第4-22話 母の話が聞きたい
ボーリャを座らせ、私は洗った食器をふきんで拭くよう、父に指示する。魔法でやればすぐに終わるのかと言えば、そんなことはない。細かい作業は魔法に向いていないのだ。だから、魔力を燃料に動く食洗機などが開発されている。ここには設置されていないけれど。
「お母さんって、どんな人だった?」
私はお皿を洗いながら、なんとなく、聞いてみた。生前、ほとんど関わりがなかったから、ずっと、気になってはいたのだ。
「……マリーゼは、芯の通った女性だった。昔から、自分というものがしっかりしていたな」
父の表情は和らいだ。そして、まだ新しい、心の傷が、痛そうだった。
「男勝りなところがあって、蝶や花を愛でたりはしなかった。代わりに、カエルを捕まえてきては、余の目の前に差し出したりし、驚かせては喜んでいたな」
「そうなの? 意外だわ」
「──マリーゼが絵を描くようになったのは、中学に上がる頃だった。幼少の頃は、男たちに混ざって虫取りなどをしていたのに、急に大人しい遊びを始めたものだから、あのときは余も、マリーゼの友人たちも、驚いていたな」
急に行動が変わったのには、当然、理由があったのだろう。そして、その理由には、予想がついた。
「それって……」
「ああ。その頃から、体調を崩すことが増えてな。もともと、有り余る元気とは対照的に、体の弱いやつだった。あいつのいる病室にはよく通ったな。魔王になる勉強や学校を何度もすっぽかして。──急に、しおらしくなったからか、その頃から、どうにも気になり出してな」
父は少し、寂しそうな笑みを浮かべた。そんな表情をすることもあるのだと、私はそこに人臭く、温かいものを感じた。
「どうしても、子どもがほしいと、そう言っていた。自分がいなくなった後で、余が一人だと寂しがるからと、自分の体調のことなど、お構いなしにな。しおらしくなったように見えただけで、実際には、昔から、全く変わっていなかった。自分のわがままを遠そうとするところも、優しいところも」
どこか、懐かしいような表情をしていた。父は、眩しいものでも見るかのように、すっと目を細めて、視界は脳裏の記憶を捉えていた。
「最期、彼女を看取ったとき。マリーゼはこう言った。レナには、大切な人たちがいて、レナを大切にしてくれる。ユタには、強い魔力と優しい心があるから、未来をよりよく導いてくれる。──そして、マナ。お前は、一番、マリーゼに似ている。だから、きっと大丈夫だと」
母に似ていると言われると、なんとなく、嬉しい。私も、普通に育っていたら、虫を捕まえたり、カエルでいたずらをしたりしていたのかもしれない。
それでも、最期に一緒にいられなかった。全然、話せなかった。時間を無駄にしてしまった。母を思う度、後悔ばかりが、膨れ上がる。結局、ワガママの一つも言ってあげられなかった。
「そして、余のことが一番、心配だと言っていた。まったく、本当に、その通りだ。お前たちは、強く歩んでいるというのに」
「そんなことないわ。まだ毎日、お母さんのことばかり考えちゃうし。──けれど、お母さんが、手紙をくれたから。愛されてたって、そう思うだけで、少しだけ、力が湧いてくるの」
魔王はしばし、瞑目する。まぶたの裏に、記憶を映しているのかもしれない。魔王は、皿を拭く手を止めた。泣きそうなのかもしれない。
「ねえ、聞いてもいい?」
「ああ、なんでも」
「……あたし、本当は、生まれてすぐに殺されてたんでしょ? なんで、殺さなかったの?」
「それは──他ならぬ、マリーゼの子だったからだ。だから、どうしても、殺せなかった」
誰にも必要とされていないと、そう思っていた。言葉を覚えた頃には、私はもう、あの檻の中だった。何のために生まれてきたのか分からなかったし、生きる意味も見出だせなかった。
でも、ずっと、私は、母に守られてきた。知らなかっただけで、愛されていたのだ。
「あたし、れなにね。どうして、あのとき、助けてくれなかったのかって聞いたの」
「それは──」
「あんたにも、同じことを思ってる。でも、きっと、事情があったんでしょ?」
傷が残って、腕に深い溝ができるのではと思うほどに、傷つけられた。頭がおかしくなりそうだった。それでも、生かしておいてくれた。それを、わざわざ責めようとは思わない。
──ただ、何かを忘れているような気がする。
「余は、魔王の立場と権力を守るためだけに、お前を──」
「別に、恨んだり……」
していない。
と、言えなかった。
──何かが、違う。
れなのときと、何かが。どうしても、譲ることのできない何かがあったから、私は、れなを許せなかったのではなかったか。
それに、母の葬式のときも、魔王のことは、許していなかったはずだ。
「いいや。お前は余を許してはならぬ。決してな──」
その言葉の意味を問いただそうとした、そのとき、
「おばあちゃん、ただいまー!」
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