なぜか、すべてが二つずつあった。まるで、二人で住んでいたかのように。


 ──違和感と言えば、あかりとマナの言動も、近頃、際立っておかしかった。何か、探っていたかのように。


「思い出したら、どうなるの?」

「右腕に傷をつけることになる」

「何それ、怖……。思い出さなかったら?」

「そのままじゃ。いずれ、違和感を完全に失い、そちの中では、──いや、世界において、何もなかったことになるじゃろうな」

「思い出すメリットがないわね……」


 だが、今はかすかに、胸がざわついた。それは、日常に溶け込める程度のもので、気のせいで済ませることもできるほどだったけれど。それが、妙に引っかかった。


「そちが、右腕から絶えず血を流してまで、守りたいと願ったものじゃ。そこには、姉や魔王を許せぬと、強い憎しみを抱くほどの思いがあった。そして、忘れる直前。そちは、忘れたくないと、我を失い、泣き崩れ、動けぬほどじゃった。それを、妾は覚えておる」

「そんなものが、あたしに……?」


 何もないと、そう思っていた。自分には、何もない。将来の夢も、やりたいことも、楽しいことも、何もないと。何にもなれず、何も目指さず、何も望まず、生きていくのだと、そう思っていた。


 私には、魔法の知識と、一度きりの願いの魔法があるだけなのだと。


「それを大切に思うあまり、そちは、苦しそうじゃった。その苦しみに潰されて、その思いだけで、心が壊れてしまうのではないかと、そう思うほどじゃった。──さあ、どちらを選ぶ? 選ぶのはそちじゃ。しかし、人生が変わるほどの選択である故、慎重に判断するように」

「人生が変わるほどの……」

「今すぐに答えを出さずともよい。妾たちが覚えておる。あかりもな」

「え、あかり?」


 私が首を傾げると、チアリターナは、しばし硬直して、


「……はっ、しまった!」


 相変わらず、失言が多いドラゴンだ。あかりはチアリターナとも知り合いなのか。もしかして、チアリターナも、魔王とあかりの契約について知っているのではないだろうか。


「すぐ調子に乗るところが、貴様の悪い癖だ。チアリターナ」

「ち、違うんじゃ! あかり、あかり……アカー・リというやつのことなんじゃ!」


 チアリターナは尻尾をぶんぶん振り回して、慌てふためいていた。可愛い──というには、その影響で起こる風が少し強すぎる。


「さすがに無理があるわよ……。それから、黙っておこうかと思ったけど、あんたたち、あかりがマナを振った理由を知ってるのね?」

「ひゅ、ひゅー。じゃ。知らぬ知らぬ!」

「──さあな?」


 父は表情を余裕のベールで覆い隠した。だが、分かる。彼は、何かを知っている。チアリターナの反応で、まる分かりではあるけれど。


「まさか、魔王と手を組んでるから、とか言わないわよね?」

「建前として使われる理由ではあるかもしれぬが、本音ではない」


 こう見えても、父は魔王だ。数多くの人間を殺している。その事実は揺らがない。──とはいえ、それだけの理由なはずがない。


 もっと、重くて汚いと、あかりが感じているものが、手を組んでいる理由の方にあるのだろう。


「こんな卑怯な方法で知りたくはないけれど……本当の理由って、マナよりも価値のあるものなの?」

「言えぬ。これは、契約だ。それ以上のことは伝えられぬ」

「──そう」


 落胆したような、安堵したような、どっちつかずな気持ちだった。少なくとも、それを聞く覚悟は、私にはなかったのかもしれない。


「それから、もしその何かを、思い出したくなったら、その少年に頼むが良い。──体調には気をつけるがよい」

「ええ。そっちもね」


 私をルークに乗せると、魔王は魔王城に向けて、去っていった。ルークはまもなく、宿舎に向けて飛び立った。

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