第4-12話 魔王に聞きたい
「あ、はあっ、はあぁっ、あ、ああ……」
「落ち着け。深呼吸。オレの声に集中しろ。吸って、吐いて──」
低い声に従い、僕は自分を落ち着かせる。落ち着いたのを見計らって、目の前の人物は僕に声をかける。
「協調性が高エやつは、たまに、記憶そのものに取り込まれる。追体験みたいなもンだ。──何を見てきた?」
「……分からない」
「分からないっておめエ、それじゃ、見てきた意味が──」
「違う。覚えてる。記憶したから」
咄嗟に、魔法で記憶に刻みつけた。すぐに忘れてしまうことが分かっていたから。しかし、そういう話ではない。
「何が起こったのか分からないってこと」
「ますますわけが分かンねエ。髪の毛抜かせろ」
「いでっ! いや、ちょっと──」
ヤバい人は、僕の髪の毛をノートに吸い込ませ、記憶の海に潜っていった。
「……僕にだって見られたくない記憶はあるんだけどねえ」
ヤバい人──名前は知らないが、その人は、すぐに戻ってきた。
「──もう一回行ってくる」
また潜っていった。そして、すぐに戻ってくる。
「おめエ、気配を察知するのが上手すぎンだよ。すぐバレちまう」
「そう言われても。僕はいつでも、死なないように必死だからさ」
「そうかよ。けっ」
面白くなさそうに椅子に座ると、その人はノートを閉じた。波打っていた机は、元の箱に戻った。
「それで、なンかの役に立ったのか?」
「もちろんもちろん。感謝しすぎて、泣きそう」
「ンじゃま、報酬を頂こうか」
「え、何それ聞いてないよ?」
「これがオレの仕事なンだよ。報酬もらわねエと、生きてけねエだろ」
「お金ってこと?」
「違うな。オレが欲しいのはそんなもンじゃねエ」
そう言うと、僕は胸の寸前に指を突きつけられる。
「お前の心を寄越せ」
「何それ、求婚?」
「ちげエよバカ。……オレはなア、こう見えて、バクなんだ」
「バク? 大食いってこと?」
「おめエはバカだろ」
寒い風が扉の隙間から入ってきて、ひゅーっと、音を立てる。
「……え? 今の、上手いこと言ったつもり? え、ウケるんだけどっ」
「死にさらせやア!」
「穴開けるのはいいけど、ここ、君んちだからね?」
床に穴が開いた。仕方ないので、塞いであげる。
「夢──記憶を食うってことだ」
「夢を? それ、美味しいの?」
「アア。うめエ」
「いや、でも、僕の夢なんて、何にも楽しくないと思うよ?」
「味は楽しいか楽しくないかで決まるンじゃねエ。感情の濃さで決まンだよ」
「なるほどねえ」
心当たりがないわけではなかったので、僕は素直に頷いた。
「それって、あげたらなくなっちゃう?」
「だから報酬っつってンだろ。お互いの得になるもンは、報酬なんて言わねエ」
「君、頭いいね!?」
「おめエな……」
僕が渡す記憶は、もう決まっていた。一番、無くしてしまいたい記憶だ。僕はそれを思いながら、手ぐしで自然に抜けた髪を差し出す。
「……おめエ、一番、嫌な記憶にしただろ」
「分かる?」
「あるかないかで、人生が変わっちまうようなもンを、よく人に渡せるな。そこまで考えてねエのかもしンねエが……」
「考えたよ。でも、それ一つだけじゃないからさ。一つ渡したくらいで、僕は変われないよ。──もういい? 帰って魔王に報告しないと」
「つまンねエやつだな。好きにしろ」
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」
「ハッ、おめエみてエな胡散臭エやつに語る名前なんぞ、持ち合わせてねエよ」
「そんなに怪しくないと思うんだけどなあ?」
「とっとと帰れ!」
「うわあっ! だから、美人が台無しだって!?」
パンチを避けるようにして、僕は荷物と靴と靴下を持って、魔王の間に瞬間移動した。
***
「はい、記憶してきたよ。持ってって」
「よくやった。誉めて遣わそう」
「相変わらず偉そうだねえ……」
僕は靴下を履きながら、魔王に頭を差し出す。立ったままでも履けるのは、ちょっとした特技だ。魔王は記憶を持っていった後で、珍しく、悩む素振りを見せた。
「もういいの?」
「ああ。すべて見た。その上で、余に、聞きたいことがあるのではないか?」
「うん。正直、言いたいことなら、ある」
聞きたいことというよりも、そちらの表現の方が近い。
「感情を抑える必要はない。思うことを思うままに言うがよい」
そうして、心の内に隠し持っていた怒りが、いよいよ、抑えられなくなった。
「──なんで、助けてあげなかったんだよ?」
僕は魔王の目を見つめる。直視したら石になるとも、言われている目だ。そんなのは、迷信だが。
魔王なら、助けられた。──いや、あのとき、二人を助けられたのは、魔王しかいなかった。
「余が助けたとなれば、魔王は誰かに操られている、などと噂が立ち、しまいには、皆が余を殺さんとするかもしれん。そうなれば、本当に、魔族は滅びる。思い込みの激しい者が多くてな──」
「勝手に問題を大きくするなよ。僕は、自分の娘より大事なものがあるのかって聞いてるんだ!!」
僕の頭が悪いから、分からないのだろうか。どうして、まなちゃんは誰にも助けてもらえなかったのか。彼女が一体、何をしたというのか。
──きっと、生まれてからずっとあそこにいただけで、何もしていない。ただ、白髪赤目の魔族の女の子として生まれてきただけだ。
それでも、誰も彼女を救わなかった理由なんて、理解したくもない。それなら、僕は、頭が悪いままでいい。
「……余は、自分のためだけに生きることはできぬ。自分の子ども一人、助けることすら、責任が伴う」
魔王は急に、素手で玉座を叩いた。僕は、それに驚き、肩を震わせる。
「──オレが、一体、どんな気持ちで、あの光景を、何もせず、眺めていたと思っているんだ……!」
想像もつかなかった。子どもが傷つけられるのを、黙って見ているのが、どれほどの苦痛か。拳をただ、ずっと震わせて、自分が痛めつけられるよりも大きな痛みに耐える。それが、どれほど難しいことか。
──それでも、魔王は、何もしなかったのだ。どんな言葉も言い訳にしかならないと、僕は思う。
魔王は震える体から、息に乗せて感情を吐き出し、いつもの澄まし顔に戻る。
「余は、落ちこぼれだ。助けないのなら、殺しておくべきだった。生かすなら、助けるべきだった。親にも魔王にもなりきれなかった。そういうものの末路が、余なのだ」
魔王はニヒルな笑みを浮かべ、余裕を装っていた。僕から彼にかけられる言葉は、何一つ、見つからなかった。
そんなものが理解できるようになりたくなかったし、やっぱり、いつまでも、理解できるとは思えなかった。
「その上、今は勇者と手を組んでいるのだからな。貴様の言うところの、闇落ちというやつではないか?」
魔王の冗談めかした姿勢を見て、それに乗ることにする。これ以上、この話を続けることは無意味だ。
「光のものが闇に落ちるから闇落ちなんだよ?」
魔王はよく分からないと言いたげな顔だった。そりゃそうだ。この魔王は、光とも闇とも言いがたい。第一、僕は勇者だが、最初から、決して、光ではない。だから、光落ちとも言えない。強いて言うなら、僕たちはただの闇だ。──カッコよくない? と言いたい気持ちを、頭の中だけで留めておく。
「それで、貴様はそろそろ、余を殺す気になったか?」
ふいに、そんなことを言い出した。本当に会話が下手なやつだ。
「いや、全然。僕、いまだに虫も殺せないし」
単に虫が怖いだけだが。我ながら、トラウマが多いと思う。
「早く、あの桃髪の女王と共に、余を殺しに来い」
「えー。君が僕を殺せば?」
「そんなことをしても、魔族の側に余計な血が流れるだけだ。この戦力差では、和解も難しい上、余がまともに戦っても貴様には勝てぬ」
「よく分かんないけど、自分たちが負けてもいいってこと?」
「──遠い未来のことを考えれば、魔族は一度、滅ぶべきだ」
「ええ……魔王がそんなこと言っていいの?」
「先ほども言った通りだ。余は落ちこぼれ。魔王失格だ」
「でも、えっと、三十年? 戦争──ちゃんと言うと、内戦だっけ。起こしてないんでしょ? このまま、平和に暮らしたりとか──」
「不可能だ。こんな仮初の平和など、いつ消えてもおかしくはない」
「そういうものなのかなあ」
「そういうものだ」
会話が途切れ、しばし、沈黙の時間が流れる。沈黙が嫌いな僕は、とりあえず思いついたことを口にする。
「ま、僕たちがこうやって仲良くしてる間は大丈夫じゃない?」
少し間を置いて、魔王は笑いだした。
「ふはははは! それが事実なら、愉快な話だ。──勘違いするな。これは、契約だけの関係だ。貴様は自らの目的のために、余を利用しているに過ぎない。望みさえ果たされれば、貴様にとって、その他のことは些事に過ぎん。そうだろう?」
「──まあ、その通りなんだけどさ」
些事の意味がいまいちよく分からなかったが、おそらく、大したことじゃない、みたいな意味だろう。
「そして、目的を果たせたとしても、果たせなかったとしても、貴様は余を殺しに来る」
「さっきから、ずいぶんと僕を殺人者扱いしたいみたいだねえ。それか、死にたいのかな?」
そんなこと、するはずがないというのに。まったく、それこそ、ふざけた話だ。そして、魔王は、質問には答えない。
「──そろそろ、諦めたらどうだ?」
「嫌だよ」
魔王は鼻白む。僕はいつもと変わらない笑みを浮かべる。
「だが──死者蘇生など、何を代償に失うか分からぬぞ? 最悪、貴様の──」
「魔王サマ。さっき言ったじゃん。これは、契約だけの関係だって。僕がそれを望んでる間は、ちゃんとまなちゃんを守っておくからさ、安心してよ?」
表情の曇った魔王を見て、この魔王は本当に甘いなと思った。殺したくないと、そう思ってしまうほどに。まあ、僕が勇者になった時点で、どちらかが死ぬことは決まっているのだが。
そして、僕が去る直前に、魔王は言った。
「貴様に命じたのは、マナ・クレイアの監視だ。守れとは言っておらぬ」
と。
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